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私の「一人新聞」発行 と 変遷

 「一人新聞」を書き続け、ご縁のあった方に郵送するようになって間もなく10年になります。
 随分と長い付き合いになりました。
 今では、月1回発行するのが当たり前で、書かない月があるとちょっとした違和感、何かもやもやする感じにもなります。では、どうして一人新聞を書くようになったのか・・・。ちょっと振り返ってみました。
 よかったら、お付き合いください。


1 「掃除の会」(トイレ掃除)との出会いがきっかけ

 一人新聞の話題なのに、いきなり「トイレ掃除」とは・・・と思われたかもしれまん。私の友人がたまたま、掃除の会に参加し、感動したことで、「自分も実際に職場でやってみよう」と、掃除の会を主催して月1回の掃除を始めました。それで、私にも声がかかり、参加することが増えました。
 
 初めは、ちょっと抵抗がありましたが、実際に掃除してみると、綺麗になった感動と、多くの気付きが得られて、奥が深いことを実感しました。
 それで、職場は違うのですが、できるだけ、参加するようになりました。    
 その友人が開催の後に、どんな掃除だったか、様子や参加者の感想、気付きをまとめた「報告書?」を作成して、送ってくれるようになりました
 その時は、自分自身の気付きだけで満足していましたが、改めて紙でまとめてもらうことで、掃除の時の学びが深まったり、他の参加者の感想を再び思い出したりして、次の活動へのモチベーションになりました。

2 掃除の会を主催。その「報告書」をつくる。

 友人に触発されて、自分の職場でもトイレ掃除を行うことにしました。
 毎回、掃除の会に参加している方が応援で来て下さり、何とか5~10人ほどで掃除することができました。
 そして、掃除が終わった後に、感想発表(振り返り)がありました。

 さすが、ベテランの方は、私自身が気付きもしない事、あるいは、いろんな視点から発表され、私の学びが深まりました
 遠くからきていただいたり、休日の貴重な時間を自分の主催する会に参加していただいたりで、ちょっと「申し訳ない」と思うこともありましたし、逆に、少しでも会の様子を知ってもらって、参加人数を増やしたいという思いも出てきました。

 そこで、友人がしていたように、

 掃除の会の様子をA4の紙一枚にまとめて、参加してくださった方に郵送するようになりました。あるいは、職場で配布したりもしました。
 思えば、これが「一人新聞」の原形だった気がします。

 初めは、友人の書き方をマネして、「タイトル」「様子の写真の貼り付け」「参加者の感想」をズラズラと書いただけでした。
 しかし、自分の発表したことがまとめられ、それが、他の誰かの元に届くと知って、けっこう、参加者の方は喜んでくれました。
 また、逆に、少しでも役に立つことを言おうと、次の会からの感想内容が深いものになりました(笑)。

3 「掃除の会」で「一人新聞」を発行している方と出会い、勧められる。

 自分で掃除の会を主宰し、報告書を書き続けていきました。
 合わせて、他の方が開催される会にも、不定期で参加するようになりました。その中で、「一人新聞」を発行している方がいて、知り合いになり、その新聞を送ってもらう機会が増えました。その代わりに、私も掃除の「報告書」を送るようになりました。

 そのころには「報告書」と言っても、参加者の感想ばかりではなく、「編集後記」として、その会の掃除の総括や、時に参加者の感想に関連させて、自分の考えをまとめるようになっていました。
 月1回の発行になっていたので、毎回、同じようなネタではあきてしまうなと思い、アドラー心理学、自己肯定感、小林正観さん、鍵山秀三郎さんなど、トイレ掃除と関連しそうなこととつなげて書くようになりました。
 
 そうしたら、その「一人新聞」を発行している方が、おもしろがってくださり、「自分の新聞に3回分、連載してみませんか」と誘いを受けました。その方は、いろんな方の記事を集めて、A4の紙で5枚程度(両面で10ページ)の冊子にして発行していました。その中の1ページ分を任されたのです。
 嬉しさもありましたが、自分なんかがいいのかな…とドキドキもしました。
 
 でも、その方の言葉にのせられて、思い切って書いてみました。その時は、アドラー心理学の考えをどう仕事に生かしているか、あるいは、自己肯定感がどうして高まるのかなどを書きました。
 
 その方から「反響がありましたよ~」とは言われましたが、読者からすれば、無名と言うか、全然聞いたこともない人間が書いた記事なんて、見向きもされなかったんじゃないかなと思いました。
 
 ただ、

この連載のおかげで、トイレ掃除以外でも記事にすることを学べました。また、難しく考えなくても、自分が経験したこと(掃除の会への参加)を種にして書けば、他の人では書けない内容で記事にできる、私ならではの記事になるということを学びました。

 そこで、掃除の会の「報告書」とは別に、私も「一人新聞」を書くことにしました。そして、報告書と合わせて、掃除の会に参加してくださる方に郵送するようになりました。
 半年ぐらいして、全然知らない方、都道府県にいる2人の方から葉書や「一人新聞」が送られてきました。連載を依頼してくれた方が、私の一人新聞をいろいろと紹介してくださり、それをきっかけに、交流したいという方からでした。びっくりしましたが、とても嬉しかったです。
 今でもその二人の方とやりとりは続いています。また、その二人の方の友人からも何人か交流する人が出てきました。「ご縁が広がる」とはこういうことを言うのだなあと実感しました。

4 コロナ禍で、一人新聞の発行者の会(オンライン)に参加。交流が広がる。

 一人新聞を発行して半年ぐらいして、コロナ禍が始まりました。
 外出機会は減り、みんなが集まって何かすることが難しくなりました。
 そんな時、「一人新聞(葉書通信)を発行している人の集いをやろう、オンラインで」とお誘いを受けました
 まだ、自分が書き始めて半年ほどだったので、何をどう書いていくか、どう交流していくか、郵送代とかはどうしているかなどについて、よく知りませんでした。そこで、ベテランの一人新聞発行者の方に、いろいろと聞いてみようと参加しました。
 何年も発行している方ばかりだったので、とても勉強になりました。
 集いとは言いつつ、私はパソコン画面の隅の方で、ひっそりと皆さんのやりとりを聞いて、メモばかりしていた覚えがあります。
 集いの最後に、互いの住所を交換して、送り合うことになりました。
 
 そのおかげで、やり取りする人が12,3人増えました。 

やりとりが増えるということは、それだけ、集まる情報も増えるということです。あるいは、多種多様な「一人新聞」を読む機会が増えるということです。学ぶことがたくさんあり、まねをして自分の新聞にどんどんと取り入れるようになりました。

 例えば、ある方は、自分の新聞の感想を書いて送って下さる方の言葉で紙面をまとめて、「読者の広場(ページ)」としている方がいました。
 返信した内容が、「記事」になるというのは、嬉しいものです(自分が経験しました)。そこで、自分も同じように、ハガキや手紙で送られてくる感想や返事をまとめて記事にプラスするようになりました。そ
 こに書かれる内容は他の読者からするとまた、別の学びになるということで好評でした。

5 少しずつ輪が広がる。工夫しながら継続する。

 今の形式の一人新聞を書き始めて4年ほどです。
 互いに新聞(葉書)を送り合う方は、20人ほどになりました。
 あるいは、新聞を送り合うことはなくても、自分が郵送したり、配布したりする人は50人ほどになりました。
 
 最初の頃は、交流できる人数が増えることが嬉しくて、嬉しくて。とにかく、どんどんと発行し、送っていました。
 
 しかし、郵送代は人数が増えるほど、私のお小遣いを圧迫します(笑)。
 
 現在、人によっては、2か月分をまとめて送ることもあります。
 あるいは、掃除の会に参加した時に、直接手渡すときもあります。
 そうやって、切手代をやりくりしながら地道に活動を継続しています。
 
 でも、おもしろいもので、切手代がないなあとどうしようかと思っていると、読者の方から、切手が送られてきたり、2年分の「購読料」として現金書留がきたりして、何とか維持できています。
 
 さらに、交流している方が、その土地の特産品や旅行のお土産を送ってくださったりして、何というか、「豊かさ」を感じる機会が増えました。それも、続ける励みになっています。

葉書通信・返信の一部

 この一人新聞で書いていることや、読者の方との交流は、このNOTEのマガジンやおすすめなどの機能と似ているのかなあと思います。
 一人新聞での学びをこのNOTEにも生かしていければいいなあと思っています。
 
 
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
皆様の心にのこる一言・学びがあれば幸いです。

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