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芸術に情熱をパート2

僕らは快楽を求める生き物だ。

いやいや、そんなことないよ。快楽ばかり求めているわけじゃない、「楽しいこと」を求めているんだよ。と、言うかもしれない。

確かにそうだ。快楽ばかりが楽しいかというとそうでもない。
快楽というのは、休んだり落ち着いた雰囲気の場所へ行ったり(または作ったり)、気持ちのいいことや心地よさである。

そればかりしていると、ハッとして急に刺激的なものを追い求めたくなることがある。
それは僕らが寝続けることができないのと似ているんじゃないだろうか?

疲れに疲れ切って家に帰ってくると、泥のように眠りたい寝続けたいと感じるかもしれないが、ドラマや映画にもあるように、寝続けることができてもだいたい急に、ぱっと目が冷めるものである。
「やっと目が覚めたかい。君はもう3日間も眠っていたんだよ。」
だいたい物語に出てくる目が覚めたときの脇役はこんなふうに語る。

僕らも疲れ切った仕事の後であったとしても、ちゃんと次の日のお昼ごろにはぱっと目が覚めるものだ。3日間〜1週間目が覚めなかったというのは話の中でしか聞いたことはない。(マムシに噛まれて、血清を打つのが少し遅くなり1週間寝込んだ友人がいたという話は聞いたことがあるが、それもやはり人から聞いた他人の話だった)



歳が若くて体力があるとそれを使ってエキサイティングなことをしたいと思うのが普通なのかもしれないけど、みんなどこかで芸術を求めるところがあり、音楽が好きだったりとあるキャラクターが好きだったり、ゲームが好きだったり、漫画映画が好きだって人がいるだろう。写真動画を撮るのが好きだって人もいるし文章が好きだって人もいれば俳句短歌が好きだって人もいる。

みんなどこかで芸術が好きでいるのである。


だから、つまらない質問なのかもしれないけど、好きなものを聞いたら「そこにどんな芸術性があるの?」と聞いてみるのは興味深い。

もしかするとそこに芸術性なんて感じていないのかもしれないけど、それは単に“気づいていない”だけなんだと思うんだな。



そう考えるとおもしろいのは、嫌いなものだったり嫌悪しているものにももちろん芸術性はあるわけで。

例えばグロテスクなものだったり虫が集合していて蠢いているものや、ヌルヌルにょろにょろ動くもの、腐っているものやカビの生えたもの。足がたくさんある生き物。
そういったものにももちろん芸術性を感じる人はいるということだと思うのだ。だって、多くの人が嫌悪してしまうようなものであっても、モザイクをかけてしまえばそれを見ることができる人は多いわけで。

つまり、モザイク処理ってのは「多くの人が安心できる芸術」なんだと考えると、その需要が高いこともわかるし、ある意味では美しく感じるものであってもその美しさをあえて排除してみせたりもできる。あえて隠した理由を考えさせることや、隠れているその先を想像してみることもできるだろう。最近ではネットの記事のサムネにも使われていることだってある。


芸術を考えることは同意を得ることや賛同してもらえる理由付けにもなるわけで。その美しさや、感じているものを表現させてみたり聞いてみるって、“その人らしさ”を聞ける良い方法だなと思ったというわけだ。



好きなものの芸術性を考えるっておもしろいぞ。
芸術に情熱を燃やそう。




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二ノ宮金三郎
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