4年生国語『初雪のふる日』でのチャレンジ
新年度が始まった。
すでに疲れ切っているが、今年度はどんな1年間になるのだろうか。いや、どんな1年間にしていけるか。
今回は、昨年度小学校4年生の国語の教材(光村図書)『初雪のふる日』を通してチャレンジしてみた実践を記録しておこうと思う。
この実践は、奈良女子大学附属小学校で古くから実践している子どもが授業をすすめる方法、『独自学習→相互学習→さらなる独自学習』という考え方と方法、奈須正裕さんの『個別最適な学びと協働的な学び』に出てくる山形県の天童中部小学校の取り組みといったことを、自分なりにアレンジを加えて実践してみた。
1.授業計画を子どもに公開
大雑把だったが、私が進めたい流れで授業計画を作成した。それを、学習リーダー(この実践をする時に立ち上げた担当)の進行役2人と記録役3人(黒板2人、ノート1人)に、予め示した。
計画を見ながら、私からその時間その時間で大切にしたいことなど詳しく伝えた。その後「という感じで先生は考えてるんだけど、どうかな?」と尋ねると、「うん。いいと思う。でも、先生、なんで音読抜けてんの?」、「この辺りまでは先生が進めて、あとは私たちが進めるって感じがいいかも」、「とりあえずこここからここまでの場面を読み取った方がいいと思う」と大人顔負けに助言をくれた。また、記録役の黒板担当の子たちには、私が始めはやることを伝えた。子どもたちと意見交流して作り変えた授業計画は、下記に一部だが示しておく。
2.授業にのぞむ
上に示した第2時間目は、今回のチャレンジのスタートを切る時間だったわけだが、概ね流れや質もそこそこよかったと思う。ただし、私の板書がいまいち・・・いや、ダメだった。この学習形態にしてスタートを切ったはよいものの、子どもたちの発言がこれまで以上に活発で、黙って必死に書き続けていても聞き逃している点が多くあった。
授業後に司会役と第2時間目では特に役をやったわけではない記録役を集め、今日の授業のふり返りをした。
ひとまず、記録役の子たちに「先生の記録どうだった?」と聞くと、「あんなに早いのに、字がきれいだった」というお褒めの言葉をいただきありがたかったのだが、こう聞き返した。
「そんなきれいだった?ありがとう。きれいだったのかもしれないんだけど、発言してくれた人のポイントを外して黒板に残していたところってなかったかな〜。」
すると記録役の子から「先生、結構いいキーワード聞き逃していましたよ。先生が追いつかなくても聞き合いの時間はすすんでいってましたけど。」
こういうストレートさが欲しかったので、自分を恥じながらも、ありがたかった。
さらに記録役の子の一人がこう話を進める。
「あと、女の子の気持ちの変化読み取ってるわけだから、色のついた線を言葉に引けば、「○色がこの辺りは多いから、少し怖そうに感じている」とかがわかりやすいと思う。」
だんだん指摘されるうちに、どんどん自分の未熟さが恥ずかしくなってきてしまった。なかなかのボコボコな言われようである。しかし、そこまで授業に集中しよりよくしていこうというこの子たちを、リスペクトする気持ちの方が強かった。
3.完全子ども中心の第3時間目
第3時間目は、私は前回の振り返りを2人紹介したあと、すぐに司会役にバトンパス。私は、クラス全体が見える位置に座り、子どもたちと同じ学習用具を机に出して参加した。
第2時に増して、音読後に女の子の気持ちをひたすら教科書または教科書をコピーしたプリントにじゃんじゃん叙述から考えたことを書いていた。なんとなくにぎやかに音読していたのに、しーんとなって女の子の気持ちを個で読み取り、そこから自分で何をやっていきたいか『個人のめあて』に書いていく。
その姿から、奈良の学習法でとても大切にされている『独自学習』の大切さを理解できたように感じた。学習内容が自分ごとになると、いつもはすぐに友達とやりたがろうとする子も、個での時間にかなり集中していた。
記録役の子たちも見事だったと思う。
字はあまり上手ではないが、問題はそこではない。叙述と気持ちを上下に分け、色を派手にならない程度に使っていた。
黒板役の二人は手分けして友達の発言をまとめて書く。ノート役の子は聞き逃さないようにひたすら発言をノートにメモする。黒板役の二人が聞き逃しているところはないかチェックしていた。
この授業のふり返りに、「はじめはこの物語の気持ちの変化ってよくわからなかったけど、みんなとこうして聞き合いをしていくと、女の子は気持ちの変化があったんだって気づけた。」と。それは聞き合いの時間もそうだが、それを上手に記録してくれた記録役の効果も大きかったと感じている。
この授業の振り返りを一部掲載する。
4.「山場」を探す失敗と子どもの「不思議」を取り上げた活動の有効性
第4時間目は、私が提案した「この物語の山場、つまり大きなできごとってどこだったのだろう。」という問いについて、子どもたちの様子は、以前に比べかなり意欲的ではなかった。問いを出して聞き合いの時間に至っても、ポツポツと発言する子が出てきた。難しかったのか、この問いが子どもたちにとって必要がなかったのか、「これはやってしまったかもしれない」とすぐに思った。思った時点で、すぐにこの問いの聞き合いを中断すべきだった。一生懸命に子どもたちの意見を引き出そうとしてくれていた姿が本当に申し訳なかった。
第5時間目は、私の問いではなく、第3時間目に出た子どもが不思議に感じた箇所について聞き合いを行った。
ある子が不思議に感じた叙述は次の箇所だった。
このように書いたのはなぜか不思議っだったそうだ。私は、上の部分を抜かして音読してみる。「ここなくても、意味は通じる気がするけど・・・。」という声。
私から「一旦、この部分を入れた状態で音読をして、どうしてここにこのようなことを書いたのか考えてみよう。」
すると、子どもたちは意欲的に音読を始めていたり、音読を忘れすでにプチ聞き合いを開いていたりしていた。問題が自分ごとになっていることがよくわかった。
黒板のようなことが主にあげられていたが、子どもたちはある子の意見に対して、「あ〜たしかにそうなのかも」などとつぶやいたり、うなずいたり、首をかしげていたりしていた。
一気に作者の意図に着目する時間を子どもたち自身で創り上げていたように感じた。
この時間の振り返りの一部を紹介する。
第6時間目は少し早かったのだが、どうにもこの年度末に差しかかってくる物語教材は、時間が思い切り取れないという心苦しさがある。
この時間は、これまでの子どもたちの学びをふり返り、「初雪のふる日」を聞き合いなどを通してどのように感じてきたか、それぞれの子どもたちにあげてもらった。私としては、子どもたちそれぞれのふり返りがとても学びになり、「子ども」と「学び」の可能性の大きさを知らされた気がした。これまでの授業では、なかなか参加度が低くなってしまう子(それは、私の授業設計に問題があったわけだが)、普段あまり自分の思いを言葉として表現しない子がなんの手助けもいらず、この学習への思いを表現していることに感激した。
以下に、単元のふり返りを一部紹介する。
子どもたちのふり返りを読むと、「このような子どもたちの反応は、珍しいものでも新しいものでもない」と捉えられると思う。
確かに、文面だけでは伝わりにくいものがあると思う。ただこの奈良の学習法にある「独自学習→相互学習→さらなる独自学習」には、子どもたちの躍動感がすさまじいということは伝えておきたい。
私は、奈良の学習法を取り入れた実践はまだまだ始まったばかりで経験が少ないが、子どもたちの様子や子どもたちが創る空気感を肌感覚であるが有効性を感じた。
繰り返しになるが、今回の実践は奈良の学習法を取り入れたものだった。
私は、この学習法を取り入れるまで、かなり慎重だった。なぜなら形だけ真似していては何の実りもないからである。令和4年の11月に奈良女附小を見学後、文献や附小の先生にさまざま聞く中で実践に取り入れた。
実践していく上で、特に「独自学習」に注目した。奈良女附小で戦後主事をだった重松鷹泰氏の「孤独の味」というものを少しでも感じたかった。奈良女附小が取り組んでいる独自学習は、かなりの時間をとっているため、比べものにならないが、良くも悪くも「孤独の味」を感じることで起こる「相互学習」の熱量の大きさを感じた。
また、木下竹次氏の「合科学習」という考え方が少しだけ見えたような気がした。それは、単に各教科を混合するということではなく(このことについては、木下氏も「合科学習は各教科を小さくきざんで混合して行う方法だなど云うのは根本的に合科学習を理解しない言葉である。」と言っている。)、子どもたちの自然的な学びの姿であったり、子どもたちが遊びの中で様々議論するような生活的な様子であったりという部分に「合科学習」の意義をほんの少し体験できた気がした。
今年度は教科担任制のため、国語はできないが、理科の学習でも「奈良の学習法」を取り入れながら進めていきたい。