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「表」タケミナカタ神話「表」③夕焼けに色をつけるのは?

落ちていく太陽は私の影を晒し出していた。
影は大きくそれは私の内の虚無かのように思えて私は私という拠り所を失った。

たとえばサッカー選手は
足を失くしてもサッカー選手なのだろうか?

野球選手はどうだろう?
腕を失くしても野球選手は野球選手なのだろうか?

たとえば歳を重ねて、若さを失い、記憶は薄れ、自分が今いる場所や家族や友人、これまで積み重ねてきたものすべてを忘れてしまったとして

それでも私は私なのだろうか

私とはなんだろう?
私とは肩書き?
私とは身体?
私とは認知機能?
私とは記憶?
私とは人々…?

夕日は何者でもない私を照らし出していた。


神話に描かれる神々。
それらは長い歴史の中で雄大な変遷を経ています。
Aという神の物語にBの物語が集合し同じ存在として扱われたり、Aという神の物語が分散しCやDという神々が生まれたり。新たな物語を付け加えられたり、削ぎ落とされたり、忘れ去られたり、思い出したり…。

タケミナカタについても同様です。
古事記に描かれるタケミナカタは出雲の国譲り神話の中で唯一国譲りに反対して武甕槌命に敗れ諏訪に逃れ、二度と諏訪から出ないことを約束させられました。
そこにいつしか新しい物語が挿入されていったのです。

諏訪大明神画詞(すわだいみょうじんえことば)という書物があります。これは1356年に諏訪円忠(すわえんちゅう)という人物がまとめあげたものになります。
この中にタケミナカタが諏訪に入る際の現地の神々、特に洩矢神(もりやしん)との戦いが描かれています。

このときタケミナカタは藤の枝で、洩矢神は鉄輪で戦い、結果としてタケミナカタが勝利し、両者の共同体制で諏訪を治めていくことにした、とあります。タケミナカタの子孫が大祝家の諏訪氏、洩矢神の子孫が神長官守矢家となりました。

一方で私はこの洩矢神(守矢家)は出雲口伝における建水方富彦(たけみなかたとみひこ)であると考えてきました。

つまりはこの時点で2柱のタケミナカタが存在していることになります。
そもそも諏訪大明神(タケミナカタとされる)をその身に宿すことで大祝と為す儀式を長年してきた諏訪大社ですから、これは言わば代々の大祝全員が諏訪大明神(タケミナカタ)ということができ、一柱の神の物語とされているものが必ずしも一柱の神のものとは限らない、ということなのです。

その証拠といえるものに続日本後紀(869年成立)の記述があります。
これによれば、842年5月に
「信濃国諏訪郡無位勲八等南方刀美神」に従五位下の神階を与えたとあり、同じ続日本後紀の842年10月に「信濃国無位建御名方富命前八坂刀賣神」へ従五位下の神階を与えたとあります。

同じ書物内でタケミナカタの表記が異なるということです。

これは当時の人々の間で今タケミナカタとされている神が複数存在することが認知されていた、と捉えることができるでしょう(この辺りは後にさらに深掘りする予定です)。

そうなると古事記のタケミナカタの物語とその他のタケミナカタの物語を分けて見ていく視点も生まれてくるとは思いませんか?

ここではあくまで古事記のタケミナカタの「物語」をベースとして彼の生き様を深掘りし、「私」とは何かという「広大な海のような問い」に漂っていこうと思います、



古事記におけるタケミナカタは前述の通り、出雲王族の中で国譲りに唯一反対して戦いました。その代償に手足をもがれ「ダルマ」になってしまいました。

諏訪に逃れたタケミナカタはその後、それまでをどのように振り返り、変わりゆく我が国をどのように眺めていたのか。


上記の記事で触れた通り、一般にタケミナカタの父とされる大国主と母とされる奴奈川姫はおしどり夫婦であったとされますが、実際にはそれは曲解に近いのです。
伝承によれば出雲での奴奈川姫に対する大国主の態度は冷たいもので、故にタケミナカタを置いて実家である高志国に逃れるために茂みに隠れるも、追手に火をつけられて行方がわからなくなったといいます。

国造りの理想のために母を蔑ろにする父と、
その悲しみから自分を捨てた母
その狭間に立つ幼き彼が見た夕日は何色だったでしょう
孤独は彼の見る夕日を痛いほどに鮮やかに彩った
彼の胸の虚ろを映すように影ばかり大きかった


天孫族が国譲りを迫ったとき、出雲国の中で唯一彼は戦うことを決意しました。
それは人々や一族の誇りを守るためでした。
彼に孤独な幼少期を強いた国。
それでも彼が国を守ろうとしたのは、失くしたくない想いが、積み重ねてきた人々との思い出が胸にあったからでしょう。
それに痛みが含まれていたとしても、
むしろだからこそ

その時の彼は陽が沈もうと怖くなかったでしょう。
手には触れられなくても、
目には見えなくても、
太陽は世界にあることを知っているから。
胸に宿る誇りこそが太陽であるから


戦いに敗れ、
手足を失い、
人目を隠れ、
痛みにもがきながら、
人々に忘れ去られていく。

戦いの日々は人々から疎まれ、
侵略された事実は平和に見える穏やかさのうちに忘れ去れていく。

「まだそんなことを言っているのか」
「時代は変わったんだ」
「お前ももう忘れろ」
「まだ戦いを続けたいのか」

そんな風に疎まれていく。
彼は孤独になっていく。

何故?何故人々は忘れる?
何故忘れることができる?
あの日々はなんだったのだ?
あの戦いはなんだったのだ?
時代遅れとはいったいなんだ?
時代で「正しい」が「正しくない」に変わるのか?
誇りはないのか?

おかしいのは私なのか?
私はもういらないのか?
私は死んでいくのか?

その時の彼は落ちていく太陽に朽ちていく我が身を映したでしょう。
どうしようもないやるせなさ
抗うこともできず太陽は沈んでいく
無力さがそこに映し出されていた


日々が過ぎて彼は忘れていく。
憎しみを
怒りを

僅かでも彼を慕う者ができ、彼の元を訪れ世話を焼くようになる。
彼は静かに朝を楽しみに思うようになる。
愛する者たちが訪れる朝を。
沈みゆく太陽はそんな朝を連れてくる希望。

そして気がつく。

太陽はいつも昇り落ちるだけであったことを。
真に偉大なるものはいつも「ただ在って繰り返しているもの」であること。
そこに意味を、色を見出しているものこそが「私」であること。

「私」とは「ただ在るもの」に意味を与え、色を塗る固定位置。

時に虚しさを塗り
時に情熱を重ね
時に喪失を意味付けし
愛に帰結させる

塗り続ける限り、
意味を見出し続ける限り、
「私」はそこに存在し続ける。

腕を失くしても
足を失くしても
肩書きを失くしても
記憶を失くしても
意味を失くしても
集合されても
削ぎ落とされても
忘れ去られても
思い出されても

何を失っても
何かを得ても

その時々の心の色を世界に塗り続けるのが「私」であるということ

それこそまた、自分自身も「ただ在る」、ということであり、だれかがそんな「私」に色を塗り、意味を見出し「神話」となったということでしょう。


色を塗り続け
意味を重ね続けてください
ただ在り続けるのです
きっとそれこそが
きっとそれだけが
人に課せられた役割なのですから

あなたが最後まであなたでいられますように

最後までご覧いただきありがとうございます。

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