まえがき
まず最初に言っておかなけばならない事があります。あくまで筆者は複雑性PTSDであって、医療従事者ではありません。なので、医学的な観点からの記事ではない事に留意してください。
ハイパーグラフィアとは?
側頭葉に損傷を受けた人は、ハイパーグラフィアになる可能性があると解釈して、これを前提に話を進めます。
複雑性PTSDとは?
戦争や災害、虐待、犯罪に遭うなどして、トラウマを抱えてフラッシュバックに悩まされている人は、側頭葉が萎縮し、海馬が変形している事が分かっています。
詳しくは、こちらの本を参考にしてください。
ハイパーグラフィアとPTSDの共通点は、「どちらも海馬が損傷している」という点です。
この事から、一つの仮説が考えられます。それが、「PTSDの人はハイパーグラフィアになる可能性があるのではないか?」です。
PTSDはハイパーグラフィアになるか?
私は複雑性PTSDの当事者であって、PTSD(いわゆる単発性PTSD)ではないので、あくまで複雑性に重きを置いて話を進めていきます。
さっそく本題です。
上記の通り、複雑性PTSDの人は海馬に損傷を受けています。その為、『物忘れ』や『記憶喪失』など、記憶に関する障害が発生します。そういった状況に至った場合、『覚えておかなければならない事は文章に書き残す』といった手段に出る人がいてもおかしくありません。
現に私は、自分が記憶喪失だと自覚した小学校低学年あたりから、日記をつける癖が生まれました。
当事者にとって、メモや日記は『もう一つの記憶媒体』となるのです。
さらに、『文章を書く行為に、生き甲斐や遣り甲斐を見出す人』が生まれる事もあり得るのではないでしょうか。
現に私は、執筆中毒と表現できるほど文章を書く行為が大好きですし、同世代に比べて、書く速さが秀でています。学生時代、読書感想文を夏休み突入前に書き上げたのは私だけでした。
そして、私のブログには、哲学的で自伝的な意味を含んでいます。
また、ハイパーグラフィアは統合失調症の方がなりやすい病気とされていますが、これは幻覚によるものです。
例えば、「超自然的存在からの神託を授かったから、言葉にして世に届けねばならない」みたいなものですね。
因みに、これも私の症状と類似します。そして、該当の記事がこちらです。
神様の声を聞いたくだりが出てくるので、ぜひ読んでね(笑)
「複雑性PTSDにそんな症状あるのか?」と思われたかもしれません。
あまり広く知られていませんが、稀に「解離性幻覚」と呼ばれる症状が現れる事があります。
統合失調症だと誤診されるほど、複雑性PTSDと統失には似通っています。
私が学生時代に見た神の姿や声は、解離性幻覚によるものだと、主治医から診断を受けています。
その幻覚を現実だと思い込んでいると、「この真実を世間に拡散しよう」という責任感と焦燥感に駆られて、尋常じゃないほどの文章を執筆してしまうのではないでしょうか。
かく言う私も、医者から言われるまでは、「これは現実だ」と思い込み、「神様は本当にいる」という趣旨をブログに書きまくるようになっていました。
また、もう一つの視点としては、「文章を書く事そのものが、現実逃避の機能を持ち、複雑性PTSDの人にとっては依存しやすい行為なのでは」という点です。
どういう事かというと、虐待を受けて育った人は、辛い現実から逃げたくなります。そこから逃避や解離と呼ばれる症状に悩まされるのですが、その中に、『妄想』もあると考えています。
これも実体験です。幼い頃の私は虐待と学校での虐めがあまりにも辛く、無意識の内に空想の世界へ没入するようになっていました。そこから、その妄想の内容を書き止め、小説として作り上げるようになりました。
その名残から、今でも小説を書く趣味があります。
これはホラー小説で、暴力的で残酷な描写を含むのですが、これも複雑性PTSDの人にありがちな妄想のようです。
この事は、トラウマ研究の世界的権威・ベッセル・ヴァン・デア・コークの研究で分かっています。
虐待を受けた人は、何気ない家族写真やロールシャッハテストを見ても、暴力的な想像をしやすいそうです。
現実と妄想の区別がついていなければ、いつの間にかハイパーグラフィアになる事もあり得るのではないでしょうか。
以上の事から、複雑性PTSDはハイパーグラフィアになる可能性があると言えます。
あとがき
ハイパーグラフィアにとっての執筆は、多くの人が思っているほど苦痛なものではなく、人生そのものなのです。
参考文献