見出し画像

ねこペティREMIX#11「そらまめ」 (エッセイ「かえるに寄せる複雑な感情」)


「そらまめ」
(Horsebean)

はるのまどべで

まどろめば

ひざしのまわたに

くるまれて

くろいあたまで

まるくなる

おまめになった

ゆめをみる


今回登場したねこ:大五郎

4歳オス。優しい飼い主さんのもとで標準以上にすくすく育ったおとこのこ。得意技はヘソ天。



かえるに寄せる複雑な感情


酒を飲みだし、つまみとしての魅力に気づくまで、僕はなんとなくそら豆を敬遠していた。
あとで理由に気がついた。
色といい大きさといい、かなりあまがえるに近かったからだ。

僕は生きたカエルがいまでも苦手だ。
あんなにたくさんカエルの絵を切っておきながら。


絵描きの目で見ると、モチーフとしてのカエルはとても魅力的だ。
手足の付き方が人間に近く、立ち上がらせれば擬人化しやすい。
その上大きな口と目玉には、落語でいうフラ(持って生まれた愛嬌のようなもの)がある。
人間の、ささいな日常的動作をカエルにさせるだけでなんだか可笑しみが出る、なんともずるく便利な存在なのは鳥羽僧正の時代から誰しも思ったことなんだろう。

「旅館でも書けない文豪がえる(2011)」

それだけじゃない。
『ふたりはともだち』(アーノルド・ローベル)シリーズに登場するがまくんとかえるくんは昔からのお気に入りで、どちらとも友だちになりたいし、マペットのカーミットは中の人(ジム・ヘンソン)を含めずっと憧れの存在だ。


でもそれはそれこれはこれ。生がえるだけはだめだった。

実家のすぐ脇にはため池があり、その向こうには田んぼ。夏の夜にはアマガエルとウシガエルの混声大合唱が鳴り響く、そんな環境で育った。
干ばつのひどかったある年。大量発生したカエルが干上がった池から外へ、一斉に上陸・進軍してきた事がある。
普段以上にそこらじゅうがカエルだらけになった。
あの湿った質感、思いの外長い後ろ足が生み出す予想外の動き、そしてそれがいつどこから現れるかわからない恐怖感。
ちょっとしたホラーだった。
夜、風呂上がりの僕の頭に、なにか柔らかいものが落ちてきた。
悲鳴を上げて払いのけたのは、家に侵入した一匹だった。
その時手に感じた、やわらかく思いのほかもろそうな感触は今も思い出せる。

翌朝小学校へ向かう通学路には、車にひかれぺしゃんこになった彼らの姿が転々と続いていた。

かえるはそのころ僕にとってもっとも身近で生々しい死の形だった。
きっとそれは無限の可能性を信じていた子どもにとって、一番怖いものだった。


人んちの裏で悲鳴を上げたことがある。
水道検針のバイトをしていたときのことだ。
メーターボックスを開けたらいきなりどかんとでかいヒキガエルがおわしたのだ。
どのお宅も2ヶ月ごとに訪問するので、その間に詳しくは書けないけど毎回びっくり箱みたいになってるところがいくつかある。
そういう場所は必ず警戒しながら開ける。でもここは不意打ちだった。

かれはメーターの蓋の上にどっかりと鎮座ましている。
お引取り願わないかぎりは中が見られない。今日の仕事が終わらない。
震える手で握った検診棒(蓋を引っ掛けて開けるために支給されてる、30cmぐらいの鉄の棒)の先で、何度かやさしくおしりをつつく。
しばらくして気づいたかれは「わかったよしかたねえなあ」とでもいいたげに、ゆっくり外に出て光指すひなたの方へと歩いていった。
一歩くりだすごとに「スッ…」「スッ…」と息が漏れるような音が響く。僕はその音を聞きながら、かれが草むらに紛れて見えなくなるまで固まったまま見送った。


昔ほどではないにせよ、やっぱり今も生きたカエルは少し苦手だ。
けれども仲良くなりたいとは思ってる。
「苦手なのものの絵を描くのは克服するためだよ」なんて、昔友だちに冗談めかして言ったけど、わりと本音だったのかもしれない。
最近できた友人に「少しカーミットみたいだ」といわれ、意外に思った。
『すてきな三にんぐみ』(トミー・ウンゲラー)のどろぼうみたいな目をしてたのに、年をとり知らぬ間に顔つきが変わってきていたらしい。それとも好き(フィクション)ときらい(リアル)の隙間を詰めたいと、カエルを描き続けた修行の成果が変わった形で現れたのか。

悪い気はしないので、このままの調子で頑張ろうと思う。



※ウェブマガジン「にゃなか」掲載作品(2016~18)に書き下ろしエッセイを添えてお送りします。
掲載順は当時の連載どおりではありません。

【次のねこ】


いいなと思ったら応援しよう!

きりえや(高木亮)
よろしければサポートお願いします! いただいたサポートは活動費に使わせていただきます。