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「正しさ」の主張って、なんだかちょっと攻撃的ーあなたの言葉は誰かにとっての雑音でもある②
自分の意見も、他人にとっては雑音になりえる
という最近のエイブラハムの言葉をもとに、
今週感じたことを書いてます。
前回の記事はこちら
自分の意見を持つことは素晴らしい!
当たり前ですが、自分の意見を持って主張できる国に住めるのは
幸せですよね。
自分にとって心地よいと感じる生き方を追求する、自由がある!
でも、その自由を享受するなら、他人の自由も認めなければなりません。
ここが、案外難しい!
特に、自分の「正しさ」を押しつけ始めると、人間関係のバランスは途端に崩れてしまいます。
例えば、思想、政治、宗教、お金の使い方、教育、子育て、家庭のあり方など、さまざまなテーマで自分の意見を持つのは自然なこと。
でも、異なる意見を認めることができないと、自分と同じ価値観を持つ人たちの中でしか「いい気分」になれなくなってしまう。
義理の娘との経験から
先週、我が家に泊まりに来た夫の次女が、このテーマを考えさせるきっかけをくれました。エイブラハムの言う「雑音」の話にシンクロする出来事でした。
彼女は高学歴で高収入、いわゆる、すごくデキた人。私とも仲良くしてくれていますが、根本的な価値観がかなり違ってるのも事実。それを乗り越えて楽しくお喋りをしている中で、知らず知らずのうちに境界線を越えて自分の意見を押しつけてくることがあります。。。まだ若いから仕方ないし、そこは私が受け入れるしかないのですが。
そんな彼女が、義理の弟となった私の息子との関係を深めたいということで、近所に引っ越した息子を交えて食事の機会を増やしました。
息子は彼女との価値観の違いを敏感に察知し、深掘りする話題を避けていました。共通点を見つけ、楽しい会話をしようと努めていたのです。
ところが、彼女はその違いを知りながらも無邪気にそれを引っ張り出し、自分の意見を一方的に語り続けることが幾度となくあって。その姿は明るく楽しそうですが、聞いている側にとっては神経を逆撫でするような内容になることもあり、息子はドン引き。かなり白けてしまいました。
自由を尊重するために
自分の意見を持つことは素晴らしいことですが、それを他人に押しつけると、相手にとってはただの雑音になりかねません。
私の息子もまだまだそこまで器は大きくないし、聡明である一方でそうした配慮ができなかった次女にはちょっと私もびっくりしました。
信頼関係が築けていない相手に対して、政治や宗教、金銭に関する話題を一方的に語るのは、特にアメリカの文化ではマナー違反とされます。実際に、こうした話題でディナーの席を険悪な雰囲気にしてしまい、その後パーティに招かれなくなった人を何人も見てきました。
正解ってなに??
「正解」とは何でしょうか。
20代の頃から数か国で暮らしてきた私は、その答えを見失ってしまいました。たとえば、教育や病院のシステム、政治経済、家族の在り方、都市計画。どの国がいいのか、ダメなのか。いくら誰かと話し合ってみたところで、絶対的な正解が出ることはないのです。それぞれの社会や文化には独自の良さがあり、視点や価値観によって答えが変わるからです。
そして今では、「正しさ」にこだわる気持ちもすっかりと薄れています。
完璧主義に生きることは私には無理。
そもそも、宇宙の法則やマインドフルネスは、ジャッジしない生き方の教えです。宇宙から見れば、「正しい」や「間違い」といった判断はなく、すべては経験や選択の一部なのです。
私たちが普段の生活で何かを「正しい」「間違い」と判断する基準は、実は相対的であり、宇宙の視点に立つと、こうした判断基準そのものが人間が作り出したものであり、普遍的なものではないという考えです。
今の私は、自分自身に愛と光を灯しながら、「自由に生きる」ことを大切にしているので、あまりに攻撃的に「正義」を振りかざす人を見ると、その内容に共感できたとしても、ちょっと違和感を持ってしまうのです。。。
正義と「攻撃のエネルギー」
「悪を排除したい」
「世の中を修復したい」
と強く願う人々の中には、気づかないうちに攻撃的なエネルギーを発してしまうことが多いと思いませんか。
本人としては愛から来る意図だとしても、怒りのために波動が下がり、周囲には雑音のように感じられることが多いのです。そして、正しさを証明したいと思うほど、自分が創り出す世界には悪の存在が必要となり、絶えず討論する結果を招いてしまいます。
自分の信じていることの対極にいる人たちを、悪者にしてしまうのも聞いていて辛いところ。世の中、そんなに白黒はっきりさせられることばかりではないし、自由意志で動いてる人ばかりでもありません。
もちろん、こうした雑音に感じるかどうかは、受け取り側の状態にもよります。
私の夫は、次女の意見に賛同していなくても、娘を無条件に愛し、その本質を見つめているので波動がぶれることがありません。
だから本当は、私もステップ母として彼のような気持ちになっていたいのですが、まだその域には達していないと気づかされました。。笑
まあ、それでも、「私は仙人ではないし、100%手放すことは無理。今はまだ、それでもいい」と思っています。夫もその部分は「義理の弟と仲よくする秘訣」として彼女にちょっとアドバイスしたみたいですが。
言葉と波動の力
自分の意見を持つこと、そしてそれを表現することは悪いことではないのです。
私もかつてフランス人の元彼とのデートでは、毎回討論になってたし、意見を白熱的に交換する仲間がいるのは楽しいですよね。また選挙の前後などは、そのつもりがなくても、結局そういう会話になってしまうし。
でも、批判や意見の押し付けをしてる人の波動やっぱり低い。。。
どれほど明るいトーンで語られていても、背後に怒りや不安があれば、相手心は閉ざされてしまうことの方が多いはず
エイブラハムの有名な言葉
「アラインしている1人の力は、アラインしていない100人よりも強力である。」
宇宙の源(ソース)と調和し、自分の内なる存在と一致しているとき、思考や感情はポジティブなエネルギーに満ち、意図や願望がスムーズに現実化します。宇宙から見れば、「正しい」や「間違い」といった判断はなく、すべては経験や選択の一部なのです。
異なった意見があるにせよ、幸せ、心地よさ、満足、安心や安全、喜びにフォーカスして愛や感謝に戻ってくれば、他人との繋がりは簡単に起きてくるし、その部分で繋がっていれば、多様性を受け入れることもできてくる。
雑音というよりは、ホワイトノイズに聞こえるかもしれません。
それは、自分の人生の中にあってもOKな雑音です。
そんなことを改めて考えたひとときを与えてくれた義理娘にも感謝です。
ということで、
最後までお読みくださりありがとうございます!
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