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優しさという毒

「優しい人になりましょうね」
小学校や 中学校で先生が説く 道徳

思えば優しいという言葉に 19年間 誑かされてきた気がする。

小学生1年の時 担任の先生から貰った
優しさ1番 賞。

見返りを求めず 人の事を想う。

優しさとはそういうものらしい。

人のことを優先し、 誰かを大切に想い
する行動で人は笑顔になる

その笑顔が愛おしくて 大好きだった。

でも世の中、そう上手く 優しさだけでは生きていけないと知った。

どれだけ 人を想ってしたことでも 
その人が望まなければ傲慢になるし

どれだけ誠意を込めても 
仇で返り討ちを喰らうこともある。

そう、履き違えれば 毒となるのだ。

「お前の優しさは 人を幸せになんかしない
逆に苦しめているんだ…」

そんな言葉を 言われたこともある。

「優しすぎて 変だ。信じられない」

と言われたこともある。

その度、そんな簡単な言葉に傷ついた。

私は 優しさを 履き違えれたのか。

相手が求める理想や望みが1だとしたら
私は10で返す。

期待されていることに 答えなければという義務感を覚える。

周りの人から見れば 私のすることは相手の幸せになってないらしい。

本当の優しさなら 相手の成長を願って
手を離し そっとそばで見守り 時に支える

優しさのさじ加減が 私には 無い。

とはいえ、本当の私は 
相手の為になにかしてあげたい裏腹に

人の優しさに甘えることは 沼に嵌り、
自己の向上心を 捨てることに値する。

ということを知っている。

毒になることも 解っている。


きっと 何処かで 履き違えれた。

本当に相手を想う優しさとは 
飴と鞭のさじ加減ができることだ。

毒であることを 教えてあげることなんだと思う。

人の優しさに甘えを覚えた人間は
本当の意味で 大人になれない。

私の優しさは 毒だった。

先生、私はきっと 優しさというものを
履き違えました。

あの日の道徳の授業の言葉が
今も忘れられないでいる。

「優しさってなんだろう?」

毒となった私の優しさが いつか本当の意味で
人を 大人にする 優しさになる事を

唯々、一番星に願った。

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