#338 自己肯定感の向こう側

338回目です。
最近の我が娘もろ子さんは沢山の言葉を覚えてきまして、カワイイと言うようになりました。
ミニーを見てはカワイイ、クマの人形を見てはカワイイ。

しかし1番カワイイと言うのは自分の写った写真です。

それはもうでっけぇ声でカワイイ!!!と絶叫します。
カワイイ?とかでは無く断定のカワイイ!!
自己肯定感に神様がステ振りしてくれなかった僕の娘とは思えないほどの自己肯定感です。

まだ何の悪意も無いもろ子さんのもろ子カワイイ!がとても眩しく感じます。

僕は親に否定されて育って来ました、もろ子さんと同じ小さい頃は山ほど持っていた筈の自己肯定感は、親の長年にわたる罵りや謗り、否定の言葉で徐々に乾いて行き、やがてカラカラに乾き切りそれでも止まない暴言暴力で砂になり消えて行きました。

消えてしまった自己肯定感は、気がついてから何とか掻き集めようとしても指の間をサラサラとすり抜けて行き、集めることが出来ません。

何とかまとめようと水をかけてもかけても砂は水を留めてはくれず、何処かへ流れて行きます。

今の所は、ですが。

だからこそもろ子さんの悪意の無い自己肯定はとても眩しく僕の目に映ります、それこそ正視できない程に眩しいのです。

僕がこれから1人の親として彼女にしてあげられる事は何でしょうか。

全てを肯定する、と言うのも違うような気はします。
誰かよりも私はカワイイ、私の方がエライ、そう言った思考になってしまうのは避けたいのです。

ですがそれでも極力全てを肯定してあげたいと思うのです。

この気持ちは自分が得られなかった物を娘に擦りつけているのでしょうか、独りよがりで膨らんだ自らのエゴの吐口を彼女への肯定と言う言葉に変えて自分を救いたいだけなのでしょうか。

なかなか難しいですが、それでも彼女を大切にしたいと言う思いは今の所おかしな方向へは行って居ないと思います、思いたい。

なにぶん初めてな物ですから、親になるのは。

なかなか上手いこと行かないかもしれないけれど、父ちゃん頑張るからのんびり行こうね、もろ子さん。

あ、今日ウンコめっちゃ出ました僕。

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