私の記事に関してと今後の展望
はじめまして、もしくは何時もありがとうございます。
大花 町(おおはな まち)です。
これまでnoteにて様々なトピックで記事を書いてきました。
初めは現在諏訪大社で御祭神とされているタケミナカタについて書き込んできました。
このトピックに関しては、おかげさまで今でも視聴数が伸びていて現在もそれ目的での「いいね」、「フォロー」をいただけています。
その後はユング心理学やニーチェ等の思想を中心にこの世界が仮想世界であることや、AIやメタバースの「裏」の視点をお伝えさせていただきました。これに関しては私の力不足もあり、あまりご理解をいただけていない印象です。タケミナカタや古代史、日本神話に関して気になって「フォロー」していただいた方からはフォローを外されることも多いです。
記事を投稿する中で主に現在の私の人生に関わる内容は削除させていただきました。色々とまずい部分があったので。
実は私にはこのnoteを通して、調査してみなさんにお伝えしたい、表現したいトピックがあり、これまでの内容は全てその前提となるものなのです。
ただあまりにも膨大な前提知識を要する内容で私自身まとめきれておらず、一度はあきらめてタケミナカタの記事たちで終わらせようとも思ったのです。
もっと手っ取り早く前提知識をお伝えする方法もあるのですが、手っ取り早い方法は書き込むのにかなり苦心する内容ばかりなのです。
しかし、ようやく「本題」に触れるための「前提」が出揃い始めたので今後の展望について軽く書き込ませていただこうと思った次第です。
まず「D」についてを現在書き込み初めていますが、それと並行して「諏訪信仰」に関して郷土史を中心に基礎的な内容から記事を書いていこうと思います。
それに加えて「フランス革命」についても書き込んでいく予定です。
「ユング心理学」についてももっと理解しやすく書き込んでいく予定です。
私がお伝えしたいのは、様々な思考や思想の荒波から身を守るために相対主義(正しさは立ち位置によって変わるのだから真理などは存在しない、というような考え)にたどり着き、しかし「人それぞれ」という達観した考えは何も生み出すことはないために、「内的真実」という荒波に立つ小島を創り出す、という「過程」の大切さです。
そして、何かを創り出すために「内的真実」にたどり着きたいという、根元から生ずる「欲動」です。
つまりは、「ディオニソス的なもの」、について表現したいのです。
諏訪信仰とタケミナカタも、Dについても、この世界が仮想世界であること、メタバース、AI、ニーチェ、グノーシス、フランス革命、意識と無意識、コンステレーション、それら全てがそのための前提となる内容なのです。
よろしければ今後とも懲りずに読み進めていただけると幸いです。
読んでいただきどうもありがとうございました。
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