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進学校がない地域における大学受験のリアル
夏が終わり、受験シーズンが本格化してきた。
これから追い込みの時期になるので、受験生の皆さんには心と体を大切にしながら、何とか乗り切ってもらいたい。
昨今、大学進学に地方格差やジェンダー格差があることがかなり知られてきた。
そして、これを是正しようという動きも出てきており、とても喜ばしい。
しかし、格差はそれだけではない。
私は「県内格差」もかなりあると考えている。
ところが、これについてはほとんど語られておらず、見過ごされているように思うので書いてみることにした。
県内格差
都道府県によって事情は異なると思うので、該当しない地域もあるだろうが、私の出身地である京都府は格差がかなり顕著だった。
南北に長い形をしている京都府は、人口比が南部と北部でおよそ8:2。
南部に人口が集中しているため、学校の数は圧倒的に南部が多い。
その結果、進学校は南部に集中しており、北部にはわずかしか存在しない。
つまり、北部の学生には学校の選択肢がほとんどないのである。
反対に、面積は北部の方がはるかに大きいため、学校同士の距離が離れている。
私も北部の出身だが、実際、自宅から通える高校は一つしかなかった。
電車が通っていないので遠方への通学も難しく、選択肢はなかったに等しい。
また、学校だけではなく、塾や予備校の数も違う。
京都自体は都市部であり、地方という印象をあまり持たれないと思うが、
府全体で見ると、地方と同様の問題を抱える地域が存在するのである。
非進学校の問題点
私は公立の非進学校(特進コースもない)から、いわゆる難関大を目指したのだが、まあまあきつかった。
私が受験生だったのは20年近く前なので、今とは状況が異なる部分もあるだろうが、課題そのものは大きく変わっていないと思われる。
私が感じた問題点は次のとおり。
情報が入ってこない
授業が物足りない
一緒に頑張る仲間が少ない
ロールモデルが少ない
以下、一つずつ見ていく。
1.情報が入ってこない
当時は今ほどインターネットが発達していなかったため、大学や入試の情報にアクセスすることが困難だった。
おまけに塾や予備校もないので、情報源は学校の進路指導室に置かれている本くらい。勉強の仕方も手探りだった。
どんな大学があり、どんな学部があるのか自分で調べるしかなかった。
今思うと、大学でどんなことが学べるのかをもっと具体的に知りたかった。
ちなみに地元は書店もない。
2.授業が物足りない
これは入学して早々感じ、かなり焦った。
いっそ退学して高卒認定を取り、独学で勉強した方が近道ではと思ったほど。
しっかりした授業をしてくれる先生もいたが、「よくこれで給料もらってんな」と思う先生もちらほらいた。
これでは到底大学受験には対応できないと思ったので、つまらない授業のときは内職をしていた。
受験向けのカリキュラムもなかったので、自分で何とかするしかなかった。
3.一緒に頑張る仲間が少ない
精神的につらかったのはこれ。
私の高校から大学進学する人の大半が推薦やAO入試を利用し、一般入試で国公立大を目指す人は10人程度だった。
ほとんどの人が高3の秋には進路が決まるので、浮かれた雰囲気の中で勉強するのはしんどかった。
実際、「まだ勉強してるの?」と言われたことがある。
「こっちはこれからが本番なんだよ!」と内心キレていた。
国公立大志望者向けに二次試験直前期に補講をしてもらったのだが、国語の受講者は私ともう一人のみで、先生と合わせて3人でやっていた。
これはこれで楽しくもあったのだが、
「いや、少なすぎでしょ…三者面談かよ」と我に返ることがあった。
(机を3つくっつけてやっていたのでリアル三者面談だった)
とはいえ、もう一人いてくれたのがせめてもの救いだった。
特に親しい相手ではなかったが、心の支えになったのは確かだ。
これで完全に独りぼっちだったら、もっとつらかったにちがいない。
少し話が逸れるが、受験生の少なさがセンター試験会場の場所にも影響していたと思われる。
センター試験の会場は高校の場所をもとに決められるはずだが、私たちは行ったこともないとんでもなく遠い場所にある大学を指定された。
「よりによってなぜここ…?ていうかどこ…?」
もっと近い(それでも十分遠いのは遠いが)会場がいくらでもあるのに。
おそらく、うちの高校は受験生が少ないので、空いていたところに適当に割り振られたのだろう。
「舐められたもんやな…」
わりと本気で憤った。
決めたやつ誰やねん。絶対に許さん。
試験日当日、朝6時前には家を出た。
真冬のまだ夜が明けきっていない寒い朝、親が運転する車に乗せてもらって遠い会場を目指した。
4.ロールモデルが少ない
私の地元は高校を卒業すると実家を出る人がほとんどであるため、日常生活で大学生の姿を見ることがなかった。
なので、大学生のイメージが漠然としていた。
私が地元の高校から難関大を目指そうと思ったのは、数年先輩に私の母校である大学へ進学した人がいたからである。
学部は異なるものの、「行けないことはないんだ」と思わせてくれた。
その人とはまったく面識がないが、前例を作ってくださったことにとても感謝している。
その人がいなかったら、違う選択をしていたかもしれない。
私にとって唯一のロールモデルだった。
この地域の優秀な生徒の中には、南部にある遠方の高校まで通う人もいないわけではなかった。
バスを乗り継いだり、親に車で送迎してもらったりして。
ただ、体力がいるし、通学時間が私には無駄に思えた。
せめてバスの中で勉強できればよかったのだが、峠をいくつも越えないといけないため乗り心地が悪く、酔いそうだったので断念した(実際何度か試してみたことがある)。
なので、もし地元の高校ではだめだと判断していたら、寮がある学校を探したか(あまりないようだが)、京都市にいる親戚を頼って下宿させてもらうなりしたかもしれない。
しかし、中学卒業とともに実家を出る勇気は自分にはなかっただろうとも思う。その場合は、自分が地元高校からでも進学できることを証明するパイオニアになるしかなかった。
幸い自分にはロールモデルがいたので救われたが、いたことが奇跡で、いなくてもおかしくなかった。
自分はどうしたか
以上のような課題を抱えた中で、私はどうしていたか。
土曜に京都市にある予備校まで通っていた時期もあったが、やはり体力的にきつくてやめた。
最終バスの時間が早いので、授業が終わるとすぐにバス停までダッシュする羽目になり、毎回くたくただった。
通信教育であるZ会も利用した。
得意科目は活用できたものの、苦手な数学は問題が難しすぎてまったく歯が立たなかった。学校で使用している問題集では見たことがないような問題ばかりで、ほぼ白紙で提出せざるを得ず、こちらも途中でやめた。
結局自分に合った学習方法がわからないまま、市販の参考書や問題集を使ってやり過ごしていた。
そんな状態で受かるはずがなく、現役のときは不合格だった。
もともと半分浪人を覚悟していたので、そこまで落ち込むこともなく、高校卒業後、浪人生活をスタートさせた。
京都市にある大手予備校の寮に入って予備校に通い始めた。
勉強に集中できる環境だったので私には合っていた。
予備校に入ると驚くことばかりだった。
自分は問題の読み方、解き方をまったくわかっていなかったのだと思い知らされた。
テクニックだけの話ではない。
過去問研究が大切なことも知らなかった。
いかに無知で丸腰で受験に挑んでいたか。
そりゃ受かるはずがないと納得した。
成績はぐんぐん伸び、無事に志望校に合格することができた。
人生で一番勉強した一年だった。
充実していたし楽しかった。寮生活も楽しかった。
なんとか一年で間に合わせることができてよかった。
一方で、田舎、非進学校がいかに不利かを実感した。
進学校に通いながら塾や予備校にも行く人が多いのだから、勝てるわけがない。独学でできる人もいるとは思うが、私は教えてもらわないと無理だった。
まとめ
私自身はこの土地に生まれた者の宿命と受け入れており、そこまで悲観はしていないつもりだったが、ここまで書いてみて「かなりのハンデを背負っていたのでは…」と認識が変わった。
自分は幸い浪人させてもらえて予備校にも行けたが、それが不可能だったらどうしていただろう。
頑張らなくても行けるレベルの大学で妥協していたのではないか。
そして、そういう地方出身者、特に女子は多いのではないか。
地元は田舎とはいえ、一応京都という土地柄のせいか、大学進学自体は普通のこととされていた。
地方によっては大学進学する人そのものが少なく、「大学なんか行ってどうするんだ」と言われるような地域もあるのだろう。しんどすぎる。
私は希望する大学に行けて、心からよかったと感じている。
世界が広がったのは間違いない。
また、ようやく自分にフィットする場所を見つけられた、とも感じた。
地元にいた頃は浮いていたので、ずっと居心地が悪かった。
大学に入って、「息がしやすい」と思った。
私が言いたいのは、誰もが自身の能力を思う存分発揮できる世の中であってほしいということである。
自分に制限をかけることなく、やりたいことがあればやってほしい。
自分の能力を低く見積もらないでほしい。
経済的な事情や環境のせいで諦めてほしくない。
学費上げてる場合か東大!と怒りたくなるが、大学も財政難なので致し方ない部分もある。
国がもっと教育や研究にお金を使うべきなのに。
なぜこんなにも蔑ろにするのか。
そんなことをするから優秀な人材は海外へ流出し、日本の研究力は落ちていく一方なのに。
中学受験の話を見聞きするたびに「格差が広がっていく一方だ…」と震える。
地方からすれば、遠い世界の話に聞こえるだろう。完全に蚊帳の外だ。
受験の渦中にいる子どもや保護者のしんどさもわかるが、そんな選択ができることがうらやましいと私などは思ってしまう。
また、このままではますますエリート層の同質化が進み、多様な意見が反映されにくくなるのではないかと危惧している。
似たようなメンバーだけだと、それ以外の立場にいる人のことを想像できないのではないか。
存在すら気がつかないかもしれない。
その人たちがどんなことに困っていて、何を求めているのか。
そういう声を拾い上げて政策に反映するのが国の中枢にいる人間の役目だと思うのだが。
優秀な人材は全国にいる。
埋もれさせてはいけない。
この偏った状況をどうか変えてほしい。
下記のような取り組みはとてもいいと思う。
石川県の自治体と塾が連携し、地域の子どもたちに勉強のモチベーションが上がるような学ぶ機会や刺激を与えようという事業だそうだ。
当時の自分にこのような機会があったら、絶対に参加したかった。
他の地域にも広がってほしい。
都市部と地方では子どもの学習環境に差があります。それは単に首都圏と地方という、「大都会とそれ以外」の差だけではありません。同じ「地方」と言われる県の内部でも、県庁所在地や人口が比較的集中している都市部と、そうではない過疎地域とで差があります。この差は「予備校・塾の数」にも表れています。
【追記】
石川県の状況は、私の地元とかなり似ている。
今年の能登半島地震で状況がさらに悪化していないか心配だ。
地震が発生したのは共通テストの直前だったので、受験生はどれだけ大変だっただろう。
想像するだけで胸がつまる。
予備校の寮の友人に能登出身の人がいた。
彼女は下宿して、金沢にある高校へ通っていたそうだ。
腹の括り方が違うと圧倒されたのを覚えている。