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村上春樹さん作中の短歌を勝手に推敲してみた

『天才による凡人のための短歌教室』
(木下龍也著、ナナロク社刊)発売記念企画

【村上春樹さん作中の短歌を勝手に推敲してみた】

【はじめに】
村上春樹さんの短編小説集『一人称単数』に収められた小説「石のまくらに」には、ちほという人物の歌集『石のまくらに』(全48首)から8首引用したという設定で短歌が登場します。大変恐縮ですが、それらの短歌を村上春樹さんのファンである僕なりに推敲してみたいと思います。

【1首目】
あなたと/わたしって遠いの/でしたっけ?
木星乗り継ぎ/でよかったかしら?

近い存在だと思っていた「あなた」との間に宇宙的な距離を感じて戸惑っている、という内容の歌ですね。戸惑いながらも距離を埋めようとしている心の動きが下句「木星乗り継ぎでよかったかしら?」に表れています。また、本来5音であるはずの初句(57577の最初の5)が4音となっているため「あなたと」の前か後ろに一拍の無音を置いて読むことになります。前に置けば「 あなたとわたしって」となり「遠い」ということに気付いたときのショックを、後ろにおけば「あなたと わたし」というように無音の宇宙的な距離感を表現できるので、どちらの読み方であっても歌の内容と相まって効果的であると思います。推敲するのであれば定型(57577)を意識して、

推敲案1
あなたからわたしは遠いのでしょうか火星で乗り継げば会えますか
推敲案2
あなたからわたしは遠いのでしょうか木星経由なら会えますか

というふうにもできますね。推敲案1首目で「木星」を「火星」としたのは音数合わせのためなので「土星」でもいいかもしれません。推敲案2首目では「木星」はそのままに、「乗り継ぎ」を「経由」と言い換えて音数を合わせています。また、距離についてもう一歩踏み込んで考えてみると、

推敲案3
「と」でつなぐ距離がどきどきわからなくなる 星と星、あなたとわたし

という歌にもすることができます。ちなみにここからご紹介するすべての歌について言えることとして、小説の読者へ向けた読みやすさのための配慮かとは思いますが、本来であれば句ごとの「/」や上句と下句の改行は特に必要ありません。

【2首目】
石のまくら/に耳をあてて/聞こえるは
流される血の/音のなさ、なさ

引用された8首のなかではいちばん好きな歌でした。特に下句は血が無音で流れ出すものであるという当たり前だからこそ通り過ぎてしまうような、言葉にされないと気付けないような発見をしっかり表現できていると思います。「なさ、なさ」というリフレインも無音であることを慎重に確かめている様子が書けています。推敲するとすれば、

推敲案
石のまくらに頬をあて聞いている流される血の音のなさ、なさ

ですかね。「耳」と「聞く」は言葉として付きすぎているので「耳」を「頬」にずらしました。そうすることで「石のまくら」の冷たさ、硬さを読者にも体感してもらえるかと思います。ちなみに僕(木下)はこの歌における「石のまくら」を処刑されるときに頭部を乗せるものであり、この主体(短歌の主人公)はすでに頭部を切断されている状態、「流される血」はこの主体のものであると捉えています。

【3首目】
今のとき/ときが今なら/この今を
ぬきさしならぬ/今とするしか

引用された8首のなかでは唯一57577となっている1首です。小説に登場する8首は全48首の歌集『石のまくらに』のなかから「僕の心の奥に届く」短歌を引用しているという設定なので、この歌がどのような並びのなかに置かれたものなのかは不明ですが、短歌の連作のなかにはこの短歌のようにサビをより盛り上げるための間奏のような、潤滑油のような歌も必要となってきます。推敲例としては、

推敲案
つかもうとすれば離れてゆく時を決定的な今にしたいよ

ですかね。元歌の内容は「今この瞬間、この瞬間が(待ち望んでいた)今ならば、動かしようのない今とするしかない」ということだと僕(木下)は読みましたが、やや抽象に寄っているので「つかもうと」という動作、「したいよ」という感情を加えることで1首の温度を上げるとともに、止めようのない時の流れのなかで主体がもがいているということを表現してみました。

【4首目】
やまかぜに/首刎ねられて/ことばなく
あじさいの根もとに/六月の水

「六月の水」について「首を刎ねられ」た「あじさい」の血であると見ているのか、首(命)が絶たれてしまっているのにもかかわらず、根元には生命の維持に必要な水が豊富にあるということをアイロニカルに見ているのか、どちらとも読めそうですが、いずれにせよ擬人化された「あじさい」の無念を詠んだ歌のように思えます。「首」の持ち主は「あじさい」ではないと読むこともできますが「やまかぜ」に「刎ねられて」いるので、やはり「あじさい」の「首」であると読むのが自然でしょう。推敲するのであれば、

推敲案1
風に刎ねられた頭部で足もとの水をはじめてあじさいは見る
推敲案2
やまかぜに首を刎ねられ雨に似た血を足もとに溜めるあじさい

ですかね。読みのぶれはおそらく擬人化されているはずの「あじさい」の花の部分については「首」と書いているのに、根元の部分をそのまま「根もと」と書いていることによるものなので「根もと」を「足もと」として擬人化に統一感を持たせました。

【5首目・6首目】
また二度と/逢うことはないと/おもいつつ
逢えないわけは/ないともおもい

会えるのか/ただこのままに/おわるのか
光にさそわれ/影に踏まれ

逢う/逢えない、会える/会えないのあいだで揺れる主体(短歌の主人公)を詠んだ2首です。同じような内容が繰り返されるということは相当苦しんでいるということなのでしょう。小説のなかの「すごく、すごく好きなの。いつも頭から離れない。でも彼は私のことがそれほど好きなわけじゃない。ていうか、ほかにちゃんとした恋人もいるし」というちほの台詞にもそれが表れています。推敲案としては

推敲案
会うことは光、会えないことは影 その明滅にちぎれるわたし

です。逢う/逢えない、会える/会えないのあいだでちぎれそうになる主体の苦しみを1首にまとめて表現してみました。

【7首目】
午後をとおし/この降りしきる/雨にまぎれ
名もなき斧が/たそがれを斬首

67678の歌。たそがれ(夕暮れどき)の終わりを詠んだ歌ですね。長く降り続ける雨の動き(上から下に落ちる)にまぎれた一瞬の斧の動き(上から下に落とす)によって「たそがれ」の首が斬り落とされている。本来はかたちのない「たそがれ」を擬人化し、首を含めた身体を与えているのですが、それを「たそがれを斬首」という少ない音数で読者にわからせる点はうまいと思います。また、結句の字余りと体言止めも効果的ですね。本来7音であるところに8音を置いているので「たそがれを斬首」と素早く読むことになる。これは斧の素早い動きと連動しているのだと思います。また「斬首する」ではなく「斬首」という体言止めは、首が落ちたようぷつりとに終わった、ということを適切に表現できています。僕なりに推敲するとすれば、やや説明的な上句によって、雨の「ふる」に斧を「ふる」がまぎれている、同音異義語の動詞をうまく利用したというこの歌のいちばんの旨みがかすんでしまっているので、例えば、

推敲案1
ふりつづく雨にまぎれてたそがれのうなじへ斧がふりおろされる

というように雨の「ふる」と斧を「ふる」を前面に押し出した短歌にしますかね。元歌の「午後をとおしこの降りしきる」は「ふり続く」と省略し、基本的に斧には名前がないので「名もなき」という詩的ではあるんですがどこからか借りてきたような部分を削りました。もうひとつ、元歌は秋の日はつるべ落としのように急速に日が暮れてゆく様子を詠んだものかと思われますが、それ以外の季節の「たそがれ」が徐々に夜へ移行していくパターンとして、

推敲案2
海をうつ雨にまぎれてたそがれの首にやさしい毒がうたれる

というように時間の流れを表現することもできますね。

【8首目】
たち切るも/たち切られるも/石のまくら
うなじつければ/ほら、塵となる

「石のまくらに」という小説の最後に置かれた1首。これまでの歌の「首刎ねられて」「斬首」という言葉のイメージから僕は「石のまくら」を処刑台のようなものだとイメージしていましたが、この歌の「石のまくら」は古代の死者などが頭部を載せているほんとうの意味での「石のまくら」だと思われます。「うなじ」をつけるものであるということからも仰向けに埋葬されるときの様子がイメージできます。なので元歌を補完するならば「(生きている間に関係性を)たち切る(側)も(関係性を)たち切られる(側)も石のまくら(に)うなじ(を)つければ(つまり死んでしまえばどちらも)ほら、塵となる」と読むことができます。推敲するならば、

推敲案1
たつ側もたたれる側も塵となる石のまくらにうなじを乗せて
推敲案2
去る側も去られる側も塵となる石のまくらで生を閉じれば

としますかね。元歌の内容のまま、なるべく助詞を抜かず、1首にぶつ切り感が出ないようにしました。短歌の定型は縛られるものではなく、乗りこなすものなので、サーフィンのように軽やかに普段の話し言葉で書いてみると、その1首はいつでも思い出すことのできるお守りになることが多いです。

【おわりに】
ここに並べた推敲案は村上春樹さんの短歌のすばらしさががあってこそ生まれた短歌です。村上さんが小説に短歌を登場させてくれたことで、教科書以来ひさしぶりに短歌にふれたという方がたくさんいらっしゃったでしょう。それはひとりの歌人として素直にうれしかったです。村上さん、ありがとうございました。そして、勝手にすみませんでした。みなさんもぜひ『一人称単数』をお読みになってください。そして『天才による凡人のための短歌教室』も引き続きよろしくお願いいたします。

『一人称単数』(村上春樹 著、文藝春秋 刊)
https://www.amazon.co.jp/dp/4163912398/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_heb6Fb2C44AG5

『天才による凡人のための短歌教室』(木下龍也 著、ナナロク社 刊)
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〜余談〜
ちなみに僕は村上春樹さんと誕生日が同じで、勝手に運命を感じながら、そんな些細なことお守りみたいにして生きていた時期がありました。

〈了〉

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