北海道の奥尻島
わたしの母の実家北海道奥尻島について書きたいと思う。
地図で見ると北海道の左下の方に小さな島があると思いますが、そこが奥尻島になります。
江差から出ている船で行くか、函館から出ているラジコン程に小さな飛行機で行くのですが、飛行機は最後尾の座席から機長に話しかけられるレベルの飛行機です。
わたしが小学校5年生の頃だと思うのですが、癌になったおばあちゃんの闘病生活を応援したい!というおかんについて北海道に転校することになるのです。
わたしはおばあちゃんのことがとても好きでした。
普段お使いとかは進んでやるタイプではないけども、おばあちゃんの役には立ちたくて「なんかやりたい」と催促して与える仕事難でおばあちゃんが困るくらいでした。
子供時代は毎年夏休みは奥尻島に遊びに行っていたので、友達も近所の人とも顔見知りですがまさか小学校に通うことになるとは・・・
親族も多く奥尻島に住んでいて、わたしは自分の母より仲良くしている母の妹(独身の叔母、趣味:ゲームとファンタジー映画)の家でお世話になります。
母の姉も奥尻島に住んでいて、母の姉の娘はわたしと同じ年です。(従姉妹)
従姉妹のさっちゃんは個性を放っています。
現在大人になったさっちゃんですが、365日のほとんどを漁船で過ごしており、
趣味は大型バイクです。カッコよすぎる。。。なお独身である。
直接見てないので不確かな情報ですが、叔母の話によるとハーレーだと言っていました。うんうん、やりかねない。
当時奥尻島は大きな病院も一つしかなく、病院から離れている地域の人達は人一倍緊張感を持って気をつけながら生活しなくてはなりません。救急車で2時間なんてザラなのです。島で対応できない場合はドクターヘリでプルプルと函館の病院へ運ばれます。
そんな小さな島での暮らしは、東京という都会育ちのわたしにはエキサイティングな日々で、毎日楽しくて仕方ありませんでした。
山の頂上には子供には届かない、難解なアスレチック遊具がある役場と火葬場があるのです。
子供の頃は分からなかったけれど、煙が出ていた日は誰かが火葬されていたんですね。
山の頂上に行くために山を登るのは小学生のわたしたちにとっては試練というほどの距離で、叔母に車で連れて行ってもらうのですが、叔母も忙しく毎回は連れて行ってくれません。
小学生の知恵でくるくると山道を歩くのではなく、山の中を垂直に登ることがショートカットになるのではないか?ということで山の中に入るも蛇が出て断念。
「蛇が出たぞー!」と家に帰ると母より「塩を持って行きなさい。そして蛇が出たら直線に走るのではなくくねくね走るとまくことができる。蛇は直線以外は遅い」と助言がありました。「え?そうなん・・・?」
危ないからやめなくていいの・・・?・・・いいらしい。
ウェストポーチにぎっしり塩を入れ撒き散らしながら山を登ります。
蛇が出てなくてもくねくね歩いて疲労はマックスです。
木の根っこに捕まりながら山の崖をよじ登り、ガードレールが見えてきた!ついに!頂上!とてもデンジャラス。
放課後は毎日山に登って遊ぶか、海沿いの防波堤を途切れるまでずっと歩くか、海に落ちているキラキラしたガラス石を拾ったり、貝殻を箱に詰めて持ち帰ったり、都会では経験できない充実した毎日を過ごしました。
海沿いの防波堤を歩いたことを思い出すと、ついでに岩井俊二監督の映画PiCNiCも思い出します。
決して明るい映画ではないけれど、主役の3人が並んで一列で海沿いを歩くシーンが好きで、子供の頃の記憶と相俟ってセットで記憶に残るようになりました。
PiCNiCよりも奥尻島の方が綺麗です。
奥尻島には賽の河原という場所があります。
幼くして亡くなった子供たちの渡る三途の川の直前の河原だと教えられました。
全く霊感のないわたしでも、賽の河原に行くと全身がピリピリと味わったことのない独特の雰囲気を全身で感じます。
子供たちの霊はそこで石を積み上げます。
「1つ積んでは母のため、2つ積んでは父のため」
せっかく積んだ石も地獄の鬼が、壊してしまうのだそうです。
子供の頃のわたしもその話を聞いて一生懸命石を積みました。
とにかく怖い。でも不思議なもので子供の頃ってあまり恐怖心がないのです。
目に映る恐ろしいこと、物理的に怖いこと以外は恐怖心が薄いんです。
暖かい夏の日に行ってもツンとした不思議な空気に包まれ、全身をピリピリさせられるほど沢山の子供達の強い念のようなものがそこにはあるのかもしれない。
奥尻島では昔から伝わる儀式のような8月に行われるイベントや、本当のお墓の中でやった肝試しなど他にも楽しい思い出ばかりなのまた気が向いたらnoteに書きたいな。
またねアデュー!
サポートしてくださったら、お腹いっぱい海老のグラタンを食べると思います。 わたしの一番好きな食べ物です₍⸍⸌̣ʷ̣̫⸍̣⸌₎