自分なりの値段をつけてみることでわかるモノの価値
その世界の高級品を楽しむのはいい趣味だなと思う。身を滅ぼすけど…。
今のところお茶の高級品は味わった。
やはりそれなりに高級である由縁があり、それなりの値段がついているのだ。
言うなれば世の中の人全員が、その値段に納得がいくのかどうかというところを睨みつけて交渉したり、高いのか安いのかと思案しているんだろう。
よくわからないままに買うよりも、よく知ってからその欲しがっているものにその価値がついていることを確認したほうが安心する。
たとえば家とか家電、そして車とか、それに芸術作品なんかは値段がわかりにくい。
あっちのは3万円だけど、こっちのは8万とか10万する。なぁんてことがよくある。
そのへんにいる店員さんを捕まえて、この値段の違いって何?と聞くけど本当のことなんて言ってはくれない。
おそらく最新システムを使っていたり、ちょっといい部品を使っていたりするのだがこっちとしてはそんなのはよくわからない。見えないし、その効果もよくわからない。そうなると安いのでいいやってなっちゃうのだ。
よくわからないことっていちばんよくないなって思うな。
僕はバナナをよく選んで買っているが、バナナコーナーで僕がジロジロ選んでいる横で、おじさんおばさんはスッと何も見ずに取り去っていく。よく選ぶと美味しい房のバナナっていくらか見つかるもんなんだけど、そういうことを“知らない”からそうやってテキトーなチョイスをしているんだなって思うのだ。その辺はまぁ別にいいか。美味しいバナナがみんなわかるようになってしまったら僕はすっぱいだけのバナナを掴まされてしまうからな。
あ、なるほどなぁ。
いい情報というのは、伝えていいことと、そうでもない事のふたつあるのだな。
自分が得をするためにいい情報をあえて流さないってこともあるし、自分が得をするためにいい情報を流すってことがある。
絵を描いた時なんかは特に思ったりするな。
いい絵が描けると僕はそれが嬉しくって気に入ってしまうから、わりと大切にするのだ。
誰かにあげたい気もするけど、自分のそばに置いておきたいことだってある。
だけど、自分が持っていたって仕方ない。どうせ自分の家では飾らないし、誰の目にもとまらないからな。
そう考えたら、じゃあ売ればいいじゃないかってなる。
そこで問題なのが、どれくらいの値段をつけるかってことだ。
意外と悩むところではあるのだけど、簡単な方法はこうなんじゃないかと思うのだ。
自分がどれくらいの値段をもらったらその絵を手放してもいいんだろうか?
と考えるのだ。
自分だったらどれくらいでその絵を買うか?という考え方もあるが、自分は相手とは違うし、相手も自分と同じ考え方をしているわけではないから、そうやって考えると難しいところだろう。
他のものでも考えてみたらいいと思う。
これを考えだすと部屋のものを捨ててきれいにする方法にもつながっていくから、一度は考えても良いかと思う。
悪い例えで考えてみようかな。
学生の頃に「あいつと付き合うのってどう思う?」なんて話していたら、〇〇○万円もらえるならいいよ!なんて言うかもしれない、もしくは〇〇○万円もらっても嫌なんて言って良い悪いを話し合った経験があるはずだ。
言うなればモノを得たり手放すのもそれと同じことなのだ。
今たくさんあるモノを手放すにはどうしたらいい?ではなくって、どれくらいのお金をもらったらそれを手放して良いのかと自分なりな価値を提示する。(実際にメルカリなどで売ってみる)そうすると、意外と自分はそれに関してそんな程度の価値しか考えていなかったんだと思ってハッとするかもしれない。
買う時だってそうだ。
たかだかお茶が100g何千円だと言われると「高い」と感じるかもしれないが、じゃあいくらだったら払えるのか?と考えてみると、自分が思っているソレに関しての値段イメージが出てくるだろう。
そう考えると値段交渉っておもしろいな。と、思ったという話。