樹木が教えてくれること 文化財・保護樹木編
今朝、朝イチバンにやってきたことばが、これ。
「財産を受け継いでいく」。
今は、いろんな意味で厳しい生活をしている人も多く?
「財産」と言われても、人ごとだったり、
あるのは「負の財産」というため息だったり?
ですが。
生きている人には、みんなに、もれなく
与えられている財産がある、と思っています。
それは、自然環境や資源、景観、
四季の移り変わり等、
日本で暮らしているだけで、
自動的に与えられている
「自然からの恵み」ですね。
思うに、これを貴重な財産だと
思わなくなってきた、
ありがたい、
と感じられなくなってきたことが
いろんな問題の発端なのではないか?
仕事柄、「文化財保護審議委員」や
国の天然記念物の「保存指導委員」、
保護のためのアドバイザー的な
お役目がまわってきます。
書きながら思い出すと、
そういえば、仕事を始めた約30年前から
区の名木調査に関わらせてもらっていたので
ずっとずっと立派で大切な樹木とともに
過ごしてきました。
それで感じるのですが、
今は、最高級に大切にされるはずの文化財、
国の天然記念物であっても、
将来性は、全然、安泰ではありません。
今は、そのあたりで
ふつうに暮らす木と同様に
関係者には迷惑がられ、邪魔者あつかいされ、
切りたいと言われるようになってきました。
文化財、天然記念物、という「印籠」は
すっかり効力を失っているようです。
「文化財」指定とは、
世代をこえて財産を引き継ぎ、
守りつづけていく、
という決意だったはず。
そのような樹木でさえ、脅かすものは何?
経済性、安全性、効率、
好き嫌い、
カラスが止まってフンをするから迷惑とか、
それはもう、たくさんあります。
最初の頃(数年前まで)は、
このようなご意見を
たまわるたびごとに
腰が抜けそうになっていました。
ですが、最近は、「またきた」くらいです。
その変化が意味することを考えてみたいです。
優位性をもつ、声の大きなだれかのための
経済性や効率、好みで
他者を切り捨てる社会は
樹木ばかりでなく、
まちがいなく、人も切り捨てるでしょう。
樹木の生きやすさのことを
ずっと気にかけて長年過ごしているうち、
樹木と、大きな声で強く主張できない人へのあつかいは、
リンクしているんだな、と気づきました。
樹木を大切にしよう、というのは、
強者である人間が、弱者を保護する
というのでは、なかったんですね。
樹木が大切にされるような
社会やしくみをつくっておかないと、
自分たちも、
いずれ邪魔者あつかいされ
切り捨てられる
ということなのだと思います。
無理解に苦しみつつ生きる
樹木の後ろ姿は、
未来の自分の姿の暗示なのかも?
静かに生きる樹木は、
その背中で、いろんなことを語り
教えてくれていました。
だから、シリーズで書いていくつもり。