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二重線の、その下に見つけたもの。

模写 

 僕には好きな言葉を書き留める専用のノートがある。柔らかくて優しい触り心地で、湯葉のような書き味の黒いリングノートだ。僕が今までに触れてきた言葉が沢山詰まっている。

映画のセリフ

好きな本の一文

ほぼ日手帳の下にある引用

気に入った誰かのツイート

心に刺さったnoteの一節

好きな歌詞

 文字通り「一言一句そのまま」書き写してある。僕には圧倒的に言葉が足りないから、お手本を模写をするのだ。この試みを始めてかなり経つのだが、模写をする中で気づいたことがある。

どんなに短い文章でも結構な頻度で書き損じてしまう。

 万年筆やボールペンで書くので、書き間違えた個所は二重線で消して、訂正をする羽目になる。最初は本当に嫌だった。僕は万年筆やボールペンで大人っぽく手書きの言葉をまとめたいのに、気づけば二重線ばかりになった。修正テープでは汚くなるし、修正液なんてもってのほかだ。一応切り取り線のついたノートだから、書き損じたページはすぐに破り捨てられるけれど、表面にびっしり書き込まれたページの裏面で書き損じてしまった時には八方塞がりだ。
 感銘を受けた内容さえ記録出来ていれば、末端を気にする必要はない気もする。しかし、エッセイを書くにあたって誰かの言葉を引用する際に、ニュアンスだけを残して細部が曖昧な引用になるのが嫌なので、何としても言葉遣いの末端まで忠実に記録したかった。二兎は追えないから、僕は二重線のない綺麗な体裁を諦めた。

 しかし、「なぜ頻繁に書き損じるのか」という疑問は消えなかった。自分の考えを書く時はつらつらと数千字を書き上げられるのに、どうしてほんの数十字を間違えるのか?

記憶力が金魚並みなのか、それとも。。。

 まず、僕は自分の記憶力を疑った。もしかしたら、金魚ほどの記憶力しかなくて、数十字の短文を模写するのに必要な記憶力が欠落しているのかもしれない。しかし、どう考えてもそれはあり得ない。何年も前の情景を昨日のことのように難なく書けるのに記憶力が悪いわけない。
 でも、それは情景に思い入れがあるからではないか?中学2年の3月4日の朝食なんて覚えていないし、なんなら昨日の昼食すら思い出せない。どうでもいいものに対して、記憶力というものは恐ろしいほど振り向かない。
 それでは、僕が模写する文章を細部まで覚えられないのは、思い入れがないからだろうか。

 きっとそれも違う。心が揺れ動いて思い入れが出来たから、僕はその言葉を模写する。模写した言葉を何度も見返して、死ぬまで忘れることはない。きっとこの先の人生の飲み会の中で、世界津々浦々の酒場で披露することになるだろう。

ここまで来て、一つのアイデアが降ってきた。

「癖」

 冷静に考えれば、「癖」なんて理由は真っ先に思いついても良さそうだが、頭でっかちな僕には他の選択肢を幾つか潰すことでようやく見えた。模写する言葉の元の持ち主の「癖」と僕の「癖」が違うから、短い言葉でも細部を書き損じまくるのではないか。
 そこで僕は、アルファベットを用いる、かつ、馴染みのない言語の名言を模写してみた。ラテン語とフランス語だ。結果は予想通りで、書き損じることなく、難なく模写出来た。理由は簡単だ。僕はそれらの言語を使いこなせなくて、「癖」がないからだ。意味も文法もわからないまま、ただ記号を順序通りに写しただけでしかない。

 記号と順序は書き言葉の本質だ。ここまで散々、模写で書き損じると言ってきたが、別に文章に誤字脱字や文法的な誤りが見られるということではない。ただ、引用元のオリジナルと一致しないというだけだ。つまり、「癖」によって記号が置き換わったり、省かれたり、付け加えられたり、順序が前後しているのだ。少し知的な言葉で表現すると、《再構築》となる。
 《再構築》という言葉に対しては、「リストラ」「ペレストロイカ」に代表される組織改革のように、壮大で小難しいイメージがあったので自分でも驚いた。僕が信じられない頻度で繰り返して、頭を抱えていた厄介な「書き損じ癖」は、無意識な《再構築》だったのだ。

友人がくれたヒントと発見

 この話を友人にすると、彼は「俺は普通に模写できるぞ」と言い放った。
「え…」
僕が自信満々の持論が通じず困っていると、彼は続けた。

「お前は何でもかんでも考え込むのが好きやん。料理で言うと、何でもかんでも微塵切りにして旨味を残らず搾り取る感じ。何やっけあれ。こ、こ、『こ』から始まるやつ。」
「コンカッセ?」
「そう!お前は言葉をすぐコンカッセして、概念化するからそれは仕方がない。」
「ドヤるのはいいけど、コンカッセ最初に教えたの僕だからな。」
「うるさいなぁ。」

 なるほど。人生の出来事から本質を抽出して意味付けを行う僕の創作スタンスが、「言葉が足りない」という劣等感と相まって、入ってくる言葉をすぐさま木端微塵にして自分のものにするという「癖」を形成しているのか。

 要するに、誰かの言葉に触れて感銘を受けてから、直前に再確認して書き込むその瞬間までの間に、言葉は僕の中で消化されて概念となり、オリジナルとは味わいが異なる《再構築》されたものが出てきていたのだ。

オリジナルとは味わいが異なる…
オリジナルではない…
じゃあ、誰のものだ?
この話の登場人物はあと一人しか残されていない。
流石にもう分かる。

結論が出た僕はノートを手に取った。
ペラペラと捲れるページから生まれたそよ風が頬を撫でて、紙とインクの匂いが鼻をくすぐる。
流れる紙の中には、今まで集めてきた言葉たちと、沢山の訂正の二重線がある。

やっぱりそうだ。

消せないペンで書いてよかった。
白く染めて無かったことにしなくてよかった。

今まで邪魔としか思っていなかった二重線の、その下にいたのは、我が強い「僕の言葉」だった。

なんだそんなところにいたのか。

僕は少し嬉しくなった。

*追記*
 最後に、今回のテーマの僕の言葉ノートから好きな言葉を一つ紹介する。

*Special Thanks*
 −naoさん(ヘッダーイラスト)
 −南葦ミトさん(構成FB)
 −七屋糸さん(構成FB)
 −コメノツブさん(タイトルFB)

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