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資本主義社会から循環型社会へ② 循環させるための視点 

 資本主義の中で、
 
 大量生産→大量消費→大量廃棄
 
の流れができていました。おかげで、より良いものを安く、たくさん手に入れることができるようになったのもたしかです。


しかし、この仕組みの中で問題となるのは、大量生産のために「自然」から資源を取り出すことです。
あるいは、商品を創り出すためのエネルギーをたくさん使うことです。

資源をとりすぎれば、なくなります。
生き物であれば、絶命、消滅する動植物も出てきます。
持続可能ではない状態になります。

もう一つ問題になるのが、大量廃棄。ごみ処理後の埋め立て地がなくなったり、マイクロプラスチックに代表されるように、自然にもどらず、生態系に影響を与えるものもでてきたことです。
 
特に日本は資源が少ない国(輸入に頼る)と言う事情があるため、逆に「省エネ」や資源の無駄遣いをなくす努力が行われてきました。
それがリサイクルやリユースです。
ゴミとして処分するのではなく、もう一度資源として再利用したり、そのままの製品として、別のところで役立てる発想です。

また、電球や車に代表されるように、エネルギー消費を少なくする商品の開発がどんどんと更新されていっています。
 
さらに、最近では、「シェアリング」という動きも出てきました。
大量消費の段階で、購入しても使う頻度が少ないものは、逆に「みんなで共有しよう」という発想です。これであれば、少ない商品で多くの人がたくさん使えます。
作る商品が少なくなれば、それだけ資源の無駄遣いも減らせます。
あるいは、商品を作る時に「排出されるもの」も減らせます。
 
ただ、ここで問題になるのが、「資本主義」という仕組みの中で、この「エコ」を考えていくと、「物が売れないと経済が回らない」という矛盾にいきつくことです。
あるいは、「エコバック」「電気自動車」「太陽光パネル」など、エコ商品というわれるものも、作る段階で資源を消費します。作りすぎれば最終的にゴミがたくさん生まれます。エコだからどんどんと作ればいい、売ればいいということが本当にいい事なのか、考えさせられます。
 
解決の一つのアイデアとしては、「お値段は高くても、品質のいい物を少量作って売る(買う)」ということでしょうか。

実際、ブガッティという自動車会社は、億単位の車を生産しますが、年間200台の生産で、会社は立派に成り立っているといいます。
 
すぐれた技を持つ職人さん・技術者がたくさんいる日本こそ、こういう「高品質な少量生産」にあっている気がします。

皆様の心にのこる一言・学びがあれば幸いです

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