靴をキレイにする理由
モテない自分を変えようと、モテる本を読んで実践して自分を変えられた実際の経験と共に、事細かくロジカルに考え、分析して簡単に短くまとめています。
いろいろ努力しているけどなかなか恋人ができない、いい出会いが無い、思っていたように恋愛ができない。
または、恋人ができた事がない、ぜんぜん好かれない、モテる気配がない、コミュニケーションが得意でないという悩みを持っている方に読んでいただけると助けになるかと思います。単に異性に好かれるためというよりも、「誰かと仲良くしていくには?」という観点で読んでも役に立つかと思います。
私自身も役に立った部分を生活内の行動になるべく無理なく当てはめられるように考えていこうと思います。是非ご一読ください~
これからはモテるしかねぇ!
以下本文です。
前回から「清潔感」について考えています。
清潔感とひと口に言ってもかなり広い範囲に渡ります。持っているものから、住んでいる場所、仕事着に家着、オシャレ着、身体、頭、足…という具合に、いろんなところに適応して考えられるわけです。
自分の衛生レベルと他人の衛生レベルは大きく違っているので難しいのですが、見た感じとにおい、触った感じを基準にして考えてみるとなんとなくわかりやすい…という考え方で、自分の服について考えました。
今回は、「靴をメンテナンスすること」について考えます。
あなたが今履いている靴は、いつメンテナンスしましたか?
一応、私は靴磨き職人です。革靴はもちろんですが、バッグやお財布なんかの革のものは全般的にメンテナンスすることがありますし、スニーカーの需要なんかも多くて、そちらの方もよく依頼があります。靴磨きというと革靴をイメージさせますが、スニーカーもメンテナンスすると、「こんなにキレイになるのか!」と驚く方がおられます。
それはつまり、「買った時以来、こんなにもキレイになったことがなかった」というわけなのです。
みなさんおろそかにしているというか、聞いてみるとどうも「キレイにするにはビショビショに濡らさないといけない」という固定観念があって、なかなか休日にもキレイにする機会が無いように感じているようですね。
こうやって人の道具を磨かせていただいていると、「やりたいのだけど、方法を知らない」という方と「そういう時間があまりない」という二種類に分かれるような感じがします。今ではビショビショにすることなくキレイにできる道具があるんです。
そう考えてしまうと、「ただただ、めんどくさい」という感じになると思います。汚れていても使えるわけですから、そこにチカラを使うという方向にはなかなか行かないのだと思います。
実を言うと私も、お客さんの依頼だとやりがいがありますが、自分の靴はやっていても楽しくないので正直めんどくさいと感じることがほとんどで、マメにやろうという気持ちにはなりません。だから、靴が汚れたままで出かけてしまうのも気持ちはわからんでもないのです。
私も幾年か前には、「スニーカーは汚れていてナンボ」みたいな気持ちでいたことがあります。
その時はなぜか、汚れている方がカッコいいと思っていました。
だけど、そんなことはありません。汚れていることにはリスクがあります。そりゃあそうです。新品の靴がいちばんキレイなのです。キレイなのよりも汚れている方がリスクがあるに決まっています。
汚れているスニーカーがステータスだった頃、何気なく電車に乗って出かけているとふと気づいた事があり理解しました。
私は座席の真ん中あたりに座っていたのですが、隣にはほとんど“男性しか”座ってこないのです。
統計を取ってみたわけではないのですし逐一見ていたわけではありませんが、ボロボロで汚れたスニーカーを履いている時よりも、いくらかキレイに見える革靴を履いている方が女性は座ってくることがあります。それをなんとなーく感じ取ったのでした。
それと同じようにしてです。聞いたところによると、ナンパをする男性というのはもちろんキレイな女性を狙うということが基本ではありますが、成功することを重点的に考えてやる時は、「靴に気を使って無さそうな女性」を狙うのだと聞いたことがあります。
オシャレさんやマメな方であれば無頓着な部分はなかなか見られないのだそうです。無頓着な部分がオシャレにあるとなると、生活においても無頓着なところは存在します。
つまりは「スキがある」ということです。
まあいっか、これくらい。
まあいっか、あとでやろー。
まぁいっか、どうせ誰も見てないし…。
まぁいっか、もっと欲しいものあるし。
まぁいっか、来月でも。
靴ひとつにおいて生活が丸見えになるわけではありませんが、キレイに見せるためのオシャレに無頓着さがあるなら、なかなか他人に見せる機会のない自分の部屋や自分の部屋での行動だって「見せる機会は無いだろう」と思い、だらしない部分を作ってしまうのだと考えられます。
たとえば職場に来る人で、寝癖を直していなかったり、電車の中でメイクをしていたり、シャツがシワだらけだったり、ヒゲが生えっぱなしで整っていなかったり、ストッキングが破れていることに気づいていなかったり、朝ごはんを食べてなくて昼近くに急激に元気が出なくなってしまったり…と、そんなような人がいるかもしれませんね。そんな、多少なり見える、いろんな無頓着な部分があると思います。
そういうのって、言うなれば。
ちょっと早起きしたり、定期的に交換していたり、少し早く起きるとかなど習慣として身に付いている行動があるなら、防ぐことのできることでもあるのです。しかし知ってか知らずか好きか嫌いかなんなのか、やっていません。無頓着なのです。
靴が汚れている事はそれらと同じことでもあります。
つまり、そういうところから「足もとを見られてしまっている」という事です。
無頓着さが垣間見えるというところから…
お金、言動、食事、友人関係、時間、性生活…
こういうところのどこかに、もしくは全体に少しずつ「スキがあるだろう」と、推測されてしまうのです。
私が電車内で避けられていたのは、汚い靴だったからとか、靴が臭かったからではありません。そういう無頓着な生活が「垣間見える」という事実がそもそも受け入れ難い、好きでない、離れていたい、と感じる要因になってしまったのだと思うのです。
革靴のメンテナンスは難しいのですが、スニーカーはある程度簡単だったりします。コインランドリーにも靴の洗濯機がありますね。
Amazonで「スニーカー、洗う」と検索すると、すごくキレイにできる道具がたくさん出てきます。
オシャレを始めるなら、新しいものを買う前に、「今のものをキレイに使う事」でも簡単に始める事ができるのです。
さて、自分の服や靴をキレイにする事は考えることができました。
今持っているものでもキレイに使うことでオシャレさんになるということでもあります。
それでもやはり、キレイなものを使いたいなら「新しいものでしょ!」と思います。
そうですね。
新しいものはキレイで清潔です。古着もファッションとしておもしろいのですが、どことなく「古くさい感じ」は拭い取ることはできません。
ではこの際、新しいものを買ってしまいましょう。
そうなると、どこに買いに行けば良いでしょうか?
大丈夫です。センスの良い服じゃなきゃモテないなんてことはありません。
では今度は、「キレイな服をチョイスする」という点について考えてみることにします。