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言葉の温存とメールの価値

LINEって、使いだした最初のうちは早くて便利な通信機能だと思っていたんだが、最近はなんだか違うんだな。




近頃考えているのは、メールの価値観とは早さではなくて「どれだけ温めるか」なんじゃないかと思った。

僕も早い返信が便利だと思っていた頃は、「読んだらすぐに返す」のがその価値だと思っていた。だから、早く返せないひとに対して「失礼」だと感じていたのも確かだ。そんな事全くないのに、「読んだのなら早く返す」ってのが常識みたいになっていた。



しかしそのうち、「既読無視」なんて言葉が出てくる。
読んでも返さないとイライラしたり、反応がなかったり、もしくはあえて無視したり、と、その相手の心情の真意は定かではないが、“メールを返す”ということに関していろいろと考えさせられることがあったものだ。



僕は大学生など、若いひとと働いていたため、若者とLINEをすることが多々あった。
とある学生とやりとりしていると気づいたのだが、同い年くらいの同じ学生か、もしくは年上の敬うべき人間とやりとりしているよりも明らかに返事が遅い。(僕に敬意を抱いていないわけではないが、メールの内容なんかからしても返信の急用度は低いというわけだ)

返事をもらえないまま同じシフトの日に働くと「すみません、返事返してなかったです」なんて言うのだ。
返事は貰いたかったが、でも別にメールで返事じゃなくてこうやって会って返事がもらえるのであれば、なんてことはない。別にいい。


「いーよいーよ」
とは言うのだが、そこでふと気付く。
既読が付いていないのにも関わらず、“返事していなくてすみません”って言えるということは、少なくとも「メールが来ていた」ことには気づいていたわけだな。
つまり、僕のメールに気づいていたのだがあえて読まないで「既読無視にならないようにしていた」というわけだ。


それが気になったので聞いてみたところ。
読んでしまうと、そのメールの返信を考えてしまうから、「あえて自分でも読まないようにしている」んだと。だから、読めるときに読んで、ちゃんとした返事を返すように自分はしているのだと教えてくれた。

なるほど、賢いやり方だと思った。

僕なんかメールが来たらすぐに開いてしまうのだが、確かにそうするとメールの内容について、ついつい考えてしまう。
今自分は友人と話しているかもしれないし、仕事について考えているかもしれない、趣味に没頭しているかもしれないわけだ。それを侵害されたくないというわけである。それは確かにそうだ、友人と一緒にいる時に、メールの返信に没頭したくはない。


返すメールを「ひとで選んでいる」と言えば賛否両論あるのかもしれないが、じゃあたとえば、大切なひとと会話しているときに、もしくは映画館で映画を観ているときに電話がかかってきても、その電話に出るのかというとそうではないと思う。それと同じだと思うのだ。

映画を観ながら電話しているなんて、他のお客さんに対してもあんまり良くない反応だろう。電話はマナーモードか、もしくは電源を切っておくのが映画館のマナーではある。




つまり。
冷たい言い方をしたら、「読んでも返す価値のないメールであればすぐに返す必要はない」ということでもあるのだ。急用ではない限り休養の方が大事だ。
そして、すぐに返事のできる事でなければ、そのことについて「時間を取ってちゃんと考える」のもひとつの手でもあると思う。




だから、僕はメールは温存しておいて、「ここぞってときに返そうかな」って気持ちになっているんだ。

「時は金なり」って言うくらいだから、“時間を使って言葉を返す”って事にもちゃんと価値はあるんだと思う。という話。






言葉の温存だな、これからの僕は。

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二ノ宮金三郎
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