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ICTと教育を考える

16日(月)、蓑手章吾先生の教室にお邪魔させていただいた。

情報教育を専門にしている同僚と一緒に。

私は、蓑手さんのことは知ってはいたがお会いしたことがなかった。

初めてのご対面だった。

現在の教育について、様々なメディアや書籍などでご自分のご実践やお考えを発信していらっしゃるということもあり、とても楽しみだった。

まず、蓑手さんとお会いして感じたことは、とても温かく、穏やかな空気感をおもちでありながら、ブレない芯とお話の鋭さを感じた。

さて、見学の様子である。

5校時目は、6年国語「みんなで楽しく過ごすために」の授業。

漢字ドリルを使った練習からスタート。

次は、音読が始まる。タイムトライアル的に取り組む。

「◯分だった人」とか「◯◯さんは◯分で一番早かったね」といった競争を煽るのではなく、記録が更新されているかを子どもに尋ね、自己の成長に目を向けさせている。これは、以前、ブログであげていた学年リレー大会のチームの記録の更新に重なるところを感じた。

1年生との遠足をテーマにして「原因」と「改善策」を話し合う。

授業開始20分ほどは、至って一般的な授業だった。

これは、冷めたように言っているのではなく、私は、ここに安心感をもてたのだ。一緒に行った同僚もそうだが、なんだか真似のできないような、ダイナミックにICTをフル活用した授業を想像していたからだ。もはや、一人一台のパソコンは、机上にあるだけの文房具の一部にすぎなかった。

子どもたちの話し合いは、はじめはそれほど活発ではなく、むしろかったるそうにしている子さえいる。対話が滞っている状況のグループがあった。

蓑手さんも、そういったグループのところにも見回っているが、よく教師がやりがちな「介入」はしない。しなやかな雰囲気で各グループを見回っているというより、見守っていた。

話し合いが始まって5分を超えたあたりか。どうしたわけか、グループでの対話が活発になってきている。遠足でのエピソードも交えながら。

10分ほど経ったあたりで、話し合いの中で生まれた「だれの、どの発言や役割がよかったか」を、それぞれに記録するように促す。スクールタクトを使って。自然な流れで一人一人パソコンを机上に開き、ものすごい速さでタイピングが始まり、画面をタッチしながら自分なりのレイアウトをサッと設定する。しかも、黙ってパソコンに向かっていない。さきほどよりも対話がさらに活発になった状態で、思い思いのことを語りながら打ち込んでいる。まるで、オフィスのようだった。

6校時目は、6年算数「データの調べ方」

スタートはプリントを使ったタイムトライアル式の計算練習。

教科書で扱っているデータを扱いながら、平均値、ドットプロット、最頻値を、全体での話し合いやデータ整理の活動を入れながらおさえていた。これもまた、一般的な授業風景。ここでも安心感があった。しかし、ここからだ。

個別学習に入った。

パソコンをそれぞれ開き始める。「めあて」と「振り返り」を白紙の画面につくる。それが終わると、めあてを打ち込んでいる。しかも、一人一人めあてが違う。個別学習で達成すべきめあてを立てていた。

めあてを立てた子から、パソコンに入っているドリル「やるkey」に取り組む子、紙のプリントに取り組む子など、それぞれが取り組みたいことに取り組み始めていた。

さっきも書いたが、とにかくタイピングが速い。このクラスに私が児童として入ったら、恐らく一番遅いポンコツになるなと感じた。

中には、イヤフォンをしている子がいた。何を聴いていたのかと、放課後の蓑手さんとの対話タイムで聞いたところ、音楽を聴きながらやっていたそうだ。

蓑手さんは、この音楽を聴くことで学習が進むならOKとしているという。もしテストで10点以上点数を落としたら、音楽は禁止になるそうだ。

これは賛否が分かれるところだと思うが、私は、そういった教師のやり方に賛成でも反対でもなく、子どもがそれでよければいいんじゃないかという立場だ。ってことは、賛成側だな。

個別学習の時間が終わると、振り返りを打ち込みが始まる。

子どもたちの振り返りは、「◯◯ができるようになった」「◯◯が分かった」といったものではない。

「◯◯が難しかったから、次は◯◯に気を付けて取り組む」といった、次に向かうための振り返りだった。

授業が終わり、1時間ほどだろうか。お話をする時間を頂いた。

国語や算数のスタートでは、よくあるアナログな学習場面について、蓑手さんは「脳に覚えさせたり、体に慣れさせたりする時は、手で書かせることを大切にしている。また、その中でタイムトライアル式を大切にしている」と。

ここに、デジタルとの使い分けがはっきりしているのが分かった。

国語の話し合いの様子を私から話すと、蓑手さんは、

「ある程度の大枠の観点は示すが、あとは子どもたちに委ねている。」

「司会とか役割とか決めさせることってよくありがち。でも、滞っている対話の中を、どう自分が乗り越えていくのかということを体験的に学ばせている」と。

共感した。

よく滞っている子どもたちの話し合いに対して、協議会などで「教師の指示や発問が不明確だから、子どもが迷うんだ」といったことは、よく発せられるし、私も言われたことはある。だから、蓑手さんの仰ることと私が子どもたちに対話的な場面を生むときに大切にしていることの一致点を見ることができ、嬉しかった。

ICT活用の話題になった。蓑手さんは、他校などでICTを活用した授業を見に行った中で、「確かにすごいことをやっているが、子どもの「普段づかい」ができていないことが引っかかっている。」と。

蓑手さんは、タイピングはギッチリ指導したことはないという。

日常的にパソコンをいじることで、また、必要感が生まれる仕掛けをつくって、子どもたちが言葉を打ってみたくなるようにしているそうだ。「タイピングが6割から7割くらいできるようになると、ものすごいスピードで子どもたちは子どもたち同士で上達していく。」とも。

“朝ノート”の取り組みについても具体的にお話を下さった。

日常的で無理のない中、パソコンで遊び倒すといった感じをもった。

それは、スクールタクトを使う。子どもたちに、白紙の画面にどのような形でもよいから、毎日朝の時間の10分間で、今の気分や昨日の出来事、みんなへのメッセージなど、伝えたいことを書き込む活動だ。それぞれ書き込む時に、キャラクターやマンガのイラスト、画像などを貼り付けることも許可している。

なんて遊びのある活動だろう。しかも、楽しくパソコンに向き合える。

子どもたちは、学校では話せなかったクラスのこと、係活動や他のクラスの子とも打ち合わせなどをスクールタクトでチャット的に行う。

この日常的な活動の中で起こるちょっとしたトラブルについて、蓑手さんは、

「過激な言葉ではなくても、誰かが傷つくような表現が出たら、教師と子どもたちでその表現のあり方を対話する機会が生まれるし、わざわざ情報マナー的な授業をしなくても、リアルな事実が起こるわけだから、より子どもが体験的に学べる。そういった、失敗から学ばせていくことが大切。」

「どうしても、日本の教師の多くは、失敗しないように、トラブルが起きないように、きれいにやらせようとする。でも、それでは子どもたちが社会で生きるためにならないし、子どものためではない」

「教師の教育観のアップデートの方が、ICT活用に躍起になるよりも大切だ。」と。

本当にその通りだ。

「ICTが入ろうと、結局はその教師の教育観、子ども観、学習観、成長論といった思想的な部分がしっかりしていないと、子どものためのICT活用にはならない。」

これもまた、ご尤もである。

私のiPadのメモにはもっとたくさんのことがメモしてあるが、このあたりで閉じよう。

私の勤務校は、来年の3月から順次一人一台パソコンのGIGAスクール構想が始まる。教師がパソコンに負担や苦痛を感じ、拒絶体質とならぬように、技法ばかりに終始せぬように、ICTで楽しく遊んじゃおうぜ!ってくらいの軽さの中で、意味ある活用のあり方を、パソコンやアプリを試しながら、職員同士の学び合いと対話を重ねながら、子どものための単なる文房具になっていけるように、焦らずに進めていきたい。

蓑手さんには、コロナ禍で外部の人を入れるのはなかなか難しい状況や6年生という忙しい学年にもかかわらず、授業を拝見させていただき、お話する時間をつくってくださったこと。

さらに、石川晋先生と出会いお世話になってきていることで、蓑手さんのことを知り、ご実践を拝見しに行きたいという運びになったこと。

前任校で大変お世話になった方が蓑手さんの学校の研究主任として赴任されたことで、蓑手さんとの連絡がスムーズにいったこと。

そして、本校の校長が蓑手さんのご実践に出張で出してくださったこと。

蓑手さんの学校の校長さんが受け入れてくださったこと。

すべてのご縁とご支援が、有意義な時間、充実した1日をつくってくださったのだ。

心の底からありがたい限りだ。嬉々とした、爽やかな1日だった。

この恩を、本校の教育活動と教職員の環境改善としてお返ししていきたい。

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