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三十六童子と紅葉が見守るなか、巨岩の洞窟の奥の院へ〜山本不動尊2018(福島県棚倉町)

弘法大師が護摩壇を開き、悪鬼を調伏

トップ画像は、2018年に撮影した山本不動尊の紅葉参道。古い情報ですみません。ちなみに今年の紅葉はとっくの昔に終わっているかと思われます。来年秋の紅葉ドライブの参考にしていただければ望外の喜びですm(_ _)m

福島県と茨城県、栃木県の境にまたがる八溝山系の一部に位置する「山本不動尊」。正式名称は修繕院明王寺。真言宗智山派の寺院です。

洞窟に建てられた奥の院

公式ホームページによれば、開山は1200年前の大同2年(807年)。
勅命により湯殿山開基のため東北行脚へ赴いた弘法大師がその途中、八溝山系の鬼頬山に住む悪鬼を調伏するため、同山の山腹に護摩壇を築き、37日にわたり不動護摩の秘法を修行したのがはじまりだそう。

鬼を退治した弘法大師は「この地こそ不動明王を安置するにふさわしい」と感じ入り、供をしていた道隔阿闍梨に自身が持っていた不動明王像を預けます。

※※道隔阿闍梨→道隔はお坊さんのお名前と思われますが、読み方不明。阿闍梨(あじゃり)は、指導的な立場のお坊さんのこと。修行僧たちの規律を指導し、教義を伝授する高僧をさすようです。

その阿闍梨がこの地に留まり、草庵を結び、日夜修行と供養に精進したところ、参拝する人びとで賑わうようになったとのこと。

現在も巨岩下の洞窟に奥の院があり……弘法大師の持仏と伝わる不動明王像が本尊としておさめられている……のかな? このへん「奥の院がある」「御堂がある」という情報はありますが、確定できず。

杉並木を超え、両脇に仁王像が並ぶ紅葉参道へ

このお寺の最大の魅力は、奥の院が位置する山の景観です。

霊場があるのは、福島県と茨城県、栃木県の境に位置する八溝山系の一角。境内を抜けると、護摩壇の背後の木々に囲まれた山(鬼頬山)から三角形の巨岩が突き出るようにそそり立つのが目に入ります。

新緑の季節は緑に、秋は紅葉の美しい色彩に彩られた山の中、ゴツゴツとした岩肌をさらす巨岩は、「悪鬼」の住処にふさわしい荒々しさ。昔の人びとは、そこに鬼の姿を見たのかもしれません。

巨岩の下には、天然のものなのか、人の手によって掘られたのかは不明ですが、2メートルほどの洞窟があり、奥の院が位置しています。

奥の院に至る道程も魅力。
樹齢100年といわれる杉並木を超え、紅葉が石畳の両側を彩る参道を進み、渓流にかかる朱塗りの橋を渡ります。両側に配置された三十六童子が見守るなか、石段を一歩ずつ登り、視線を上げると巨大な鰐口が目に入ります。
辿り着くと、そこには精緻な彫刻を施した御堂が。そして、その両脇には不動明王が手にする倶利伽羅剣(くりからけん)がずらりと並びます。

紅葉シーズンの見どころは、駐車場から境内へと続く紅葉参道。仁王像がお出迎えするなか、紅葉を眺めながら参道を歩き……と言いたいところですが、今回掲載した写真では、紅葉の魅力があんまり伝わらなかったり…m(_ _)m

この写真↓も紅葉参道。逆光で全体的に暗い仕上がりになってしまいましたが、個人的には、石畳に落ちた木漏れ日の感じがお気に入り。

本当はもっと紅葉している箇所もあったのですが、早朝からパイセンフォトグラファーの皆さんが三脚を構えておられ、このアングルとなりました。

詳しい情報は公式ホームページをどうぞ

こちらのページの写真もステキでした♪

道路や駐車場も整備。アクセスしやすさも魅力

八溝山の奥深くに位置していますが、道路や駐車場が整備されており、アクセスもよく、ドライブ気分で立ち寄りやすい紅葉スポット、霊場スポット(?)。

境内へ至る石段も、最後は少しきついかもしれませんが、さほどの勾配ではないので、ローヒールのパンプスくらいなら問題ないような気がします(ハイヒールはさすがにやめましょう)。だけど、最後はまあまあきついので、やっぱりコンフォートなシューズをオススメします!

境内近く以外にも、杉木立沿いに大駐車場あり。地元の方のお話では、以前は杉が鬱蒼と生い茂り、いかにも「霊場」という雰囲気が漂っていたとか。
その後、観光スポットとして人気が高まり、マイカーブームもあり、杉を伐って駐車場を整備したのだそう。うーん…行きやすいのはうれしいのですが、昔の雰囲気も体験してみたかったなあ。

以下写真でご紹介。

このへんは、まだ青紅葉だったよう。

渓流にかかる赤い橋を渡ります。

紅葉時期の護摩殿。11月上旬から下旬にかけて菊の展示会も開催。毎日9時、11時、13時、15時には、護摩ご祈祷がおこなわれるそう(1、2月の土日祝は12時にもご祈祷あり)。

護摩殿から見た奥の院。山肌から突き抜けるように巨岩がそびえています。昔の人は、この形に鬼を見たのか? それとも実際に鬼と呼ばれるような人たちが住処としていたのでしょうか?

手水舎の紅葉

奥の院へ向かう橋や階段。このへんは踊り場が設けられているので、さほど急には感じないのですが…

ここにも手水舎が。

石段から紅葉をパシャリ。

ここからの石段は結構急かも。両側で三十六童子が見守るなか、一歩一歩上がっていきます。

三十六童子。制咤迦(せいたか)童子さん。

光網勝(こうもうしょう)童子さん

石段から奥の院を見上げる。このへんで、ちょっと息切れ(;^_^

奥の院に到着!

霊窟桜(おゆわやざくら)。樹齢300年とのこと。

弘法大師の像も建立されています。

三重の塔と倶利伽羅剣。

この御堂はいつ頃建てられたものなのでしょう? 山の奥に位置する神社仏閣を見るたび思うのですが、ここまでどうやって木材を運んだのでしょう? ここでは、久慈川を利用したのかな?

奥の院から見た紅葉。

奥の院から石段を見下ろす。光がいい感じ。

石段から渓流にかかる赤い橋を見下ろす。

石段を降りて境内へ。東日本大震災からの復興を祈願した倶利伽羅剣。

鐘楼の紅葉。

境内には七福神も。御堂以外も見どころ多し。

渓流に差す光。

近くのおみやげやさん。だんごの香ばしい匂いが…

これも境内での1枚かな?

護摩堂か本堂か薬師堂か…格子戸のガラスに写る紅葉が美しい

駐車場にて。中央の大木は「ミツデカエデ」(カエデ科)だそう。

〈おまけ〉
同じく棚倉町に鎮座する奥州一之宮、八槻都々古別神社にも参拝しました!

平安時代に編纂された「延喜式」の神名帳に記載のある古社で、ご祭神としてヤマトタケルとアジスキタカヒコネノミコトをお祀りしています。

さらに棚倉町のまちなかには、同じくヤマトタケルとアジスキタカヒコネノミコトを祀る馬場都々古別神社という同名の神社が鎮座。
両社とももともとは白河市表郷にある建鉾山に鎮座されていたそう。現在も山頂にはる磐座(いわくら)と思われる石が置かれています。延喜式が編纂されたころの都々古別神社は建鉾山に鎮座されていたようです。

建鉾山には古墳時代中期と思われる祭祀遺跡も。ここも気になり過ぎる…。

さらにおまけのおまけ。下のちょっと変わった狛犬は、狛犬マニアにはたまらない石工の小松利平作といわれるもの。

個性的かつ風格のあるデザイン。子どももかわいらしい。

棚倉町もそうですが、東白川郡、西白河郡には古代の遺跡や神社、狛犬など気になるコンテンツがいっぱい…! また車を駆って、バビューン!と訪れてみたいものです。

詳しくはコチラのサイト様へ(;^_^


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