アダルトチルドレンの宗教二世
お久しぶりです。元創価4世のキネシンです。
最近は、以前よりも少しずつ元気が出てきて、1週間に2,3日ぐらいの頻度で研究室に通っています。
前回の記事では、私の両親との関係についてお話ししました。今回は、前回の更新以降あったことや気付きについてお話しします。
前回の更新は12月下旬で、創価学会の活動をやめてから陰謀論に傾倒していった父親が大腸がんで余命1年と宣告されて抗がん剤治療を拒否し続けていて、縁を切りたいと伝えた創価学会活動家の母から、「年末年始に実家に帰ってきて欲しい」と妹をつてに伝言があったところでした。
伝言を聞いて、一度は実家に帰ってみようかと考えたのですが、やっぱり実家に帰るのは精神的にしんどいからやめようと思い、その代わりに自分の思いを伝えるため、両親に一度だけ電話をすることにしました。
電話ではまず、「なんでこの前私が縁を切るって言ったか、その根本の原因分かってる?」と聞きました。そして予想通り、両親からは何もそれらしい答えは返ってきませんでした。
それから私は、縁を切りたいと思った理由は、あなたたち二人は、子どもを育てるにはあまりにも精神的に未熟だったからで、うつ病、アルコール依存や宗教依存、スピリチュアル依存の問題を抱えて、子どもに支えてもらおうとして自分たちで解決しなきゃいけない問題を子どもに背負わせていること、私が親に甘えようとするとそれ以上の重さで親が私に甘えようとしてくるのがしんどいこと、今まで父母がしっかりしていなかったせいで、私が大人になるしか無く真面目で責任感の強い良い子にさせられてしまったこと、無責任に自分の幸せのために子どもを産まないでほしかったということ、両親のことを悪い人だとは思わないし、精一杯だったのだろうけど、私の心は確かに傷ついて壊れてしまったし、許す気にはならない。私はもう母が宗教にのめり込もうと、父が抗がん剤治療を拒否して死のうとどうでも良い。もう私に関わらないで欲しいということを伝えました。
電話の間、両親はほとんど黙って私の話を聞いていました。母親は、ただ「子どもにそんなこと言わせてごめんなさい」と言っていました。電話を切ってから、私は今まで言えなかった不満を直接両親に伝えられて、年老いた親を責めることに一抹の罪悪感を覚えたものの、少しすっきりした気がしました。
アルコール依存症の親を持つ家庭や機能不全家族で育った子どもを指す「アダルトチルドレン」という言葉があります。アダルトチルドレンは、殺伐とした家庭環境を生き延びるために家庭内で様々なタイプの役割を取ることが知られています。アメリカのセラピストであるクリッツバーグは次の5つに分類しています[1] 。
(1) 家族英雄(family hero)
(2) 道化者(clown)
(3) なだめ役(placater)
(4) 犠牲者(scapegoat)
(5) いなくなった人(lost one)
それぞれの役割について、精神医学の研究をしている緒方明氏は「アダルトチルドレンと共依存」という本で次のように解説しています。
この解説をもとにすると、私自身は(1)「家族英雄」と(3)「なだめ役」にあたるのかなと思いました。創価高校に進学して、勉強や部活動に打ち込んで良い成績を出すことで、両親を喜ばせたい、親孝行したいという思いがずっとありました。そして、実家で暮らしていたときは両親の喧嘩を仲裁したり愚痴を聞いたりすることもあったし、最近では父親が抗がん剤治療を受けるよう説得しようとしました。今回電話で自分の気持ちを両親に伝えたことで、私は「家族英雄」「なだめ役」の役割を改めて降りることができて肩の荷が下りたのかなと思っています。
アダルトチルドレンの界隈だと、このように幼少期の心の傷を親に返すことを「トラウマ返し」とも言ったりするようです[3]。本来は、思春期の反抗期に行うものですが、私は高校生から親元を離れて生活していたのもあって、その機会をずっと逃していました。今はもう22歳になりましたが、親が生きているうちにトラウマ返しができてよかったなと思います。
参考文献
[1] Wayne Kritsberg (1988) “Adult Children of Alcoholics Syndrome: A Step By Step Guide To Discovery And Recovery” Published by Bantam
[2] 緒方明(1996)「アダルトチルドレンと共依存」出版社:誠信書房
[3] 小野修(2007)「トラウマ返し―子どもが親に心の傷を返しに来るとき」出版社:黎明書房