お経をあげるのがちょっと楽しみになる法華経エピソード
中央学術研究所
学術研究室 宇野 哲弘
<エピソード1>
親不孝な息子を持った母の嘆き
~韋提希夫人(いだいけぶにん)~
韋提希夫人は妙法蓮華経(通称:法華経)序品第一に聴聞衆(教えを聴く人という意味)として登場する「阿闍世王(あじゃせおう)」の母です。
お経は、いつ、どこで、誰に、どのような教えを説いたかが説かれますが、序品でも最初に、王舎城(おうしゃじょう:インドの地名)の霊鷲山で大比丘衆といわれる人々が一万二千人参集していました。そして代表的な比丘の名が次々に列挙されます。阿若憍陳如(あにゃ きょうじんにょ:阿若は分かったという意味。お釈迦様の初めての説法である初転法輪の時、一番はじめに「阿若(分かった)」と叫んだとされ、そこから名前の前に阿若がつくようになったらしい)や、摩訶迦葉(まかかしょう:摩訶は大という意味)と続きます。舎利弗(しゃりほつ:釈尊十大弟子の一人 智慧第一といわれる)や目連(もくれん:十大弟子の一人 神通第一)の名もあります。羅睺羅(らごら:お釈迦さまの実子)の母(釈尊の元嫁)耶輸陀羅(やしゅたら)もいます、さらに文殊(もんじゅ)菩薩や観世音(かんぜおん)菩薩といった菩薩たち、提婆達多品(だいばだったほん)で登場する八歳の竜女の父である娑伽羅(しゃから)竜王もいます。その最後に「韋提希の子阿闍世王」の名が登場します。
バカボンのパパ的な言い回しですが、先に登場した「羅睺羅の母耶輸陀羅」は羅睺羅も有名なので母の名を紹介するのに、誰の母かという意味で羅睺羅をつけているようです、阿闍世王は国王なので普通は父王の名を冠するように感じますが、ここでは何故、「韋提希の子阿闍世王」と母である韋提希夫人が主になって紹介されているのか?非常に気になるところです。そういう意味では、富楼那彌多羅尼子(ふるなみたらにし)も彌多羅の子富楼那という意味なので、同じ疑問が生じますが今回は韋提希夫人がテーマなので、富楼那の話は後日に回すとします。
さて、韋提希夫人の話にもどります。説によれば阿闍世王はお釈迦さまのいとこにあたる提婆達多にそそのかされ、父王を幽閉し、その父王に密かに食料を運んだ母である王妃も幽閉しました。韋提希婦人が幽閉された牢屋に、お釈迦さまが弟子の阿難を連れて訪問されました。その時に韋提希夫人がお釈迦さまに質問する場面があります。
「私どもは夫婦ともにお釈迦さまの教えを守り、心の正しい者だと思います。その夫婦の間にどうしてあのような親不孝な子どもが生まれたのでしょう。またお釈迦さま、あなたは一切衆生を救うために、慈悲の教えを説いてくださっているのに、お釈迦さまの一族に、どうして提婆達多などという悪い人ができたのでしょう。人間は善いことをすれば善い報いがあるかと思うと、なかなかそうならないものです。いったいこれはどういうことでしょう。」と質問しました。
韋提希夫人の夫である頻婆娑(びんばしゃら:ビンビサーラ)王は、悟りを開く前の修行時代のお釈迦さまと出会い、その風貌や気品からいずれ素晴らしい人になると思い、その頃から後援者となっていたほどお釈迦さまに帰依し、教えを守って国を治めていた方です。その王と妃の間に生まれた子どもが長じてからは、提婆達多という悪縁にそそのかされ、父王の座を奪うどころか、その命さえも脅かさんとしました。母である韋提希夫人の苦悩はまさに「どうしてあのような親不孝な子どもが生まれたのでしょう」の一語に尽きます。
しかし、韋提希夫人の質問はさらに続きます。
「世尊に申し上げます。私は前世で、どのような罪があったために、このような悪い子を生んだのでありましょうか?また世尊は、どういう因縁があって、あの提婆達多などという悪人と、ともに一族になられたのでしょうか?」
韋提希夫人は、この世では善いことをしてきたのだから、きっと前世の悪い行いによってこのような悪い子を生んでしまった、と理解しているようです。
それに対してお釈迦さまは眉間から光明を放たれ(これは法華経の序品にも同じような光景があります)、光の中に悪人のいない仏の国が現れました。これを見た韋提希夫人は、それらの国に生まれたいと申し出ます。
お釈迦さまは韋提希夫人に対して十三のものの見方・念じ方を授けます。第一に、西に没する日輪(太陽)のさまを歓想する。目を閉じても開いてもそのさまがありありと瞼に浮かぶように。第二は水想で、澄みきった水・氷などを思い浮かべる。以下、仏の国を観ずる地想、宝樹(樹下で法の話をする場所)を観ずる樹想、と続きます。
お釈迦さまは目の前の現実、苦しみにあえぐ韋提希夫人に対して、理想の世界をお見せになり、心の立て直し方を具体的に説いてくださっています。
このエピソードに触れると、しばし立ち止まって周りの景色をじっくりと見直してみるのもいいかもしれないと思います。