「科学する」という表現への違和感
近年、散見するようになった、「科学する」
この表現に、筆者は違和感を覚えております。
検索してみると、私以外にも同様の事を感じている人がいました。
Q&Aを読んで面白かったのは、この言葉が使われ始めたのは80年以上も前という事実を知れた事です。当時から変な表現であると話題になっていたんですね。
私が「科学する」という表現を最初に耳にしたのは、CMからでした。カンゾーコーワの奴。
映像は検索しても見つけられませんでしたが、その文言が入った記事は見つけました。
なんで「科学する」という表現から「二日酔いを防止出来るんだな」と受け取れるのかも意味が解りません。
意味不明な言葉だからこそ、受け取り手の解釈も様々になるのでしょうか。
さらに調べていると、CMに「科学する」という表現を用いるのは、昔からあることがわかりました。
このCMを見てもわかるように、「科学する」という表現を使われると、どこか安心的というか、信用出来ると感じられるようです。「科学者の裏付けがあるなら良い商品なんだろう」という風に。
ここで、冒頭のQ&Aに出てきた回答を引用します。
他にも「科学する」の使用例は存在し、日本語の使い方に厳しいNHKですら使用しています。
筆者は、NHKが出している日本語に関する本を愛読しているので、NHKは言葉遣いに厳格であると思い込んでいました。
因みに、この本です。当たり前に使っている表現も、実は誤用かもしれないと、ハッとする内容でした。
NHKですら使っている謎の表現、「科学する」とは何なのか?
とあるメディアは、こう定義付けていました。
「研究する」でいいじゃん。それが読了後の感想でした。そして、改めてこの疑問に向かいました。
科学って、"する"ものなのだろうか?
こうした違和感は、「LINEする」からも感じる。「YouTubeする」、「Discordする」とは言わないのに。
だが、これはまだ許容できる。LINEはメールではないから、「メールする」と言われると違うものを指してしまうし、「連絡する」だとどういう手段なのか相手に伝わらない。だから、「LINEする」と言った方がわかりやすいのだ。
しかし、「科学する」にそれはない。だって、「研究する」という表現があるから、わざわざ代替となる表現を用いる必要がない。そんな造語が誕生した意味がわからない。
意外な事に、検索してみると、辞書に意味が載っていた。
「分析する」でいいじゃん。そう思った。でも、わかってる。「科学する」の発端をググってみると、それは冒頭に出てきた人物の著書だった。
本を出版しようと執筆する時、そこに文才が必須となる。文章が上手くなければ読み続ける気がしない。ましてや、本の題名は重要になる。何故なら、興味・関心を惹く表現でなければ、手に取ろうと思えないからだ。そこで、造語となる「科学する」を生み出したのは理解できる。
確かに気になる表現だ。こうして長文を書いてしまう程度には。