【映画批評】#33「まる」 こんなに愛くるしい映画だとは!
「かもめ食堂」「彼らが本気で編むときは、」の荻上直子が監督・脚本を手がけ、堂本剛が27年ぶりに映画単独主演を務めた奇想天外なドラマ、「まる」を徹底批評!!
堂本剛が堂本剛であることに不自然さが全くないことそのものが面白い。筆者が大キライでおなじみ某ルックバックのカウンターは東洋哲学をあちらこちらに散りばめた力作!愛くるしい!!
鑑賞メモ
タイトル
まる(117分)
鑑賞日
10月18日(金)20:50
映画館
あべのアポロシネマ(天王寺)
鑑賞料金
1,300円(平日会員価格)
事前準備
予告視聴、前作鑑賞済
体調
メンタル不調気味…
点数(100点満点)& X短評
90点
こんなにたくさんのいいねを誰がもらえると思いまっか?by 月亭方正
ありがとうございます!近鉄はnoteをやめへんでー!!!
あらすじ
ネタバレあり感想&考察
堂本剛の魅力を最大限に放出
ご褒美としか言いようがない
当方、筋金入りのキンキファンである。
初めてのめり込んだジャニーズ=キンキが多い世代だと思う。SMAP・TOKIOは自分よりちょっとお兄さんお姉さんの世代、V6・嵐・キンキ・タキツバが多い世代か。特に今の30~40代は小中のころにジャニーズ好きだった男性が比較的多い気がする。だから本作の評価はちょっと甘めかもしれない。いや、それでもこの映画は強く推したい。東洋哲学をうまくチューニングして表現できている良作だ。間違いない。
正直、期待と不安が入り混じった鑑賞だったが、存外に面白かった。かなり愛くるしい映画の部類に入る。ただ刺さらない人には全くっぽい。Xで今年ワーストとポストする人もちょいちょい見る。でもそんなことは関係ない。本当に愛くるしい映画だ。本作は点数では測れない。
荻上直子作品は大学のころに「かもめ食堂」「トイレット」のDVD借りて、20分ぐらいでもういいやとなって観るのをやめた記憶がある。(多分100円レンタル)
それぐらい良いイメージがなかった監督だったけど、昨年見た「波紋」が結構面白くて、この監督相性良いかも!となっていたタイミングで剛とのタッグ。27年ぶり、しかも「金田一少年の事件簿/上海魚人伝説」以来の堂本剛主演なのだから、そりゃ観るぜ!とはなったものの、不安も大きかった。
本作を観た後でもまだ疑心暗鬼な部分が残る監督だ。「波紋」と「まる」は良かったが、相性としては振れ幅が大きそうな作風に感じる。今後も不安はあるだろう。
ただ本作は本当に良かった。(何回言うねん)
メンタルがキテたタイミングもあるが、それにしても良かった。めちゃくちゃ良いとかそういうことじゃなく、気楽になれた。胸がスッとすく感じがして気持ちがいい。決して名作ではないが、間違いなく良作。
それを可能にしたのも堂本剛の魅力を最大限に引き出すことを目的とした、主人公のキャラとテーマ設定、空気感が見事に合致したからだ。もちろんそれに応えた剛も素晴らしい。2年以上かけて口説いてすり合わせもしたうえで作り上げた荻上監督には感謝しかない。また隣人の横山役を綾野剛にしたのもドハマりでキャストの座組って本当に大事だと思い知った。
森崎ウィンも歌ってないとこは初めて観たので、最後まで気づかなかった。吉岡里帆は記号的でネタくさい役だったけど、かわいいからOKでしょう!笑
結構わかりやすくセリフで説明しちゃってるところもあるが、それをしてでも明確にしたい部分があるんだと思う。虚無化しやすい西洋哲学と資本主義の歪みへのカウンターでもある。意味性自体の否定でもあるので批評すること自体、野暮になる。だから最初は本作と堂本剛を中心とした魅力の提示にした。
そして本作用に再録したエンディング曲の「街」も観た後ではさらに味わい深い仕上がりだ。物語自体では泣かなかったが、この曲で涙腺ギリギリまでやられた。(何とか耐えた)
劇中音楽の制作も剛が担当していたらしい。凄まじい男である。感動した!
元から満たされていた沢田の帰還
東洋哲学から紐解く本作の魅力
本作は東洋哲学の有用性を説くようなお話だった。
ちょうど先日、しんめいP著「自分とか、ないから。教養としての東洋哲学」を読んだところで、もうまんまこれのことやん!となったので合わせて紹介する。(しんめいP自体がめちゃくちゃ面白いのでリンク貼っときます)
この本自体は東大卒の人とは思えないぐらい、軽い筆致で書かれているので読みやすいし時間もかからない。上記著作の章目次を紹介しながら、この映画の東洋哲学のエッセンスを振り返りたいと思う。
「自分とか、ないから。教養としての東洋哲学」目次
1章「無我」 自分なんてない(ブッダ)
2章「空」 この世はフィクション(龍樹)
3章「道」 ありのままが最強(老子と荘子)
4章「禅」 言葉はいらねえ (達磨大師)
5章「他力」 ダメなやつほど救われる(親鸞)
6章「密教」 欲があってもよし(空海)
無我はコンビニバイト仲間のミャンマー人モーがしきりに言っていた言葉だ。これはブッダの考えだ。ブッダは6年にも及ぶ長い苦行のさなかにギャル(スジャータ)からおかゆを分け与えられた。そこからみるみる元気になり、その勢いで瞑想したら悟りを開いてしまったらしい。
これは柄本明演じる謎の老人から円相図とともに「これ食うて茶飲め」と書かれた掛け軸を眺めながら、まんじゅうをもらって食べたシーンと被る。このタイミングで沢田(堂本剛)は悟りを開いたものと思われる。円相は悟りや真理、仏性、宇宙全体を円形で象徴的に表現したものとされる。無我の境地に達した沢田は自分が書いた円の如く、書き始めた始点を終点として戻ってきた。それはもともと自分ってただ絵を描いていたいだけだったんだと気づいた瞬間だ。そこからクライマックスへと向かっていく流れは流麗であった。福徳円満、円満具足。沢田は元から満たされていたことに気づく。
空(くう)は龍樹の考えだ。空はすべては幻、すべてはフィクションとした考え方だ。本作では沢田がよく空を見て、物思いにふけっているのが印象的。その空を見てよそ見をしたことで商売道具である絵を描くための利き腕をケガする。仕方なく利き腕でない左手で描いた【まる】が、自分の想像をはるかに超えて世界から高評価を受けることになる。全くもって意味を持っていない空っぽの作品が期せずしてとてつもない価値を持つことで、淡々とした人生が噓のようなドラマ(フィクション)性を持って、グルグル回り出す。しかし、やっと訪れた人生の大回転も空転しているような状況にも映る。そのこと自体が空虚、本人ですら意味を見出せない事態に苦悩する沢田。本作の事態を通して自分や世界が空っぽであることを認め、前述したように元通りの自分を取り戻す。
道(タオ)は老子・荘子の考え。老荘思想と呼称される。無我・空のインド発祥の哲学はこの世界から解脱することを目的としているが、中国発祥の哲学はこの世界を楽しむことを目的としている。老子は無為自然を説き、荘子は無職のまま「ありのままでいいんだよー」という考えを世間に伝え、歴史に名を残した。沢田も円相のムーブメントによって、迷い、苦悩し、右往左往することになるが、ありのままでいい=自分が自分であること、を追求する姿勢を示す。働かない2割のアリでもゴキゲンに気の赴くままに生きていればいいじゃないか、だって自分は描きたい絵を描いてるのが楽しいんだもんと思い立つ沢田に、壁の穴から質問した横山(綾野剛)同様、胸を打たれた。
禅はインドの達磨大使が中国に普及させた哲学だ。禅は「言葉をこえる」には?という問いに対して、「言葉をすてろ」という不立文字の考えを普及させた。本作の「ことば」に当たる部分は、"意味性"や"この世界の役に立つかどうか"を指していると感じた。何度も言うように沢田は評価されることや感動を生むことなどは気にせず、自分の思うままに流れに身を任せ、絵を描き続けることを選択する。また、円相が当たる前の元の沢田として終始接していたモーが最後、色紙に【まる】を描いてもらい、署名ももらわず「ありがとう。大切にします。」と声をかける。本当の価値は本人(たち)の中にあることを示している。このシーンも本当に良い。
他力は諦める=自分がダメなことを認めることで空がやってくる。そんな人間がやることは「ただ、信じる」ことであり、それによって救われるとする哲学。密教は異質で超イケイケのポジティブ。生命全てを大肯定する哲学だ。よって、欲望を持つことまでまるっと肯定してしまう。
沢田は円相によって、自分のアートが価値があると考え、とてつもない煩悩に支配される。しかし、東洋哲学ではそれすらも肯定される。さらに広げれば、沢田の円相に群がる欲に目がくらんだ周囲の人間たちもまるっと肯定することも可能なのだ。監督にその意図があるかはわからないが、真っ向から彼らを否定している様子は感じられない。そこに本作の魅力があると思われる。生きていれば、すべては肯定されるべきなのである。
胸がすき、ラクになれる東洋哲学と本作のリンクを楽しんでほしい。
ダブル剛、おいでやす小田…
売れてるのに楽しくなさそうな人たち
ダブル剛とは堂本剛と綾野剛のことである。
"つよし"と"ごう"で読みは違うが、まあいいだろう。また、おいでやす小田の起用も興味深い。個人的にこの3人って、売れてる(成功してる)けど全然楽しそうじゃないと思っていた。絶対に意図のある起用だと思う。
↓東京進出後の6年間、ずっと楽しくないことを吐露するおいでやす小田回
荻上監督の映画チャンネルでのインタビューで堂本剛起用のきっかけについてこう話している。
自分も同じような気持ちで彼を見ていたような気がする。ただファンとしてはそんなこと思わない方がいいと思ったり、なかなか複雑な心境で長い間見てきたのも事実だ。光一がホンモノのネアカ=陽キャだし、「SHOCK」の舞台をひたすらやり続けることでイキイキしているように映るから余計にそのコントラストがより際立っていた。
監督の剛への宛て書きは良いとこ突くなぁとただただ思ってたけど、監督自身も苦しさを感じていたのは作家性=持論がハッキリしていると思っていたから意外だった。明らかに前作「波紋」から鋭さみたいな部分がむきだしになってきたあたり、作家性に大きな変化と磨きがかかっている。だからその苦しみも悪くなかったよねとなるように今後も映画監督を続けてほしいなと思う。堂本剛、綾野剛、おいでやす小田も同じく、前進してほしい。自分もそれに追随したい。
とにもかくにも、監督と主演の魂が共鳴することで魅力が最大限に増した一作。剛が涙流すシーンなんかもう鳥肌モノでした。本作が観られて本当によかった。
関係者の皆さん、ありがとうございました。めっちゃ良かったです!
まとめ
書きたいことは本文で書きました。(スッキリ)
言葉はいらない(禅)!観ぃぃ!!ええど!!!!
最後に
あえてパンフレットを買わずに記事作成チャレンジしました。
明日以降、買えたら買いたいと思います。(残ってるかな…)
久しぶりに力の入った記事でした。「ひとりじゃない」を聴いて寝ます!
あとついでに森崎ウィンの「Don't Boo!ドンブラザーズ」も!!!