長い目で見て、ソンをしないように?
今朝、起きてすぐに、
気になったことばは「謙虚さ」。
「承認欲求」とか「自己肯定感」などが
重視される最近では、
古くさい感じのする
昭和なことばに
聞こえるかもしれないですね。
ですが。
近年、仕事をしていて
思うことがあります。
人間は、自然界に対して
もっと謙虚であった方が
よいのではないか?
というのも、最近は、
意見を言えば、思い通りになる、
だったら、言わないとソン、
という社会・時代の空気
になってきた?と感じるので。
だから、「樹木は迷惑、切って!」
とか「この木は危ないよ!」
という人が1人でもいると、
そのまま切られてしまうことも。
そして、ご近所で
ある木が切られると、
「うちのも切ってよ!」
と連鎖反応的になることも
最近では多いそうです。
その樹木は、長くその場所で
人間とともに、ずっと一緒に
生活してきた存在です。
今になってなぜ??
最近の空気感として、
なんとなく、
不公平さを感じることが多く、
その怒りをどこかに、だれかに
向けないと
気分がおさまらないのかも?
そんなとき、黙って立っていて
過酷なあつかいを受けても
じっと耐え、
他者のために役立ちつづけよう
としてくれる樹木は、
受け止め役として
よいターゲットなのかもしれません。
子どもの声がうるさい、
と言われるから、
公園を閉鎖する、という時代です。
樹木が邪魔に感じられる感覚は
それほど珍しくないものに
変わってきたのかもしれません。
ですが、30年近く仕事を
してきた身にはヒシヒシと、ですが、
これはわりと最近の変化です。
このような、自分の好みで
他者を排除しようとするやり方は、
生物多様性を確実に悪化させます。
(すでに、悪化させてきましたよね?)
樹木を、特に大きな木を
1本切ることで、
そこの環境と生物相が
どれくらい大きな影響を受けるか?
想像がつくと、怖くなります。
そして。自分の好みを
「主張しないとソン」な
社会や時代の空気と行動パターンと、
大学生の守りの堅い気質や
行動パターンへの変化とは、
ねっこでつながっている気がします。
このようなやり方の行き着く先は?
自分は、人間は、
好ましくないと感じる他者を
邪魔者あつかいし、
排除しようとできるかもしれない。
でもそんな強い立場で
いつでも、ずっと
いられるものでしょうか?
たぶん、
邪魔もの扱いすれば、
邪魔もの扱いされる。
そういう未来を想像すると、
ちょっと怖いな、と感じますが
どうでしょう?