「アポロン(呪縛解放)」マージナルマン「ディオニソス(Dについて)」(変われる強さ 変わらぬ想い)
とある哲学者が叫ぶ
「人はいつも人をナニカに貶める!!」
「ある者は人を木だとぬかす
つまり木の性質たる、根を張り、そこに揺らぎなく立ち、雨風を耐え凌いで枝葉によって人々を守る傘となり、果樹を実らせて人々に恵みを与え、枯れ果ててもなお、種子は再び芽吹く
そこにニンゲンを当て嵌めたがる!
しかし、それらは本当に木々の説明になっているだろうか?それは木々に対するただの願望に過ぎないのではないか?
例えば針葉樹は根を深く張らない
それゆえに災害では土砂崩れの被害を大きくする
しかし、燃えやすい性質ゆえに焚き付け用に使われ、また建築用としても重宝もされる
ともあれば災害を助長させ、
燃やすために、
伐採するために、
そのために育てられる、
そのような木々があること!
人を木々に例える者たちはそういったことに言及しない
木々の中には簡単に揺らぐものや、枝葉を繁らせないものや、果樹を実らせないものや、種子を再び芽吹かせないものがあることを無視するのだ
彼らは「ニンゲンはこうあるべき」という願望、固定観念、支配欲を宿しており、その「こうあるべき」にニンゲンを当てはめるために適当な事象を利用するのだ!
彼らの中の「こうあるべき」に彼らの中の「木の特徴の固定観念」がちょうど当てはまるから、ニンゲンを自らの固定観念の支配下に置くために木々を利用するのだ
そして何より醜いことに、彼らはニンゲンを支配したい欲求によって事象を利用していることに、自分で気が付くことができないのだ!
というより、その醜さに気付かないために何かを利用する
人は木ではない
人は太陽ではない
人は月ではない
人は海ではない
人は空ではない
人は大地ではない
人は星ではない
人は鳥ではない
人は魚ではない
人は人だ!!
人を人として理解し、
人の役割を理解し、
それを真っ当しようとしないのであれば、
100年後も、1000年後も、
口の上手い奴らの比喩にコントロールされて
ニンゲンは支配され続けてしまうだろう
今こそ!!
人はそれらのくびきから解き放たれ、
不動なる自己
何者にも喩えられない本質的自己
それを「認識」するべきなのだ!!!」
とある職人が静かに語りかける
「人は人をナニカに喩える」
「それでも私は、あの大木に私の人生を喩えたいと想う
それは私が感じた、経験した、観た総てを、私ではない誰かに伝えるためで、
必ずしも私の総てをそれによって伝えきることはできないであろうが、それでいいんだよ
伝えられた者は、その者なりの理解をするが、それはそれでいい
その者なりの理解と、私の観てきた物事の間を木々が橋渡しをしてくれる
それ故に我々は木々に対して「仲間」という意識を持つことができる
不思議なことだけどね、
そうやって木々のことを仲間だと、
「私」のようだと感じていると、
木々は色んなことを教えてくれるんだ
例えば、ある客の無理難題な要求に困り果てて、自身の理性では解決策を見出せずに、自暴自棄に、諦めに、絶望に似た心持ちで森を彷徨い歩く
すると覆い繁る葉たちを潜り抜ける陽光が照らす先に、客の要求に合った素材が見つかることがある
そのように私の仲間たる、私の一部たる、
木々が、陽光が、月が、海が、空が、大地が、星が、鳥が、魚が
それを教えてくれるのだ
人は人だけで成り立っていない
人を世界の一部、
世界の部位として理解して、
そうして根を張っていきたいと、
誰かが何を叫ぼうと、
私はそう想うよ
それが不動なる自己、
何者にも喩えられない本質的自己だと、
少なくとも今はそう想うよ」
私の左側で哲学者が叫ぶ
「カタチから解き放たれよ」と
私の右側で職人が語りかける
「カゲを自らの一部とせよ」と
その狭間で心は揺れ動き、押しつぶされ、解放され、削られて、丸くなったり、鋭くなったり、歪になったり…
そうして私だけの心のカタチになっていく
心はカタチを変えていくもの(自我)
「私」は、心がどんなに変わっても、何も得ないし、何も損なわれないもの(自己)
そういった複雑さや、両極に正しさがある中では、真理に自業自得なんてものは存在せず、
成功は今立つ場所を確立させ
失敗は今立つ場所を離れる契機を与えてくれる
(そういうケースが有り得る)
だから人は好きな場所に行くことができるのです
右と左の声を受け止めるための、
「根源から湧き上がる力」
それがあるのであれば、人はその場所で根を張ることも、それを否定して自由を求めることも、その両者を受容することもできるのです
反対に言えば、それらが人々に無いのだとすれば、それを失わせている、
「安心・便利・快適」とはなんなのか、
それについても考えてみる必要があるといえるでしょうか…
繰り返しになりますが、心とはカタチを変えていくものであります。
これをスキーマ(シェマ)の理論と呼びます。
これもまた、この「激動の時代」を「生き抜いていく」中で重要な考え方になっていくので、あなたに対して書き記すと同時に、私自身忘れずにいたいと思うものであります。
マージナルマン(狭間に生きる者)たちへ
この「ヒビ」割れていく世界を最期の瞬間まで、心のカタチを変えながら、決して自己を曲げないで、「生き抜いて」いこうね
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