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邪馬台国は見つかっていた【13】一里=50mという換算値が得られる理由

ゆい:
江戸時代の一里は約4kmだと学校で習ったけど……。

おじ:
魏の時代はそれよりもだいぶ短くて、1里が430mだったことが判明しているんだ。

ゆい:ということは「千里の道も一歩から」の「千里」は430kmだったのね。東京~神戸間と同じ位の距離だから、かなり遠いね。

おじ:
この1里=430mという数値が倭人伝の記述にはどういうわけか通用しないんだよ。

レン:
倭人伝には対馬から壱岐の距離が1000余里と書かれていますね。東京~神戸間と同じ距離というのは確かに変ですね。

図表17

おじ:
時代を前後させて違う尺度で計算しても、倭人伝に合う数値は得られない。一体、百里が何kmなのか、いまだに結論が出ていないんだよ。

レン:
それなら、倭人伝に記された距離と実際の距離を照らし合わせて、換算率を求めるのはどうでしょう。

おじ:
うん。それしか方法はないね。上の図の対馬~壱岐間を例に挙げて、換算率を計算してみよう。

1里あたりの距離の求め方

実距離 ÷ 倭人伝の距離 = 換算率

例) 対馬~壱岐 間
 47km(実距離)÷1000里(倭人伝の距離)=0.047km
 1里= 47 m

おじ:
そしてこれが、帯方郡から奴国までの1里あたりの換算率をまとめた表だよ。

図表18

ゆい:
あらら。25m~240mまで、てんでばらばらの数値ね。

レン:
実距離の数値に幅があるのはどうしてですか。

おじ:
候補地が複数ある場合、実距離も複数になるからだよ。例えば末盧国は呼子と唐津、2つの有力候補地がある。だから壱岐からの距離も、2つ生じてしまうんだ。

図表19

ゆい:
これでは正しい換算率を得るのは難しそうね。

おじ:
うん。そこで、この表の中でデータとして相応しくないものを、思い切って除外しようと思う。本当に信頼できるデータだけを残して、より正確な換算率を求めるんだ。整理する条件は次のとおりだよ。


・距離が長く、誤差が大きくなりそうなケース
  ①帯方郡~狗邪韓国 (実距離が長い)

・候補地が複数あり、距離が確定できないケース
  ④一支国~末盧国 (末盧国が呼子か唐津か確定しない)
  ⑤末盧国~伊都国 (同上)
  ⑥伊都国~奴国 (奴国の有力候補地は博多だが、距離と方角で倭人伝の記述と合わない点がある)

・倭人伝の記述と実際の形が大きく違うケース
  ⑦対馬国 (方可⦅縦横⦆400里という記述に対し、実際は細長い形をしている)


おじ:
では、おじさん得意の植木ばっさり大作戦でデータを断捨離するよ。それっ!

図表20

ゆい:
あら。ものすごくシンプルになったね。

レン:
バラバラだった換算率も、47m~60mの範囲に収まりましたね。

おじ:
多少の幅はあるが、前よりもかなりまとまりがよくなっただろう。さらに範囲を狭めるために ⑧一支国の大きさ に注目してほしい。距離に「余」が使われておらず、精度が高いんだ。

ゆい:
本当だ。「余里」とは書かずに「縦横300里」と言い切っているね。

おじ:
この数値を重視して47mと53mの中間である50mが、換算値として最も適している。そこで1里=50mという換算値を使ってこれから邪馬台国を探していくよ。

ゆい:
魏の時代の「1里=430m」という換算値よりもだいぶ短いね。データの数もたった3つだし、本当に合っているの?

おじ:
もちろんこれは仮のデータだ。精度を確認しながら、とりあえず九州上陸後の国々を探してみよう。
 

里数換算値(仮)

   1里 = 50m
 100里 = 5km
1000里 = 50km

【14】につづく


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