可視化することで解決することがある。
ひとの頭の中がいちばん信用ならない。
言っただとか言ってないだとか。
やったのやってないだの。
見たか見てないか。
聞いたのか聞いていないのか。
食べたっけ食べてないよ
僕の?私の?誰のなのよ
ココだっけ、いいやソコだよ
確か赤色で、そんな!オレンジだったはず
ピザを食べた、ん?チヂミだよ!
スカートだった?いいやショートパンツ
白ワインでしょ。赤だよ!
オーストリア?オーストラリア。
お皿だっけ、どんぶりだよ
はい、ノート。教科書持って来てよ。
ここを右。いいえ左です。
そこのファミレスでさ…レストランでしょ
オカッパ?刈り上げ
付箋のところ?しーおーり
恐竜のマークで…。トカゲ!
おまんじゅうを…おはぎなんだけど…
そう、そういうことばかり。
最近思うのだけど、そういう事にやいのやいの言ったところで何が悪いって、お互いに覚えているとかそうでないかとかよりも…
口約束とかの曖昧なことで済ませたこと!なのだ!
お互いにどーのこーの言う前に、“ちゃんとした証拠”を残しておかないからには何も始まらない。
最近は写真撮るとか簡単になったし、伝言メモも簡単になった。
手帳にメモ取る癖があれば尚更良いこと。
アイデアのメモや、ああだこうだと話したことを少し絵にしておくだけでも思い出しやすいし、なんなら記憶だってしやすい。
お互いに、もしくはみんなが目に見える形で色々なものを残しておくのはとっても良いことなんだなぁって、最近は思う。
家族のアルバムとか家計簿とか、名言とかね。
少しの事をバカ丁寧にする大切さを知ろう、これからの僕は。
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