やまがた在来作物研究会最後のフォーラム
在来作物研究会 公開フォーラム2022
在来作物と歩んだ20年
在来作物研究会が今年度で解散との事で、いつも柿の繁忙期でここ数年休みがちだったが久しぶり参加してきました。
会場には県外の在来作物研究会やジーンバンク、教育機関などからも参加がありました。そして在来作物案内人、在来作物マイスター達も数多く参加し、同窓会のような方々も多かった。
在来作物研究会としては、山大農学部にかつてあった蔬菜園芸学に元教授の青葉高先生がいた事が大きく、平教授や6人の教員が幹事となり、奥田シェフや写真家の故東海林晴哉さん、本長の本間会長らが加わって活動していく。
在来研の作るSEEDという冊子は初期からとてもクオリティが高く、自分が初めて手にしたVol.8、9の頃には初期3冊は既にデッドストックとなっていた。
東海林さんの写真がとにかく印象的で、自分が「庄内と柿」という冊子に東海林さんの写真を撮ってもらおうと思ったのはSEEDがあったから。
自分が入会して間もなく渡辺智史監督の「よみがえりのレシピ」が公開になる頃で、ここから広がった人脈は未だにとても大きい。
個々に名を挙げると数百人規模になるのでとりあえず控えるw
自分の農業の価値観の土台になる辻信一さん、島村菜津さんの著書ばかりか本人ともお話させてもらい、東京で「しあわせの経済 世界フォーラム」のマルシェに出店したりしたのも、思い起こせばよみがえりのレシピがきっかけになっている。
甚五右ヱ門芋が大きく注目を浴びたり、焼畑農業の荘厳な風景に全国から見に来られたり、江頭教授、平教授らが中心となって「どこかの畑の片すみで」と「おしゃべりな畑」の刊行もされ、日本中に在来作物の山形県を知らしめていった。
その「おしゃべりな畑」なをいただいた在来作物講座は講座としてはもう終わってしまったが、数多くの受講生が今でも活躍しているし、新規就農したての自分が1期生であった。
1期生は地域の名だたる農商工の大御所が多く、その中にポツンと新規就農者の自分がおり、たくさんかわいがられ、今でも大きな財産になっている。あの規模の異業種交流を1年目から経験した自分は本当にラッキーだと思う。
あまりに大御所だらけで名を知ってもらう為に就農1年目から名刺を作った。若手農家で名刺を配る人は未だに多くはないが、ここがきっかけで3000枚位の名刺を配り、Facebookの1000人以上の方々もほとんどお会いした方々でしめられており、自分の人脈から紹介する事もできるようになった。
やまがた在来作物案内人143人、やまがた在来作物マイスター29人(案内人と被ってる)からさらに、近年は「鶴岡ふうどガイド」も活躍している。
2011年に「ユネスコ食文化推進協議会」ができ、この時の協議会の事務局にはおしゃべりな畑のメンバーなども多く入り、2014年には晴れて「ユネスコ食文化創造都市」として日本初の登録となりさらに話題となる。
全てにおいて在来作物研究会の教授や職員らが関わっているわけだが、大学の職務と並行しながらこれだけの活動をしてこられたのは、本当にすごいことだが、教授らが定年などで少しずつ抜け、在来作物研究会の運営も近年は厳しいものとなってた。
この時点で、大学教授以外にも運営にもっと入っておけば良かったんだろうなと。
平教授と江頭教授のやり取りを見ていると、おしゃべりな畑の受講していた頃の雰囲気を思い出し、会場に、写真家の東海林さん、おしゃべりな畑の事務局をしていた赤松さんが、亡くなられてもたくさんの人の中に紛れているような気がしてきた。
江頭教授も言ってたが、東海林さんが居ない事は未だに埋めがたい。訳もなく野菜を土産に東海林さんの家にいき、何時間も東海林さんの写真の話を聞いている事は、そのものが在来作物の歴史を紡いできた人の血の通った話でした。
在来作物研究会が全国にできたり、在来作物から派生した事業やイベントなどは数を把握できないほど広がり、20年という歴史の中で、一定の役割を終えたという事なのだと、話を聞いてて感じた。
最初は在来研が終わることに、悔しくて、何とか止めることができないかと思ったが、この前に宝谷かぶの収穫した時にも感じたけど、次への段階に移るひとつの区切りなんだなと。
在来作物研究会がスタートした頃は江頭教授は30代、平教授も40代前半と若かったと思うと、今また山形の在来作物を支える立場はまた若い世代が作り上げればいいんだろうと。
20年前とは色々変わっているから活動の幅も相当変わっている。
ただ在来作物の生産者がとても高齢化しており、相変わらず生産性、収益面で厳しいことは変わらない。
行政であれば在来作物はユネスコの流れからも企画部食文化創造都市推進課が関わる事が多くなっており、農政課は補助金は一応在来作物支援としてあるものの、有識者は農政課にはおらず、県、国も農政としては同じ。
3、4年で異動する公務員では10年単位で在来作物を見続けることはできないし、大規模化や機械化しにくい在来作物は必然的に農政から外されてしまう。
逆に観光資源、知的財産としての観点で観光課関係などの方が関わることが多いため、財政的な支援などはない。
だだちゃ豆や温海かぶ、平田の赤ねぎなどは農協経由で出荷される事もあるが、大きく関わることは無かった印象。
民間では焼畑作業などは地域ぐるみで行ったりでコミュニティという括りが大切になるし、在来作物に多いかぶ、大根などは漬物としての用途が多く、6次産業として農産物加工に大きく関わる。
複雑な味の在来作物は、食育としても大きく寄与する事があるし、前述の作家の島村菜津さんが日本のスローフードの先駆けだが、在来作物とスローフードの共通点が多い。
在来作物の定義は
「ある地域で世代 を超えて栽培者自身が自家採種 などで種苗の管理を行いながら 栽培し、生活に利用してきた作物 のこと」とある。
世代を超えてまでも残したい品種である事が在来作物。どんなに美味しくても近代品種はさらに美味しく、育てやすくと、種は均一化され、病害虫に強くなり、大量生産向けになっていく。
世代を超えて作り続けることは、最近はSDGsのS、サステイナブル、持続可能というのに結びつく。
SDGsなんて軽い言葉(個人的見解)ができる何百年も前から持続可能なように努力してこられたたくさんの農家がいる。
しかし今の時代、その在来作物が作り続けにくい環境になりつつあるのは確実。異常気象の多さから、焼畑のタイミングが難しいし、温暖化により、種まきの日を決めてても噛み合わなくなることも。
種取りなどの労力が値段に添加されにくく、在来作物を守ることが難しくなっている。
ここに書いただけでも在来作物からたくさんの要素が生まれている。
それが在来作物研究会の築き上げた20年だし、今後の20年の在来作物への課題も見えている。
令和のやまがた在来作物研究会はどうあるべきか
最近思うのは、このような国際情勢でも歯止めがかかることも無く農家自体がどんどん減っているから、専業農家の為のベーシックインカムで毎月20万円ずつ配る。農家にだけとなると反発が大きいのは確実なので、あくまで自分の妄想の範疇。これを実行できる政治家なんていないので。
海外の農家の支援をまとめたサイトを見ると日本だけ極端に低い。そこでベーシックインカム。
農業法人は代表にのみ、個人農家も代表にのみ、もしくは青色申告などでカウントする。
元々儲かっている農家、人数の多い農業法人には大きく役立たないが、在来作物のような収益性の低い農産物を扱う農家には、生活を保証され、在来作物にもチャレンジしやすくなる。
国民全体でなく、農家に絞ったベーシックインカムにする事で、農産物自給率の底上げにもなる。
コロナの流れで旅行業界に多くの補助金が流れるが、もっと他の業界にも支援を広くするといいのに。
話が在来作物から脱線しましたが、それだけ在来作物の置かれた環境は厳しい、在来研のように支援する所は今後も必要である。
地域の歴史を紡いできた生き証人を失うことはその地域の歴史も失うことである。
ひとまず、やまがた在来作物研究会は今年度で終了。
人気の冊子SEEDは今後は山大農学部の高坂キャンパスに保管され、販売も一部行われるそうです。
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