Kitai
ここは、東京にある芳澍(ほうじゅ)女学院情報国際専門学校。 親元を離れて生活している芳澍生が、感じていることをお届けします。 ここには何人もの学生が登場します。 卒業までに、どのような気づきをして成長していくのか、 一緒に見守っていただけると嬉しいです。
これは、立正佼成会の女性教会長たちの「うち」で起こった物語。 どこのうちにもあるような事件。あるいは見逃してしまいそうな些細なできごと。 夫婦のこと。子育てのこと。嫁、姑のこと。。。 そんなささいな当たり前のことに、視線を向け、こころを傾け感じた、家物語です。 アルアルと「共感物語」 へー、そんなものかと「感心物語」 自分にはできないなと「他人ごと物語」 そんな間抜けなことしないよと「優越感物語」 ・・・・・・ どんな気持ちが味わえますでしょうか。
認知症が進む実母と奮闘する毎日。 幼い頃は憧れだった母の姿。老いてゆくことは当たり前のこと。いつかは来ると覚悟はできていたつもり。私もゆく道なのだから。怒りたくない、理解してあげたい、時間を大切に過ごしたい。 それなのに…、心と頭と言葉とごちゃごちゃしてしまう、そんな私と母のものがたり。私だけ?と孤独を感じている方たちに届けたい。「ここにもいます。あなただけじゃない」 私と母の物語が、誰かの何かになれたら。 私の「ちょっと聞いて~」、軽い気持ちで雑談するように読んでもらえたら嬉しいです。
目的のもと、田んぼの田の字も知らないド素人の若者と大人が手探りで創めた物語です。無謀にも60年以上ほったらかされていた葦だらけの耕作放棄地を一から切り開き、水路を掘り、木の根を掘り返し、畦をつくり、苗を育て、米をつくる。田んぼに向き合うその日々の作業や葛藤を一言日記にして表現したいと思います。ド素人の人材が手探りで行っているので、無茶苦茶だと思われることも散見されるかもしれませんが、あたたかく見守っていただけると幸いです。
B.T.には、様々な意味があります。 オーソドックスには、ブディズム・トランスフォーマーの略。 意味合いは、仏教の解釈とでもなるでしょうか。 もう一方では、BUT(しかし…)の意味も含まれるので、 「仏教の解釈、しかし…」これで良いの?という感じです。 宇宙(ソラ)を見上げ創造を巡らせてもらえれば幸いです…。
1年生 会長先生は菩薩行のことを「日々、心の土壌をやわらかく耕すような言葉や行い 」と教えてくださいました。この言葉がとても印象に残り、言葉や行いについて考えました。まず、やわらかく耕された土壌とは、雨や日光を浴びて、どんな種も肥料も受け入れ、これから植える種がすくすく育つようにと願われ、人の手で丁寧に耕された土壌のことであると考えました。 今の自分を振り返れば、後期が始まってから何も頑張れない自分にフラストレーションをためています。耕された土壌とは言えません。ですが、そ
えっちゃん 私はひとりっ子で、幼少の頃はわがままな性格でした。青年期に入り、尊い仏様の教えに出会って、まず人様という心に変わらせていただきました。 私は数年前に退任して、まず人様という心を実践しております。現在は、近所のおひとりさまにランチを作って、差し上げています。この方の奥様は私の友人です。59歳で他界され、その方のご主人が一人暮らししてます。ボランティアで毎日の献立を考えるのが日課です。この方は夕方早く休むので、ランチの時間が11時です。はじめは知らないで12時
えっちゃん 私には孫が6人おります。長女の子は男の子4人、二女の子は女の子2人です。我が家に来ると、必ず仏さまにお線香を上げて参拝します。また来る時も参拝して帰ります。 ある日、孫が帰る時、車からすぐおりてきて、「忘れ物をした」と言いました。財布でも忘れたのかと思ったら、「ご先祖様やじいじに参拝するのを忘れた」と言って、お線香をあげる姿に感心しました。 私は、このように育てた娘にも感謝です。ご先祖様を大切に、 一人ひとりを大切にする孫たちに教えていただいております
へっぽこ娘 母が入居後1カ月ほど経ったある日、以前お世話になったある方から母は元気かと電話が入った。母の入居を知らせると、ここのところまったく母と連絡をとっていなかったのを悔やみ、もう少し早く会いに行けばよかったと言ってくれた。 今までのいきさつを簡単に伝えたが、その方は「どうしてそんな施設に入れちゃったの?家でみることはできなかったの?」と言った。その口調から「家でみるのが親孝行なんじゃないの?」と何となく責められているような気持になってしまい、私はちょっと辛くなった
モネギ 遂にこの日がやってきました...!!! 小さな一粒のお米から大きく成長した苗達。 この日の為に一生懸命耕した土を踏みしめながら、一つひとつ丁寧に植えていきました。 苗の根を植えやすい形に整えて、泥の中に差し込み、土をかぶせる。簡単そうな作業ですが、これが案外難しく…なかなかまっすぐ立てれません。 泥の少し深くまで入れてみたり、根を固めに整えてみたり、土を沢山かぶせてみたりと思考錯誤していくと最初はぎこちなかった手つきもだんだん慣れてきて、泥の中から青空にむけてピン
ふみ 本格的に田んぼに水を流し込んでからは、代掻きで田んぼを平らにし、田んぼを囲む土壌である畦畔(けいはん)から水漏れがないよう、泥を塗る作業を進めました。 開墾をしていた頃は全く見当もつかなかったとっとこ作業も、ようやく田植えに向けての取り組みが始まります。 水が多い日、少ない日などばらつきがある中、ほとんど水がない泥の中、おたまじゃくしが静かに泳いでる姿を見ると、懸命に生きる姿に感銘を受けますね。 はたして60キロのお米はできるのか。今後に期待したいところです。 日佑
ミッフィーちゃん 本日はお米の種を土に植える作業をしました。大きなプランターのようなものに土を敷いてそこに指で細く線を引き、種を植えていきました。二人一組に分かれて作業をしていると人によってとても几帳面に等間隔で並べる人もいれば線を無視してばら撒く人もいて十人十色だなと面白いなと感じました。 なおくん 「塩水選で選別した種もみを、船に入れたミニ田んぼに蒔きました。 三粒ずつ蒔いていきましたが、かなり細かな作業で、結構時間がかかりました 汗 ずぼらな自分は、たまに2粒と
なおくん 中身の詰まった良い種もみを選ぶために、塩水につける「塩水選」というものを行いました。 使用した種もみの半分くらいでしょうか、それらが塩水に浮かび上がってきて、それをざるですくい、分けていきました。 今回初めて「塩水選」をさせていただき、ふと思い出したのは、普段のお米を研ぐときのことです。お米を研ぐときに水を張って、流してを繰り返しますが、その時に米粒が浮かび上がってくることは、まずありません。 今日炊けたごはんはおいしいとか、そうでもないとか、普段から文句ばか
1980年代末期… 日本をバブル崩壊が襲った あぶく銭を握った一部の人や、 真面目に働く人々も 株価や地価の暴落から資産を失った 1990年代には… 本邦の自死者は3万人を超える ある人は言った。 これは「心の戦争」だと… 当初、リストラという言葉は 「ヘッドハンティング」の意味があった。 しかし、バブル崩壊後には 仕事の「首切り」と同義語になる。 そして、大学新卒者は就職氷河期を迎え… 夢を追う若者たちは、働く前に 「未来との決別」を迫られた。 これが僅(わず)か四半世
いつでもよっちゃん 先日、孫の結婚の写真撮影に行く車内での息子と娘の会話で、息子が突然「我が家はちょっと変わっていたよね!」との言葉に、思わずびっくり。「いつも誰かが我が家にこられたり泊まられたり、時には、この人誰と、不思議に思うこともあったよね。でもいやだなあと思うこともなかったよね」と淡々と話をしてくれました。「どうして、そんな事があたり前の様に出来たんだろうね」と、息子はしみじみと話してくれました。 思わず、私は、「おばあちゃんの影響がすごかったと思うよ」と、そ
2年生 今年の結縁の集いは、私個人の質問にもお答えいただけたことがとても貴重で、本当に有難かったです。全部のお話が心に残りました。否定することなく優しく寄り添ってくださり、あたたかい気持ちになりました。 『後ろ向きな時があってもいい』『傷がある時にはその傷を痛めなくていい』とお聞きして「そうだよね。私は無理していたし、頑張っているよな」と思え、これまでの私を認めてもらえた感じがして嬉しかったです。 また、感情の出し方や、目標への取り組み方を教えていただき、「そう考えたら
学術研究室 北村友里江 立正佼成会の大聖堂の正面玄関を上っていくと、階段の上には文殊菩薩、弥勒菩薩、普賢菩薩の三枚の大漆絵が掲げられています。こちらの漆絵は、漆工芸家の巨匠、辻光典氏の作です。辻氏は、大聖堂が建立した翌年の昭和40年に、この漆絵を完成させました。辻氏は制作にあたり、菩薩の研究やイメージ作りに3年、絵の制作に1年を費やしています。完成から27年後の平成4年には、痛みが激しくなった漆絵を辻氏が修復してくださいました。[i] 辻氏はハルピンで生まれ、大自然豊かな
へっぽこ娘 特養に入居した母が慣れるまでは面会を控えていた姉弟も、先日の面会の様子を報告すると「そろそろ会いに行っても大丈夫かな」ということで、それぞれが日程を考え始めた矢先、施設から利用者さんの中にコロナ感染者が出てしまったとの連絡が入った。母は感染を免れたようだが、一人の症状が落ち着くとまた一人感染しているような状況が続き、結局姉弟の初めての面会はしばらくお預けになってしまった。 その間、姉弟が時間を見つけて母の部屋の片づけに来てくれると言う。母が特養に入居するやいな
<ペンネーム:noripy> 内容:引き続き、田んぼの畦畔づくりを行っていきました。土を盛っていくことが難しく、山にしても思うように固まりませんでしたが、湿り気のある土で隙間を埋めて、周りを少し押し固めてやると、バランスを保ったしっかりとした畦畔になり、立派な田んぼづくりが、また一つ前進していきました。
<ペンネーム:ミッフィーちゃん> はじめてとっとこに参加したこの日はちょうど誓いの言葉を考えていました。 最初は頭が誓いの言葉や寮生活のことでいっぱいでしたが、はじめての田んぼづくりの作業の中で体を目いっぱいに動かして美しい緑、鳥の声、風のせせらぎ、土のにおいに五感を刺激され、作業が終わったときには今まで味わったこともないほどの達成感と心地よい疲労感で心が満ち満ちていました。
天台法華宗の基軸となる「一念三千」には、不思議と奥行きの広さを感じる響きがある。三万、三億…の方が大きいのに、筆者は三千にシンパシーを覚える。何故だろう? 実は、小学生のころ涙したアニメがある…。 「母を訪ねて三千里」だ( ߹ᯅ߹ ) 主人公は少年マルコ。彼の母は、生活苦からか単身出稼ぎに国外へと旅立つ。その母への会いたさにマルコが一人で欧州からアンデスへと続くはるかな北を目指すのだ。 一言でいうと旅番組なのだが、心温まる出会いが彼を助けることになる…。世界との違いはあ