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その愛情は、誰のため?

9月12日の夕刻に、
イチョウの落枝による事故が起きて、
自分も何かできることをしなくては、
と思って以来、内容はさておき、
とにかく毎日noteを書く、
ことを続けてきました。

この時期は、外での
気力体力勝負の仕事が
連続していました。

で、毎日書くのは、
それまでの自分だったら
きっとムリ、だった気がします。

それが続いたのは、
読者さんに励まして頂いたのと
樹木もきっと応援してくれたから、
と感じています。

そろそろ、ペースをゆるめても?
と思っていた矢先、
次はこれを、が思い浮かぶ…

朝の早めの静かな時間帯は、
そういうのが、
どこからともなく、
やってくる感じなんですよね。

さて、で、今回のテーマ。

前回の記事を書いていて、
ふと思い浮かんだ
「愛の反対は憎しみではなく、
無関心である」。

マザーテレサのことばとして
紹介されることが多いと思いますが、
実は、ユダヤ系米国人作家の
エリ・ヴィーゼルの言葉、
と、あるサイトにありました。

「愛の反対は無関心である」マザー・テレサから愛を学ぶ

樹木に対する「愛」のようなものを
考えるとき、
ちょっと困った場面に
遭遇することがあります、
意外と少なくないかも?

例えば。

木の幹に、大きなサルノコシカケが
ついている。
これをどうするか?

今、ほとんどの樹木医さんは、
取らずにそのまま放っておきましょう、
と言うと思います。

理由は、取っても、
木にとってメリットがない
と考えられているから。

キノコからばらまかれる胞子は
すでに環境中に多量に存在する。
だから、その発生源の子実体を
(今さら)取っても、あまり意味がない。

そのように、腐朽(木が腐る現象)の
専門の先生は、説明されています。

それに、がしっとついているものを
無理矢理にはがすと
かえって木に傷がつきます。

木に傷をつけるのは、
病気や腐朽の予防、という観点からは
避けなくてはいけないことなのに…

ですが、ときどき、その考え方を聞いて
猛烈に怒る方がおられます。
いわく、「木に対する愛情がない ! 」

このような議論は、堂々巡りになり
終わりません。

ここで、タイトルの問いが生じます。

その愛情は、誰のためのもの?
本当に相手のためになっている?

これを冷静に、
できれば自然の法則
(自然科学)
に照らし合わせて
考えてみる必要がありそうです。

理由は、かんたんで、
思い込みによる愛情表現は、
相手にとって、悲しいかな、
迷惑行為になってしまうことが
少なくないから。

もちろん、科学や技術も
どんどん進歩して、
考え方も変わります。

空洞部に資材をつめる「外科手術」が
まさにそうで、
かつては、よいと考えられていたので
さかんに行われていました。

ですが、近年は、やらない方がよい、
と考える立場に
多くの方が、落ち着いている
と思います。

理由は、これも
木にとってメリットよりも
デメリットになる、
と考えられるようになったから。

進歩する、ということは
常に変化する、
ということなのだと思います。

ただし、「今、考えられる最善の対策」
というのはあると思うので、
「思い込み」とか「とらわれ」なく、
方法を検討する、というのは
とても大切な態度だと思います。

そういう意味で、オープンな態度で
情報交換する、というのは大切、
と思います。

最初は、この記事で、
木の苦手なことをずらすら書こう
と思っていましたが、
なぜかこのような展開に…

大事なテーマだと思いますので
書いておきたい、木の苦手なこと。
これ以上長くなるのも、なので、
続きは次回、にいたします。

なんてやっていると、
エンドレスになってしまいそう…

われながら、よく書くことが
次々と見つかるな、とあきれます。

が、それも、長い時間をかけて
木からたくさんのものを
与えてもらってきたから、
なのだと思います。

この豊かな経験を、
読んで下さるみなさんと
分かち合いたい、と思うから、
いくらでも書き続けられるのでしょうね。

よろしければ、いましばらく
おつきあい頂けたら、幸いです。




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樹木も人も笑顔に、樹木医mimi  ( 三戸 久美子 )
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