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あなたの常識は、誰かの非常識 『神さまとのおしゃべり 』を読みました
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概要
20万部突破! あのベストセラー実用エンタメ小説がついに文庫になって帰ってきました。
しかも、文庫化のために書き下ろしたオリジナルストーリー「禁断の力くらべ・神さま VS 悪魔」も収録!
「幸せになりたいんじゃろ? だったら、叶えてやるよ」
ダメダメサラリーマンのみつろうは、ある日突然おしゃべりな神さまと出会った。
こうして主人公の毎日に怪しさMAXの神さまによる、「あっという間に幸せになれる授業」が加わることになったのだ。
人間関係、お金、仕事、恋愛など、読む人の人生観を180°ぐるりと変えてしまう魔法のような実用エンタメ小説。
幸せってなに? 誰も知らないその答えがここに。
読書感想文
対話形式の本です。
「幸せになりたいんだろう?」
瞑想中、神様からの言葉を聞いた主人公・みつろう。神様が幸せになるための授業をはじめます。
冒頭、まずは「みんな既に願いを叶えて幸せなんですよ」という教えからはじまります。
私は、この考え方があまり好きではありません。この教えは、言う相手を選びます。どんな人にも伝わる言葉ではなく、誤解されやすいと思うからです。
例えば、被虐待児は、虐待される現実を望んだといえるでしょうか?
障害を持って生まれた人は、苦しい現実を望んだというのでしょうか?
私はそうは思いません。
副題にある通り、まさに「あなたの常識は、誰かの非常識」だなと思いました。
見る人の解釈だけバラは違って見えている
例えば「豪邸に住みたい」と願っていながら、心のどこかで「不景気の日本で、ただの平社員が豪邸を建てられるわけないよな」と思っていたら、豪邸を建てる現実は起きない。
私は「新聞記者になりたい」と思っていたら、偶然にも元新聞記者の人と出会い、その人から取材の仕方や記事の書き方、勉強になる本を貸してもらえたなど、様々な勉強をさせてもらえた。
口に出していると、現実になっていきます。
「引き寄せの法則」とだけ言うと、スピリチュアルめいていて、科学的根拠が乏しいように思えます。しかし、こう言い換えると、どうでしょうか?
『思考→行動→現実』
「豪邸を建てたい!」という夢を持ったなら、「平社員でも、どうやれば豪邸を建てられるだろう?」、「海が見える沖縄に住みたいな」、「たくさん稼ぐ必要があるから、副業や起業を視野に入れて勉強しなければならないな」という風に、具体的な目標設定が出来ます。そういったことを怠っているから、そりゃ豪邸は建てられません。
大抵の人は、「めんどくさい」、「どうせ無理だ」と思うからです。だからこそ、「思った通りのことが現実になっている」と言えます。
この現実を、どう捉えるか。
あなたの主観で、現実は成り立っています。あなたが悲観主義ならこの世は地獄でしょうし、楽観主義なら天国に見えます。
現実は、あなたの解釈次第です。
「この世は私の思い通りなんだ!」と思った方が、現実は楽しいと思いませんか?
「理不尽で残酷なのが現実なんだ・・・ ・・・」と思いながら生活していても、絶対楽しくないですよね。
見る人の解釈だけバラは違って見えている。
バラを見た時、商売人なら「いくらの価値があるだろう?」と捉えるだろうし、芸術家なら「愛や美の象徴」と捉えるでしょう。
どのような言葉をもって世界を見ているかによって、現実は変わってくる。事実は同じだというのに。
我々は、普段から使う言葉に、細心の注意を払わなければなりません。
この話は、上の記事が詳しいです。
「現実」が鏡なら、鏡に対して行ったことは全部本人に跳ね返ってくるに決まってるじゃないか
「想像」こそ宇宙にお願いする唯一の方法
「できごと」には、与えられた唯一の意味なんてないということじゃ。「無意味のできごと」に人間が意味をつけておる。
起こったそのできごとを「どう思うか?」じゃない。「どう思いたいか?」じゃ。ただそれだけが、重要なんじゃよ。
(中略)
今日からは、「現実」を見て、それとは違う「思いたいこと」を想像しなさい。
「想像」という人間の奇跡の能力をフルに利用しなさい!
深い。めちゃくちゃ深い。何度も読み返して、心に刻みたい言葉。
想像する際、否定的な言葉を使うのではなく、肯定的な言葉で想像すべきとのこと。
「貧乏な生活は嫌だ!」みたいな愚痴を言い続ける時、その人の脳内は「貧乏」ばかりになります。
どうせなら、「金持ちになりたい」という想像をすべきです。
「なにが嫌いか?」ではなく、
「なにが好きか?」を
口に出して
正しい想像で願うこと。
ここからは、具体的な実践です。
一番左上に、「嫌なこと」と書く。
ここは得意分野じゃろう、いつも考えておるのだから。
2番目の上には、「それなら、どうしたいか?」と書き、3番目の真ん 中の上には、「そして、どうなりたいか?」と書く。
4番目には、「それが叶ったら、どう感じるのか?」と書く。
そして最後に、「結局、どうありたいのか?」と書いてごらん。
この実践に取り組むことによって、否定的に物事を捉えがちな人でも、その癖から抜け出して、本当に心から願っているものに気づけるそうです。
私が思うに、これで具体的な夢や目標が見つかったなら、あとは成功に向かって努力するだけです。
お金が欲しいなら、昇給のために仕事の仕方を変えてみるとか、旅行に行きたいなら有給を取得するなど。
本当はやれるのに、何かしら言い訳をして、現状維持を望みます。それが日本人です。
大人になってから野球を始めたっていいのに、料理ができるようになりたいならレシピ本買えばいいのに、みんなそれをしないんです。
もし始めたとしても、どうせ続かない。そんな人が大勢です。みんな、行動せずにグータラすることを望みます。
そう願ったら、そうなる。当然のことです。
「ない」ではなく「ある」を探せ
これはもはや、老子の教えですね。
『足るを知る』、素敵な言葉です。
①人間は目の前の現実以外は経験できない
②それなのに「これ以外にしておけばよかった」と、目の前の現状に不満を言いはじめる
③だから後悔があるなら、すぐに後悔を止めなさい。どっちみちあなたには、それを判断するチカラなんてないのじゃから
観測者であるあなたが、現実を作っています。だから、観測者が「これは悪い」と判断した場合、その出来事は悪いこととして存在します。しかし、もしかしたら後になって良い出来事に繋がるかもしれません。
もしそうなった場合、過去に起きた悪い出来事も、次に起きる良い出来事のための布石だったと考えられる。そう考えると、悪いとは言い切れない。
人間は幸不幸を判断できない。これを、「人間万事塞翁が馬」といいます。
『 人間万事塞翁が馬(にんげんばんじさいおうがうま)』は、
二千年以上も前に書かれた中国の故事成語です。
昔、中国北方の塞(とりで)近くに住む老人(塞翁)の馬が逃げ、
人々が気の毒がると、老人は『そのうちに福が来る』と言いました。
やがて、その馬は駿馬を連れて帰ってきました。
人々が祝うと、今度は『これは不幸の元になるだろう』と言いました。
するとこの馬に乗った老人の息子は、落馬して足の骨を折ってしまいました。
人々がそれを見舞うと、老人は『これが幸福の基になるだろう』と言いました。
一年後、胡軍が攻め込んできて戦争となり、
若者たちのほとんどが戦死しました。
しかし足を折った老人の息子は、兵役を免れたため、
戦死しなくて済んだ、という故事に基づきます。
[ 出典:『淮南子』より ]
人生は何が起こるかわかりません。今現在が不幸に思えていても、そこから幸福に繋がる道は存在します。それを選択するか否かは、あなた次第です。
つらい出来事に見舞われた場合、「今は流れに身を任せる時なんだな」と思ってみて下さい。
私があなたで、あなたが私
1つなるものは、1つであるがゆえに、なにも学べない。
「知っている者」と「知らない者」
「傷つける者」と「傷つけられる者」
「愛する者」と「愛される者」
2つ以上いて、はじめて学べるんじゃよ。
きっとあなたの目の前には今日も「他人」が映るじゃろう。たとえそれが、どんな相手であろうと、その人からは学ぶことがたくさんあるということじゃ。
この言葉は本当に深いと思いました。
私は下の記事でも話していますが、「愛の為に生きよ」という神託を受けており、それを実践する為に生きています。
愛の為に生きるということは、愛の為じゃない状態があるということです。その状態があるからこそ、愛があるとも言えます。
これはとても難しい問題です。簡単に答えを導き出せるものではないと思います。
ワンネスが真理だとしても、今こうして『私』という存在に意識を向けている時、物質世界のくだらない二元論に囚われることになります。そういった事象すべてに、「全部が愛に繋がっているんだな」と明らめる姿勢が大切です。
これは、とても難しいです。何度も言いますが、簡単な行為ではありません。私もまだまだ修行中で、僧侶のように徳の高い行いができるわけではありません。
それでも、投げ出すことなく、愛の為に行きたいと思います。
私は、人生で出会ってきた数々の方から、色んなことを学ばせてもらいました。逆に、私の方から他の方へ教えられることがあるかもしれません。
こうして記事を読んでくださっているあなたは、きっと、私や『さとうみつろう』さんの言葉を必要としている方々だと思います。
あなたの周りにいる全ての人が、
あなたになにかを
教えたがっている。
バカと言われて傷つくのは、あなたがバカだから
これはもう、題名の時点で素晴らしい言葉ですね。ここに悪口・陰口に関する悩みの答えが詰まっています。
例えば、ロン毛の人に「ハゲ!」と罵ったところで、傷つきませんよね。なぜならハゲてないし、むしろ髪の毛長いから。
「ハゲ!」と言われて傷つくのは、ハゲだからです。
例えば私はデブじゃないので、「デブ!」と言われても傷つきません。
あなたは、「バカ!」と言われて傷つきますか?
相手の口から出たその意見を、一番認めているのは、お前
この世の仕組みと真の幸せについて
この先なにが起こるのかの全ても、もうすでに決まっておる
あなたが何を考え、何を言うか、何をするかまで、全て決まっている。
あなたは行動者ではありません。観測者です。
これはスピリチュアル的な観点ではなく、科学的にもそうではないかと考えられます。
1983年、アメリカの心理学者であるベンジャミン・リベット氏は人間の「自由意志」の存在について実験を行いました。この実験は、被験者を筋肉と脳の活動を測定する機械に接続し、「手首を曲げる必要がある」と感じた時にその通り行動してもらうというものでした。このとき、被験者が「手首を曲げる必要がある」と感じた瞬間も記録されました。
リベットが「筋肉の運動」「脳の活動」「被験者の記録時間」を比較したところ、まず、「脳の活動」「被験者の記録時間」の2つは「筋肉の運動」より前に発生していることがわかりました。これ自体に驚きはありませんが、この研究結果で重視されたのは、「被験者の記録時間」よりも「脳の活動」の方が0.5秒ほど速いということでした。これは、「人が『この瞬間に決めた』と認識する前にすでに脳は行動を決めているのだ」と解釈され、人間に自由意志は存在しないのだという主張につながりました。
私たちは、自分の体を自分の意思で動かしているのではなく、体が動いているのを見ているに過ぎません。
「自分が自分の意志で動いている」と思わずに、「みんなが自分を動かしている」という視線で、日々のできごとを見つめてみましょう。
環境が人格を形成しています。その時々によって、人の性格は変わったりします。
例えば、家族の前の自分と、学校や職場での自分には、相違点があるはずです。
平凡で温厚な人間であっても、条件さえ揃えば、残酷な人間に変貌したりするのです。
東欧地域の数百万人のユダヤ人を絶滅収容所に輸送する責任者であったアドルフ・アイヒマンは、ドイツ敗戦後、南米アルゼンチンに逃亡して「リカルド・クレメント」の偽名を名乗り、自動車工場の主任としてひっそり暮らしていた。彼を追跡するイスラエル諜報機関が、クレメントは大物戦犯のアイヒマンであると判断した直接の証拠は、クレメントが妻との結婚記念日に、彼女に贈る花束を花屋で購入したことであった。その日付は、アイヒマンの結婚記念日と一致した。またイスラエルにおけるアイヒマン裁判の過程で描き出されたアイヒマンの人間像は人格異常者などではなく、真摯に「職務」に励む、一介の平凡で小心な公務員の姿だった。
このことから「アイヒマンはじめ多くの戦争犯罪を実行したナチス戦犯たちは、そもそも特殊な人物であったのか。それとも妻との結婚記念日に花束を贈るような平凡な愛情を持つ普通の市民であっても、一定の条件下では、誰でもあのような残虐行為を犯すものなのか」という疑問が提起された。この実験は、アイヒマン裁判(1961年)の翌年に、上記の疑問を検証しようと実施されたため、「アイヒマン実験」とも言う。
実験の結果は、普通の平凡な市民でも、一定の条件下では冷酷で非人道的な行為を行うことを証明するものであった。そのような現象をミルグラム効果とも言う。
だから、自分を動かしているのは、自分だと思うのはやめましょう。自分を動かしているのは環境です。そう思うだけで、ちょっとは苦しみから逃れられるかもしれません。
悩みは「たいしたことがない」と気づけるまでが、悩みじゃ。
(中略)
世界中みんなが、どうでもいい悩みを今日も抱えて生きておるよ。
(中略)
「今日もあなただけが、大切にその悩みを、悩み続けている」これが真理じゃ。
悩みにかんじがらめになって、本当に自分のやりたいことをやれていない人は多いものです。
やってもいいんです。自分の人生を生きているのは自分。他人の意見に惑わされないこと。
あなたは死ぬときに後悔したいですか?
やりたいことを、やりましょう。
世界に「ダメなこと」なんて1つもない。
これは、私が小学生のころから言っている言葉です。
大人たちは、「やってはいけない」と思い込んでいることが多すぎるな、と幼心に思っていました。
例えば、タトゥー・刺青を彫ってはいけないと思い込んでいる大人は多いです。しかし、そんなことは法律でも禁止されていません。なのに、彫ることは悪だと思い込んでいます。
他にも、「スカートは女が履くもの」、「男が化粧するな」など、勝手な思い込みで行動を制限している人の多いこと。
そんな思い込みから解放されて、やりたいことを、やりましょう。
人生は、様々な体験をするものです。楽しい経験を積み重ねましょう。やらなかったことを後悔する人生なんて、あまりにも悲しいです。
やってしまえばいいのです。怒られたから何だというのですか。
「いつかやろう」じゃダメです。今すぐ、やるのです。
【いつか幸せになりたい】って願いは、常に目の前に叶いつづけていた
幸せを願うなら、「今すぐに」と言うこと。何なら、「もう既に」と言ってもいいでしょう。
幸せになるために
感謝するのではなく、
感謝している間が幸せ。
この現実は、あなたの物語です。主人公はあなたです。脇役のたわごとで、素晴らしい脚本を汚されるべきではありません。
心に問いかけましょう。
「あなたは何のために生まれてきましたか?」
この物語は、この世ごとフィクションです
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