山岳遭難/事故分析によくある誤謬
こんにちは、クライマーのKinnyです。
登山界に心理学の知識を持ち込んだことで、いろいろなことが明らかになりつつあり、今日はその明らかになった事象の報告です。
■ 事故原因分析の誤謬
1)「場合による」
2)「経験値が大事」
3)「体力(登攀力)があれば事故にならなかった」
4)「自己責任」
以上が、事故を減らす努力や対策をしない、
業界的なサボタージュの言い訳に
なっています。
これらの誤謬は、事故を減らす努力や対策を怠るための言い訳として使われています。しかも、これらの言い訳は、一理的には事実であるために有効でもあり、騙しにもなっています。
■ 「場合による」という思考停止
例えば…
確かに、沢での確保方法は「場合によります」。肩がらみ、腰がらみ、グリップビレイなど、多くのビレイ方法が存在します。確保方法を状況に応じて選ぶことが山を登る意味であり、基本です。
しかし、「場合による」として、適切な対策を講じないのは問題です。例えば、ATCガイドを沢で使用してよい場合もありますが、水流がある条件下では不適切です。こうした事実を知らずにほかの確保方法を知らないまま、沢に行くと、当然のことながら、事故につながります。
「場合によるから」と言って事故を防ぐ対策をしないのは、不合理な結論です。
適切な対策として、ゴルジュでの確保方法を教えるカリキュラムを設け、知識を持ったクライマーのみがゴルジュに向かうようにする対策が必要です。
場合によるのであれば、事故防止対策するならば、沢登り教室のカリキュラムに、ゴルジュでの確保の習得、という項目を入れ、ATCガイドが不適切である条件について学習済みの人しか、ゴルジュに向かわない…という対策が必要です。
その特定の沢…ゴルジュがある…に行ってもよいクライマーであるという資格条件に、ゴルジュで適切に確保できる知識をもつクライマーである、という項目を追加しておかなければなりません。それが真の対策です。
「今回は、その”場合によるという場合”を知らない人だったんだ…」、
↓
「避けられない事故だ」
と結論してしまうのは、論理的ではありません。
そもそも、そのような条件であることは、ここ何十年も変わらない訳ですから、〇〇川ゴルジュに行く人は、
・エイト環による確保に習熟してから行け、
・溺死に注意しろ、
と
条件付きの山行許可
を与えるべきなのです。条件付きになっていないのは、業界内での怠惰があるからです。
■ 「経験値が大事」
「〇〇さんは、登山歴〇〇年だから(安心)」
とか、
「○○さんはクライミング歴〇〇年だから(安心)」
は、要注意です。
なぜなら、10年、20年歩いていても、すでに道が整備されている一般ルート以外は歩いたことがない、という人はたくさんいるからです。
また、頻度も問題で、1年に一回毎年登山することを登山年数に数える人も普通にいます。その人は、10年登っても、登山回数は10回です。
では、経験値について、どのような基準を持てばいいでしょうか?
一般的に、きちんとした大学山岳部で、年間山行日数が50日以下だと普通の人です。100日を超え、できれば120~130日は山に行かないと、一般の人と、有意に差異のある山に適応した体力は得られないと思います。
クライマーなら、週に2回平日はジム、毎週末、岩場に行き、日常的にクライミングに触れているというのが普通だと思います。
経験は内容により、経歴の長さは、具体的な日数によります。
妄信は危険です。
対策:適切な質問をする。
「どのような内容の登山がお好きですか?」「年間、何日くらい、山に行かれているんですか?」
■ 「体力(登攀力)があれば事故にならなかった」
「落ちなきゃ確保はいらない」
と言って被害者を責めるのは誤りです。
体力が重要なのは事実ですが、それだけですべての困難を克服できるわけではありません。山の知識と合理的な判断も必要です。確保技術の軽視がクライミング界にはびこっているのも問題です。
山が要求するより体力が凌駕することは、山の安全の前提です。4時間かかる山に、4時間歩けない人が行って良いはずがありません。しかし、だからと言って、体力だけですべての困難を克服できるというのは行き過ぎです。
八甲田山で死の行軍が行われたとき、普通に生きて帰ってきたパーティもいます。生死を分けたのは体力ではなく、山の知識と合理的な判断です。
「クライマーが落ちなければ、確保が下手でも死なない」
確保は、クライミングにおいて、当然頼ってよいものです。もちろん、きちんとした確保を期待してよいことと、落ちてはならない場所が山の中であることは別の話です。山の中では落ちてはならない箇所がありますが、だからと言って、確保無しで登れなければいけない訳ではありません。
滑落停止の訓練はしますが、訓練したとしても役立つことは考えにくいです。そもそも滑落しない技が大事だからです。だからと言って、滑落停止用のピッケルなしで行って良いというわけではないでしょう。
■ 責任転嫁に利用されている
体力一点豪華主義とクライミンググレード一点豪華主義は、落ちた人に責任を転嫁するのに、クライミング界では使われています。
体力さえあれば、10日間の雪洞泊だって耐えられる?
5.15がスイスイと登れれば、どんな山でも落ちないでフリーソロできる?
この調子で要求を上げていけば、どうなるでしょう?
ちょっと冷静に考えれば、ムリゲーの要求だと分かるでしょう。
なぜこうしたムリゲーがクライミング界では受け入れられて、体力の不足や登攀力の不足に、原因を求めがちなのか?
それは、ヒロイズムを求める心、ナルシシズムが、登山界での偉人や偉業、クライミング界の伝統と目されることが多いからです。文化的なものです。
文学作品における、山男の伝統的描写は、驚異的な体力、超人的体力の自慢話です。そして、山男のあこがれは、そおような伝説的な存在になることです。
新田次郎さんの小説などが、その風潮を後押ししています。まさに昭和のモーレツサラリーマンを反映したものです。山の文学本では、ヒトであることを超越しなきゃ、山に登ってはいけない、というほどに誇張されています。
■ 実は日本の山はみんな小さい
しかし… 基本的に、日本の山はみな小規模なのです。もちろん、山が小さいからって簡単だということではありませんが、例えば海外では、ふもとに行くだけに1週間くらいかかるのは、普通ですが、日本では一週間も車に乗っていれば、日本横断ができてしまいます。しかも、日本の山は、ほとんどが樹林帯で、森林限界を超える山は少なく、雪が残る山はわざわざ遠くに行かないとないほどです。だから舐めてかかっていいというわけではなく、体力が問題であることはない、ということです。
日本の山は小さく、5日も歩けば町になってしまうのですから、遭難してしまうのは、体力が問題なのではなく、
・山の知識がないこと
や、
・間違った方法論で道を見つけようとしてしまうこと
にあります。
つまり、知識の欠落、です。経験ではありません。
登山道を何年歩いていても、遭難の予行演習はできません。
■ 知識がない=自己責任?
私自身は、単独で雪山をスタートした後、長野県の山岳総合センターのリーダー講習に参加しました。たぶん、相当に意識高い系登山者&クライマーだと思います。女性は35名中5名で、参加辞退が2名、初日にあと一人脱落して、残った2名の一人でした。山をきちんと教わるために、そうした講習会に出ました。
たとえ、学ぼうという意欲が旺盛でも、単独登山をでは抜け落ちる知識はあります。
たとえば、重たいザックを背負うときは、一回、膝の上に載せて、それから背負うのだそうです。そんなこと全く知りませんでした。長年一人で登っていたからです。
講師には、「そんなことも知らねえのか」とバカにされましたが、知っていると、なぜ講師が思うのか? 私にはそこが分かりませんでした。
なので、
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講師:「重たいザックを背負うときは、一度、膝にのせてから背負うといいよ」
生徒:「へぇ、そうなんだー、教えてくれてありがとう」
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という普通の交流(クロスしていない交流)ができず、
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
講師:「重たいザックを背負うときは、一度、膝にのせてから背負うといいよ」
生徒:「へぇ、そうなんだー」
講師:「そんなことも知らねえのか」(マウンティング)
生徒:「知らないから講習会に来ているんです!!」(健全な権利主張)
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という交流(クロスした交流)になりました。
この交流分析という心理学の手法をクライミング界に持ち込むことで、心理的に何か歪んだところがあることが、だんだんわかってきた、というのが、現在の私の立ち位置です。
■ 交流分析(TA)
交流分析という心理学の知識によると、こうしたクロスした交流は、(知識を与えたい、という気持ち)が、真の目的ではなく、(心理マニピュレーション)が真の目的である交流です。
(知識を与えたい) → ×
(心理マニピュレーション) → 〇
だから、情報としては、正しいことを教えても、受け取る側の人は、なんか変な感じがします。その結果、受け取れないことも起こります。
なぜか、登山界・クライミング界では、不必要に
自分より、相手は下だと、まずはマウントを取る
心的習慣があると思います。
男性はヒエラルキー社会なので、俺がボスざるだということを示さないと、指揮命令の系統が乱れると思っているのではないでしょうか?
しかし、考えてみれば当然のことなのですが、ある分野で、優れている人もいれば、ある分野で優れていない人もいるのは、当然のことです。
講師が山で山について、講習生に教えるのは普通のことです。
より山について詳しい人が、詳しくない人に教えるのも普通のことです。
何も、どっちがえらいか、白黒つけないと…というような話ではありません。
クライミングや、本格的な登山は、建設現場と同等くらいに、リスクがある活動だと思いますが、建設現場では、労働者の安全確保のために、危険予知活動が提唱されています。
クライミング界では、危険予知に関する情報や知恵を良く知っている側が、出し惜しみしているわけですから、原因と結果の法則通りのことが起こり、遭難が絶えない。
これが起こっていることの等身大の姿のだと思います。