「気流の鳴る音」オンライン読書会 2020年5月30日/ホリム・ベイ
毎週土曜日の20-22時。気流舎の名前の元になった真木悠介「気流の鳴る音」のオンライン読書会を行なっています。
各自が本の好きな場所を1時間黙読する読書会です。
なので、どの会からでも参加可能です。他の本でもオーケー。
静かに雑音を共有しつつ少しくらいなら喋ってもいい図書館みたいなイメージ。
後半の1時間は、その日、どんな箇所に惹かれたかを共有する時間にしています。企画はホリム・ベイ。
参加者の方がブログで書いてくれました!
https://gonna-dance.hatenablog.com/entry/stroll/kiryushabookclub
気流舎オンライン読書会、~新しい体験との出会い - dancer's life
いつもの記録。
↓
*参加者A 真木悠介『気流の鳴る音』
『これはおまえが戦士について知らねばならん最後のことだが、戦士は自分の世界を作っている項目を選び出すのだ。」と、ドン・ファンが話しはじめる。「前におまえが盟友に会ってわしがおまえを二度洗ったときな、あのとき何が悪かったか知っとる?」
「いいや。」
「自分の盾をなくしちまったのさ。」
「盾って?何のことだい?」
「戦士は自分の世界をつくる項目を選び出すといったのだ。注意深くな。なぜなら自分の選ぶ項目のひとつひとつが、自分で使おうとしとる力の攻撃から身を守る盾なんだからな。たとえば、戦士は自分の盟友から身を守るためにその盾を使うのさ。ふつうの人間もおなじようにそういうふしぎな力にかこまれておるのだが、そのことに気がつかないのさ。それはふつうの人間は、自分を守るのに別の種類の盾をもっておるからだ。」
「その盾って何だい?」
「人のすることさ。」
「人が何をするって?」
「そうだな。まわりを見まわしてみる。人びとは人のすることをすることで大忙しだ。それが連中の盾なのさ。さっき話していたふしぎな不屈の力に呪術師が出会うときには、いつでも彼の裂け目が開いて、ふつうの人間以上に死に影響されやすくなるんだ。わしらはその裂け目をとおして死ぬんだと前にも言っただろう。だから裂け目が開いていたら、いつでもそれを埋められるように自分の意志をしておかなければならんのだ。もしそいつが戦士ならばだがな。もしおまえみたいに、戦士でないばあいには、力との出会いの衝撃から気を取り戻して自分の裂け目を閉じさせるために、日常生活での活動を使うより仕方がないのさ。」
(「気流の鳴る音 交響するコミューン」文庫p129 Ⅲ「統禦された愚」 ——— 意志を意志する / 自分の力から身を守る盾)
『気流の鳴る音―交響するコミューン 』+気流舎ステッカー セットA
https://kiryuusha.shopselect.net/items/28485504
『気流の鳴る音―交響するコミューン』+気流舎ステッカー セットB
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*参加者B カスタネダ「呪術師と私 ドン・ファンの教え」真崎義博 訳(二見書房)
「盟友っていうのはどんなたぐいの力なんだい」
「補助さ。もう話したろう」
「どうやって補助するんだい」
「盟友ってのはだな、人間をそいち自身を超えた所へ運ぶ力さ。これが人間じゃできないことを見せてくれる仕方なんだ」
「でもメスカリトだって自分自身の領域の外へ連れていってくれるだろ。彼は盟友にならないのかい」
「ならん。メスカリトは教えるためにお前自身の外へ連れて行くんだ。盟友は力を与えるためだ
(p61 第1部 教え 2メスカリトとの出会い)
「今は、力はお前のためにはいいさ。お前は若いし、インディアンでもない。たぶんデビルス・ウィードはお前の手中で良いことだろうよ。どうもお前はそれが好きになったようだな。そいつは力強く感じさせてくれるし、わし自身もそう感ずる、だがそれでもわしはそれが好きではないんだ」
「なぜだい、ドン・ファン」
「わしはそいつの力が好かんのだ!もはや何の使いみちもない。以前には、わしの恩師が言ったように、力を求める理由があった。驚くようなことをやってのける人たちは、その強さに敬服され。その知識のために恐れられ尊敬されたんだ。わしの恩師が。ずっとずっと昔の本当にあったものすごいわざの話をしてくれた。だが今、わしらインディアンはそういう力をもはや求めていないのさ。近頃じゃ、インディアンは自分自身をマッサージするのにその草を使ってるよ。だが葉と花は別なことに使うんだ。それができものに効くと言っとる。それでも彼らはその力を求めはせん。
(p77 第1部 教え 2メスカリトとの出会い)
「わしの恩師がわしにそれを教え始めるときに言った通りをお前に話すことから始めよう。その時わしには今のお前のように何もわからなかったがな。『デビルス・ウィードは力を求める者のためにある。煙は物を見とおそうとする者のためにある』。それから、わしの考えでは煙は比類のないものだ。人が一度その世界に入りこんだら、他のあらゆる力はそいつの意のままなのさ。それはすばらしいもんだ!むろんそうなるには一生かかるがな
(p81 第1部 教え 2メスカリトとの出会い)
呪術師と私 ドン・ファンの教え|二見書房
https://www.futami.co.jp/book/index.php?isbn=9784576000299
*参加者C 赤坂憲雄『ナウシカ考 風の谷の黙示録』(岩波書店)2019年
ところで、その墓所の主に仕える教団は、あくまでホモソーシャルな集団である。想像をたくましくすれば、生殖によってではなく、ヒドラの技術でコピーが千年間にわたって複製されてきたのではなかったか。だから、かれらには死というものがなく、墓もまた必要とされない。単性生殖には誤差や逸脱がかぎりなくすくない利点があって、再生プログラムがたとえ千年を超える時間であっても、安定的に進行してゆくことが期待できる。それにたいして、シュワの庭には、庭を訪れた人々の墓が固有名を刻まれて、整然と並んでいる共同墓地があった(7-120)。そういえば、シュワの墓所の最深部には、清浄な世界にもどったときに未来の人間へと孵化させる卵が隠され、保存されていたのではなかったか。それをオーマが踏みつぶしたとき、墓所の主はウオン、ウオンと泣いた。やはり、旧人類は、有性生殖を拒んでいたにちがいない。それは、プログラミングされた未来をいつだって嘲弄するカオスを抱いているからだ。ジョージ・ミラー監督の『マッドマックス 怒りのデス・ロード』では、核戦争のあとに生まれた独裁者の帝国が、まさに、その有性生殖をはらむ未来予測の不確実性によって崩壊していった。思えば、性の現場はいつだって、裏切り者を排出する魅惑に満ちたフィールドである。
(第4章 黙示録 物語の終わりに Pg.313, L10 – pg314. L4)
ナウシカ考 - 岩波書店
https://www.iwanami.co.jp/book/b482341.html
*参加者 D ヘンリー・D. ソロー『ウォールデン 森の生活』 訳 今泉吉晴(小学館)
『このようにバッファローと同じく動物には、食物と避難場所のふたつが ”暮らしに必須な物” でしょう。では、私たち人間の “暮らしに必要な物” といったらどうでしょう。食物と避難場所(住居)に加え、衣服と燃料という四つの項目を挙げなければなりません。人は、これら四つの “暮らしに必要な物” を手に入れて初めて、暮らしの次の段階の問題を考える用意ができます。そして、人として生きる自由を得て、暮らしの展望が開けます。』(p22)
『貧しい人たちは、「なんと冷たい世界であることか」と、この世を嘆きます。人の世の冷たさとは、物理的な冷たさである以上に、社会の冷たさであることは言うまでもありません。しかし、物理的な冷たさが人の苦しみの多くを占めていることは注目していいでしょう。土地にもよりますが、夏なら私たち人間も、まるでエリシュオン*の住人です。食物の調理のためを別にすれば、夏の暮らしに燃料はいりません。太陽が人の火であり、太陽の輻射熱で果実が絶妙に調理されます。』
(*エリシュオンとはギリシャ神話で、有徳の暮らしによって最終的に地上にもたらされる、完璧な幸福の草原。)(p24)
『人はなぜ、これほど堕落しやすいのでしょうか? いったい贅沢の何が人を堕落させ、破滅に導くのでしょうか?』(p25)
『昔、私が飼っていた一頭のハウンド(猟犬)、一頭の鹿毛の馬、それに一羽のナゲキバトがいなくなりました*。私は今も、それらの動物たちを探しています。私が、動物たちがいなくなったいきさつと、どう呼んだら応えるかを話せた相手の多くは旅人でした。ハウンドの鳴き声や馬のいななきを聞いたという人もひとりふたりいましたし、雲のかなたに飛び去るナゲキバトを見たという人までいました。彼らは、いなくなった自分の動物を探すのと同じように、私の動物たちを心配してくれました。 』
(*普通、ハウンドは友情を、馬は信頼を、ハトは愛を象徴し、喪失の経験を表現してると解される。)(p28)
ウォールデン 森の生活 上 | 小学館
https://www.shogakukan.co.jp/books/09406294
*参加者E 鶴見俊輔「限界芸術論」
『純粋芸術は専門的芸術家によってつくられ,それぞれの専門種目の作品の系列にたいして親しみをもつ専 門的享受者をもつ。大衆芸術は,これまた専門的芸術家によってつくられはするが,制作過程はむしろ企業 家と専門的芸術家の合作の形をとり,その享受者としては大衆をもつ。限界芸術は,非専門家によってつく られ,非専門的享受者によって享受される。』
筑摩書房 限界芸術論 / 鶴見 俊輔 著
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480085252/
*雑談
「のぼうの城、田植えと、限界芸術と重なる」
*
「ひまになると精神がインフレ起こすってユングが言っていた」という話が当日あり、
「ユング インフレーション」で検索すると自我肥大、エゴ・インフレーションという用語が見えて、さらに調べているとYahoo!知恵袋がすごかったので、そして「気流の鳴る音」とも通ずると感じたので(とくにこの日の分)、全文を引用します。
答えているのはお寺の住職さんのよう。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1340892163
1:魔境 2:憎上慢 3:自我肥大・・
これらの言葉に関してそれぞれのもつ意味、どのような過程において、
これらの感情が現れてきたり助長してしまう恐れが御座いますか?
できれば宗教や心理学などに詳しい方の御回答お待ちしております。
ベストアンサーに選ばれた回答
等覚寺雅道さん 2010/5/1622:31:14
カール・グスタフ・ユングのパーソナル心理学に於いて「自我肥大」(エゴインフレーション)は、ユングの言う完全なる「個性化」すなわち、極言すれば「自己とは全宇宙」に至る過程において、誰でも陥りがちな自我と宇宙が同一になったような一体感を覚える事に起因する異常な自己陶酔的な優越感を伴う心理状態であると説明されています。
無意識層の中で個人的無意識の底流に横たわる集合無意識層の最底流には地球的無意識と表現してもよい領域があり、そこに到達した時点は将に生と死の接点であるとも言えます。
ユングは自己の体験を通して「地球そのものを目の当たりに見たようだった」と述べています。
実に佛教の優れた視点は、自らは他の一切すなわち全宇宙に支えられた「縁起」なるものであり、その本質は「無我」であると説く点にありますが、この場合に自らが宇宙の全てに支えられた存在であるという視点を見出すことが出来なければ、自我に対する極度の実体視を伴い、自我は自らの足元を見失って過剰な優越感に浸り、やがては自らが神になったかのような傲慢な心理状態に陥ることがあります。
また、その裏腹として自己の存在意義を喪失し、虚無の恐怖に打ち克つ為に自ら自我を実体視して肥大化させているとも言えます。
自らを実体視し肥大化させると言う事は逆に虚無の恐怖に晒されることでもあるのです。
膨らんだ自我は再び萎みはじめますが、膨らんだ風船が萎めば元に戻らないように、一度極度に肥大化した自我を復元するのは至難の業なのです。
自らの深層心理の世界に内観によって分け入る者がともすれば陥りがちな危険な状態でもあります。
ユングは「魂のインフレーション」と表現しましたが、これは人間らしい感情からの決別と、非感情的な精神レベル、換言すれば生と死の接点に現出する心理状態であると言えます。
「自らが神である」あるいは「人間を超えた存在者」であるという感情に支配されることは、ある意味では自ら人間性を全否定する傲慢の権化となる事を意味します。
この異常な精神状態はニーチェの言う「永遠回帰(永劫回帰)」に相当するとユングは考えたようです。
文学部の学生がニーチェの思想を哲学や文学の分野で学んで、その思想哲学の理解に苦しむのも道理で、彼の文章は論理的に破綻している箇所が少なくなく、哲学や文学の分野で理解するよりも心理学的に解釈したほうが理解し易いと言われる所以です。
ユングは東洋の宗教の中でも佛教に非常に造詣が深かった心理学者ですが、それは彼が「ブツダこそ魂の領域の征服者」だと評していることからも伺えます。
佛教に於ける「自我肥大(エゴインフレーション)」の過程に相当する概念は「魔境」であると考えられます。
「魔境」とは佛教的内観とも言える禅定を修行する者が、一度は体験し、それを見破り克服しなければならない佛道を妨げる魔の領域であると言えます。
中国隋代の高僧である天台大師智顗(ちぎ)の講義を弟子の章安大師灌頂(かんちょう)が筆録した『摩訶止観』巻八下には「魔事境」として詳細に説かれていますが、その趣旨は概ねユングの見解に酷似しています。
魔事とは「禅魔」に憑依された精神状態であり、禅定の未完成な段階(有漏の禅定)を、禅定の極致であると思い込み、現に仏陀が現れて、自らは仏陀の無上の法を体得したのだという歓喜に打ち震え、そこから自らは大した者だという異常な優越感に浸り、やがては自分は勝れた無上の法(増上の法)を証得し、他に勝ると思い込み他を見下すような心理状態に陥って、向上心を喪失する。
これが「増上慢(ぞうじょうまん)」の意味です。
心理学で言うと、これは極度の自我肥大によって引き起こされた精神状態であると言えます。
この状態を佛教では「野狐禅(やこぜん)」と呼んで誡めています。
天台宗では『法華経』の「宥和一致」の教えに依拠した禅の初学者に対する指南書である『摩訶止観』を学ぶことは必須であり、「教観双美」してはじめて正しい仏道修行が出来ると説いています。
また「教外別伝不立文字」と立てる禅宗に於いても、経典の言葉に拘泥する事無く、しかも経典や論釈の言葉を尊重し、師匠に師事することの重要性を説くのはその為です。
「生兵法(なまびょうほう)は怪我の元」という言葉がありますが、「心理学的あるいは佛教における『止観(禅観)』の知識を持たない人が興味本位で、禅の真似事はしない方がよい」と、故・水上勉氏が仰せだったことも頷けます。
「下手の鉄砲も数撃ちゃ当たる」では有りませんが、座禅して、今までにない特殊な精神状態になり、仏や神の姿を目の当たりにする事が、たまにあるそうですが、それは間違いなく魔境特有の現象であると考えた方がよいでしょう。
深層心理における精神的アンバランスは日常生活における独善的な態度や傲慢な発想に無意識のうちに結びつき易いので、くれぐれも注意が必要です。
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米ミネソタ州ミネアポリスでの警官による黒人の殺害とその後の対応、暴動への発展などに対して話す
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テイラー・スウィフト、白人の警官に殺害された黒人をめぐってトランプ大統領を批判 | NME Japan
https://nme-jp.com/news/89502/
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友人のライター 高岡くんが最近参加したという
情報誌「地域人」 第57号
「新しい祭り」が地域を活気づける ──演劇・ダンス・音楽・マルシェ
https://chiikijin.chikouken.org
立ち読み
https://chiikijin.chikouken.org/wp-content/uploads/2020/05/ilovepdf_merged-6.pdf
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木澤佐登志『ニック・ランドと新反動主義現代世界を覆う〈ダーク〉な思想』
https://www.seikaisha.co.jp/information/2019/05/08-post-NL.html
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マーク・フィッシャー『資本主義リアリズム』 訳 セバスチャン・ブロイ/河南瑠莉
https://info1103.stores.jp/items/5a60b27fc8f22c7a66001d95
マーク・フィッシャー
『わが人生の幽霊たち――うつ病、憑在論、失われた未来』訳 五井健太郎
http://www.ele-king.net/books/006696/
アシッド共産主義という魅惑的な響き、書かれなかった『アシッド・コミュニズム(Acid Communism)』が読みたい。(マーク・フィッシャーは2017年48歳の時に自死)
(文責 ホリム・ベイ)
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バーチャル気流舎が楽しくできるのも、下北沢にお店があってこそ。
楽しかったら、お店を維持するためにチャイやビール飲んだつもりの気分でドネーションお願い。このnoteのサポート機能などもあります。もろもろタイミングでお願いします!
‟zoom気流舎”券 | kiryuusha
https://kiryuusha.shopselect.net/items/29005572
paypalもあります。
気流舎 協同有限責任事業組合 paypal
https://www.paypal.me/kiryuusha
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気流舎オンラインショップも始めました。選書はおもにハーポ部長。
気流舎BASE
https://kiryuusha.shopselect.net
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ホリム・ベイtwitter https://twitter.com/HorimBey
ホリム・ベイnote https://note.com/horimbey