その中がどうなっているのか考えてみる事
こどもが習い事をするのと、オトナになってから習い事をするのはどちらが覚えが良いだろうか?
一般的な考え方をするなら、いろんな事を考えなくて純粋に学ぶことのできる「こども」の方が学んだことをすぐに吸収して、それに表にも出せると思うものだが、ホントのところはどうなんだろうか?
オトナになると脳が硬くなっているし、物事も忘れやすくなっているから習い事をするのは難しいと言ったりする。それって本当なんだろうか?
もしかすると、それは思い込んでいるだけなのかもしれないぞ。
正直言って僕は、習った事をすぐに実行できるという自信がある。
そりゃもちろん技術の必要なことだったりすると、そう簡単にいくことはないが、習い方次第ではこどもなんかには負けないと思っている。
自信過剰だと?
そうかもしれない。そうかもしれないし自画自賛もいいところではある。
しかしながら自分で言うのもなんだが、こどもの頃よりもオトナになってから習ったりチャレンジすることの方がうまくいく事が多い。
こどもの頃なんて数年間しかないんだから、習い事も限られてくるし、年数も限られてしまうのは当たり前のことなんだけどね。
しかし、それはいったいどういうことなんだろうか?と、じっと考えてみたら、ポンと頭の上に答えみたいなものが浮かんだのである。
というのは、「物事」というのはどんなふうに構成されて組み立てられているのか、その構造を考えて、仕組みを知ることができるようになっているのではないのか?と思ったのだ。オトナにはそうやって考えるチカラがある。それを利用して表面の見える情報から、できる限り利用してうまくいくことへの可能性を広げる事ができるのだ。
こどもの頃というのは、「仕組み」や「構造」などを説明されて理解するなんてことはほぼほぼあり得ない。
速く走るのに、筋肉の構造など説明したところで、全く理解できないし、調味料はこうやってこうなってできているから、調味料Aと調味料Bを組み合わせるとこんな味になるんだってことも理解はできないだろう。
この色とその色を混ぜ合わせるとこんな色になるってこともよくわからない。
何が危なくて、どこが遠くて、熱いとか寒いとか、甘いとか辛いとか、重たいとか軽いものとかもよくわからないのがこどもなのである。
しかし、オトナになるとそれが具体的に知ることができる状況にあるし、なんとなくでもイメージしたり経験した事を引っ張り出す事ができるだろう。
それを利用する事ができるのだ。
これは言うなれば、「直感」とでも言おうか。
今のこども達はスマートフォンを持たせるといろんなことができると知っている。他人のものであってもちょっと似たようなところがあるなら、「たぶんこうだ」「おそらくこれであってる」という勘を働かせて“おおよその感覚”でスマートフォンを使うことができるだろう。
スマートフォンじゃなくっても、旅館の小さなテレビのリモコンだったり、漫画喫茶のテレビやパソコンも使う事ができるだろう。そして自動販売機も使う事ができるんじゃないだろうか?それはこどもでなくっても多くの人ができるはずである。
そう。言ってみればその感覚である。「どこか光っているボタンや赤いボタンを押すとスイッチが入ったり、何か作動する」という簡単な知識やその構造の特徴を知っていてそれを応用して使う事ができるのである。
そんなのは常識的なレベルの話なのだが、ではそれが習い事やはじめて習う事の数々であるならどうだろうか?
その構造や特徴、それに内容のイメージや癖などを掴んで考えてみると、そう難しいことなどないのだ。
こないだ僕は初めて生牡蠣を開けた。
牡蠣を開ける時の説明はその生き物の「構造」を説明される。見えない部分の話をするからだ。
ここの縁部分が蓋になっていて、その端っこに牡蠣用のナイフを当てる。グイグイと蓋を開けると中心より右手に貝柱があって、そこを突っつくとガパリとキレイに開くのである。と、こんな説明である。
しかし、それを見てマネをするんだと言われたら困ってしまわないか?
そのコツを掴むのに10個くらい練習で開けないとわからない人だっているだろうし、なんならいつまで経ってもビビって下手くそかもしれない。
興味を持ってその中身がどうなっているのか、蓋が硬く閉じているのはどういう理由なのか?どこをどんな風に開けるとキレイな身を保つ事ができるのか?牡蠣の中身の構造はどうなっててどこが美味しいのか?
そうやって仕組みを考える事で、うまく開けるコツが掴めるような気がしたのだ。
他の物事も同じことである。
「まだ知らないこと」というのは中身が隠されてわからない、まさに牡蠣に似ている。
想像するのも調べてみるのも何してもいいが、一番良くないのは…
「よくわからないから」と言って放っておくことだ。
誰かがその開け方を教えてくれるまで黙って遠くからただ見ている事で、開け方がわからないから、自分だとうまくいかないからと決めつけて、そこから離れてしまう事だ。
それがいちばん良くない。
こういう習い事のコツみたいなものを、こどもの頃からわかっていればよかったのになぁと思ったりもするんだけど、こどもの頃よくわかんなかった自分がいるから今の自分になっているんだなとも思う。
過去をどうにかしたいなんて思うもんじゃないね。「今の自分でいいんだ」と思う事も大切なんだと思うな。