なぜ子どもを手放したのか? 『赤ちゃんポストの真実』を読みました
概要
読書感想文
なぜ赤ちゃんポストは存在し、そこに我が子を預ける親は何を考えているのか。
小学生のころ、赤ちゃんポストの報道を見ながら疑問に思っていた。
それから私も大人になり、児童福祉のことをちょっとだけ知るようになると、様々な家庭の複雑な事情を理解できるようになった。
児童福祉従事者は、こう語る。
私は当事者でもないのにこんなこと言っていいのかわからないが、赤ちゃんポストは存在すべきだと思う。何なら、全国各地に設置すべきとすら思う。
なぜそう考えるかというと、私自身が育児放棄を受けて育ったからだ。適切な子育てのできないひとに育てられ、被虐待児になるくらいなら、赤ちゃんポストに預け、里親の元で暮らすほうが幸せではないか。
このブログでは、様々な虐待死事件を紹介してきた。子育てを投げ出す親もまた、虐待を受けている事件が多いことが判明している。「虐待は連鎖する」ということだ。
子供を肉体的・精神的に追い詰めると、被虐待児は脳領域が萎縮したり、反社会的な人格が形成される場合がある。性犯罪や殺人事件を起こす人には、そういった過去があることが多い。
非人道的な人間が生まれることは、社会にとって良くない。自分や愛する家族が傷つけられたらと思うと、想像を絶するだろう。
第二、第三の被害者を生まないためにも、育児が困難な状況にある親が、子どもを手放せる場所が必要だ。そして、子どもは里親や施設に引き取られ、愛を注がれながら成長していく。そういった環境は絶対にあるべきなんだ。
具体例を挙げるなら、下田市嬰児連続殺人事件が参考になる。この事件は、産まれて間もない我が子を殺し、天井裏や押し入れに遺体を放置した事件だ。
もしこの親の近くに赤ちゃんポストがあれば、2人の子どもは死なずに済んだのではないか?
子育てが難しいなら、他の人に預けてもいい。何がなんでも親が絶対に育てなければいけないわけではない。
そういった考えが社会全体に浸透していれば、子供を無惨に殺す親が減るのではないか。
そう思ってしまうが、現実は簡単ではない。
赤ちゃんポストに預ける親は、自分の意思で子供を手放す。しかし、虐待死事件を起こす親は、自分の管理下に子どもを置こうとする。
児童相談所が接触してきても、上手く実態を隠そうとするのは、「他人に子供を取られたくない」という気持ちがあるからだ。ここに、赤ちゃんポストへ預ける親と、虐待をする親の違いがある。
しかし、自分で育てようと思っても、感情の抑制が難しくて怒りが爆発したり、そもそもどうやって子育てをしていいかわからず、体罰を「しつけ」だと主張する。そして、虐待の末に、我が子を殺してしまう。なぜ、そういう親が存在してしまうのか。
もしかしたら、「子どもは親が絶対にちゃんと育てなければならない」という思い込みがあるからではないか。自責の念から追い詰められ、実の子を殺すという凄惨な事件に発展する。残酷な事態を防ぐためにも、赤ちゃんポストを選択肢のひとつとして用意されるべきではないだろうか。
もっというと、育児ができる状況にないのに妊娠してしまった人に対して、匿名で出産できる制度も広まるべきだ。家族にバレたくないなど、様々な事情の母親がいる。
赤ちゃんポストや匿名出産以外にも、必要な選択肢がある。それが、「相談相手」だ。
妊娠や子育てのことを相談しやすい環境を整えられていない社会に、問題の本質がある。
そして、そもそも「相談」という選択肢を持たない人間もいる。家庭環境などによっては、他人を信頼できず、悩み事を抱えても周囲に話せない大人に育つ場合がある。
そういった人は、話せる大人が近くにいたとしても、相談せずにひとりで思い悩んでしまう。
妊娠に不安を感じているのに誰にも言い出せず、1人で出産し、大きな産声にパニックを起こして、慌てて口をふさいでしまう。こうして、明確な殺意は無いにしても、新生児が死んでしまう事件が起きるのだ。
こういった事件を予防するのに、赤ちゃんポストや匿名出産だけで十分なのだろうか?
そういった人が妊娠してしまう背景には、身勝手な男性の姿がある。
女性が妊娠してしまうということは、性行為に及んだ男性が確実にいる。
問題の本質は、女性というより男性にあるのではないか?
児童虐待の予防に必要なのは、性教育と性加害の啓蒙。そして、生活困窮者の女性が風俗業界に流れがちなことにも、児童虐待の問題と繋がることがわかっている。
抜本的な解決に向けて何ができるか、考えなくてはならない。