週刊「我がヂレンマ」<11月25日号>
秋と11月、存在感の無さが異常。
枯葉舞い、カサカサ落ち葉だらけの庭を横目に、冷たい風をつっきる日々。今だ部屋着はTシャツに短パンという怠惰仕様、トマス・ピンチョン全小説がコンプリートしたことで、
本棚を見るたびに、
「半端ねぇわ。どんな大型書店でもここまで揃ってねぇ。半端ねぇ」
と、独り言ちる。
寒いですね。
糞ほどに。
もう暖房つけます。
それにしても、この1年ぐらいで書籍に間違いなく、40万円以上は使っている。この1カ月はトマス・ピンチョンのせいで書籍代が5万円突破している。それも終わり、来週から予算は削減。来月、駒込の『BOOKS青いカバ』へ赴く日を除いて。
さて、今週のコンテンツ(毎週、変わらないけど)
<メモについての解説と考察>
<購入した書籍の紹介>
<月曜、ひとり歌会>
前置きはもういい。
時間がなくなる。
<メモについての解説と考察>
「エミリー・ディキンソン(1830年12月10日‐1886年5月15日)」
アメリカの詩人。アメリカ合衆国マサチューセッツ州アマーストで、アマースト大学の財務に携わる法律家の家に生まれる。厳格なピューリタンの父のもとで、質素厳格に育てられた。当時の詩は物語を詠む長編ものが多く、内容も喜劇的なものが一般的だった。
そんな中、エミリー・ディキンソンの詩は短編で、内容も死や感情など人間の内面を表現するものが多く、画期的だった。また、当時の女性は結婚して子育てをするのが当たり前と考えられていたが、ディキンソンは生涯独身で自宅の部屋に引きこもり、詩に没頭し、生涯で約1800もの作品を世に残している。
「囲繞(いじょう、いにょう)」
まわりを取り囲むこと。「町を――する掘割」「囲繞地」
なんでメモしたんだろう。分かんねぇや。なんで引っ掛かったのかも。
知る由ねぇわ。
「スワンプマン」
とは、1987年にアメリカの哲学者ドナルド・デイヴィッドソンが考案した思考実験。思考などの心の状態や発話の内容を、主体がその時とっている内的な状態だけでなく、来歴にも依存するものとして捉える彼の理論への可能な反論として提唱された。ルース・ミリカンの目的論的意味論などの同じく歴史主義的。
外在主義的な志向性や内容の理論への反例としても論じられる。スワンプマンとは「沼(Swamp)」の「男(man)」という意味の英語。
【思考実験の詳細】
ある男がハイキングに出かける。道中、この男は不運にも沼のそばで、突然、雷に打たれて死んでしまう。
その時、もうひとつ別の雷が、すぐそばの沼へと落ちた。なんという偶然か、この落雷は沼の汚泥と化学反応を引き起こし、死んだ男と全く同一、同質形状の生成物を生み出してしまう。
この落雷によって生まれた新しい存在のことを、スワンプマン(沼男)と言う。スワンプマンは原子レベルで、死ぬ直前の男と全く同一の構造を呈しており、見かけも全く同一である。
もちろん脳の状態(落雷によって死んだ男の生前の脳の状態)も完全なるコピーであることから、記憶も知識も全く同一であるように見える。沼を後にしたスワンプマンは、死ぬ直前の男の姿でスタスタと街に帰っていく。
そして死んだ男がかつて住んでいた部屋のドアそ開け、死んだ男の家族に電話し、死んだ男が読んでいた本の続きを読み耽りながら、眠りにつく。
そして翌朝、死んだ男が通っていた職場へと出勤していく。
「清岡卓行(1922年6月29日‐2006年6月3日)」
日本の詩人、小説家、評論家、法政大学名誉教授。
関東州の大連生まれ。東京大学文学部仏文科で渡辺一夫に師事した。また、長らく法政大学教授として新入生などにうフランス語の基礎、萩原朔太郎作品などをテキストに、人文特別講義を担当。
学部や専攻にかかわらず多くの学生を指導した。1996年に日本芸術院会員。妻は作家の岩阪恵子(いわさか けいこ、本名・清岡惠子)。前妻の息子・清岡智比古は、フランス語学者で明治大学理工学部教授で創作活動も行っている。
代表作に『アカシヤの大連』『マロニエの花が言った』などがある。
「富田砕花(1890年11月15日‐1984年10月17日)」
日本の詩人、歌人。校歌や市町歌の作詞など、旺盛な詩作活動を行ったことから「兵庫県文化の父」と称される。
岩手県盛岡市生まれ。本名。戒治郎。日本大学殖民科卒業。1902年に上京し、同年12月から会計検査院に勤める。1908年、与謝野寛と与謝野晶子の新詩社に加わり、石川啄木とともに歌会に参加する。以来、啄木に思想的な影響を受け、啄木の死に際してエッセイを発表した。
著作に、『悲しき愛 歌集』『草の葉』『カアペンタア詩集』など。
「売ります。赤ん坊の靴。未使用」
『For sale: baby shoes, never worn』は英語で6単語からなる短編小説の全文である。
このシックスワード・ノベルは、フラッシュ・フィクション、サドゥンフィクションの極端な例でもある。アーネスト・ヘミングウェイの帰属は確かなものではなく、同じような趣向の小話は古くから存在する。
「ディラン・トマス(1914年10月27日‐1953年11月9日)」
ウェールルズの詩人、作家。
ディラン・トマスは、英語で執筆を行う最も偉大な20世紀の詩人のうちの一人として見なされる。彼は現在もアングロ・ウェールズ文学の第一人者である。彼の作品における鮮明かつ空想的なイメージは、20世紀の詩文学界において否定される傾向にあった。同時代の作家たちは政治的・社会的で深刻な問題を取り上げたが、トマスは感情と情熱に従い、その作品の多くの場合激しく個人的で、猛烈に感傷的であった。トマスはあらゆる面において同時代の詩人に比べ、よりロマンチストであった。
「粘膜人間」
作者は飴村行。
あらすじ。
「弟を殺そう」――身長195cm、体重105kgという異形な巨体を持つ小学生の雷太。その暴力に脅える長兄の利一と次兄の祐二は、弟の殺害を計画した。だが圧倒的な「体力差に為す術もない二人は、父親までも蹂躙されるにいたり、村のはずれに棲む「ある男たち」に依頼することにした。グロテスクな容貌を持つ彼らは何者なのか? そして待ち受ける壮絶な運命とは‥‥‥。
第15回日本ホラー小説大賞長編賞を受賞した、衝撃の問題作。
<購入した書籍の紹介>
『逆光[上]』
トマス・ピンチョン
木原善彦=訳
飛翔せよ、冒険(文学の)へ。
空想科学冒険少年スパイ超能力探偵SМ陰謀ミステリ歴史―――
フロンティア消滅直後の19世紀末アメリカ。
飛び立つは謎の飛行船<不都号>!
文学史にそびえる金字塔『重力の虹』を嗣ぐ
著者最大最長の長篇、堂々降臨。
Against the Day 1 昼に備えて、その日に備えて。2⦅聖書(「ペトロの手紙Ⅱ」3:7)に登場する語句⦆裁きの日に備えて。3《写真》(被写体が)光を背にして。逆光で。
ニューヨーク・タイムズ・ブックレビュー
第六長篇『逆光』――これまでで最も面白く、おそらく最も読みやすい作品――において、ピンチョンは以前に劣らぬめまいを与える。だが今回は、熱のこもった空想、冴え渡る言葉の奔流、幻想的な物語、暗号化された引用などが、読者の精神的溶解(メルトダウン)なしに解読できる明確なメッセージが束ねられている。
「現在の世界を胚胎したとも言える19世紀末はいったい何を生んだのか。
第一次世界大戦期に及ぶ、小説ジャンルの垣根を超えた壮大なドラマ。」
原題のAgainst the Dayは「裁きの日に備えて」という意味で、聖書や、ジョン・ミルトンの『失楽園』などの文学作品に登場する。
本書の最重要テーマの一つは光や写真術であり、これと関連した文脈にフランス語で「contore-jour」という語がある。これを英語に直訳すると、against the day[daylight]であり、日本語では「逆光」を意味する。
against the dayには「時流に逆らって」という意味もある。無政府状態の爆弾テロ一家を中心に据えた本書は2006年に刊行され、対テロ戦争に沸き立つ2000年代アメリカの時流に逆らっている。
以上3つのうち、どの意味が出るような訳題にすればよいか、日本語版の翻訳者の木原善彦がピンチョン本人に尋ねたところ、「逆光」の意味が出るようなタイトルが良いとの回答があった。
大型書店を10店舗周り、やっと手に入れた「上巻」これによりトマス・ピンチョン全小説はコンプリートと相成った。後は「素敵トマピ生活」を謳歌するのみであり、年末に向けて運も上向くというもの。
『惑星』
木原音瀬
「ジブンは地球の人間じゃない」
「早く宇宙の星に帰りたい」
貧困、暴力、搾取、死。
自らを「宇宙人」と呼ぶ男の人生は、
はたして”絶望”なのか――。
木原音瀬が挑む新境地。
自称「宇宙人」の男・ムラは、ドヤ街でホームレス生活を送っていた。
空腹に耐え、過酷な日雇い労働をし、ある時には金をだまし取られながらも淡々と日々を過ごすなかで、ひとりの芸術家の青年に出会う。そんなある日、「星」にいるはずの父親の遺体が解体現場から発見される――
【著者プロフィール】
木原音瀬(きはら・なりせ)
高知県出身。1995年『眠る兎』でデビュー。『美しいこと』『箱の中』をはじめとするボーイズラブ作品を多数発表。ほかの著書に『ラブセメタリー』『罪の名前』『コゴロシムラ』『捜し屋まゆま』シリーズ、『吸血鬼と愉快な仲間たち』シリーズなどがある。
物憂げな青年の表紙絵(平庫ワカさん)が印象的で、ぱっと手に取る。いわゆるジャケ買い。設定も好み。買う理由なんてほとんど直感でした。それでいいんです。安いし。
『太陽・惑星』
上田岳弘
第160回 ㊗芥川賞受賞
この小説で世界を変えた、最強のデビュー作。
新潮新人賞受賞
太陽は毎日輝いている。そりゃそうだ。けど、輝き果てた後には何が残るのか? 金か、それともカネか――。新宿の安ホテルで、アフリカの赤ちゃん工場で、パリの蚤の市で、インドの湖畔で、我ら人類は飽くなき欲望をスパークさせ、ついには不老不死が実現する。挙句の果てに太陽による錬金術が完成、バンザーイ!‥‥‥なのかどうかはあなたが決める。異能の芥川賞作家の伝説的デビュー作。
【著者プロフィール】
1979年(昭和54)年、兵庫県生れ。早稲田大学法学部卒業。
2013(平成25)年、「太陽」で新潮新人賞を受賞し、デビュー。
2015年、「私の恋人」で三島由紀夫賞受賞。
2016年、「GRANTA」誌のBest of Young Japanese Novelistsに選出。
2018年、『塔と重力』で芸術選奨新人賞を受賞。
2019年に「ニムロッド」で芥川賞を受賞。著書に『太陽・惑星』『私の恋人』『異郷の友人』『塔と重力』『ニムロッド』『キュー』『旅のない』がある。
確かYouTubeの動画で紹介されてた気がする。記憶は定かではない。純文学とSFの衝突らしく、それなりに楽しみ。文庫版もあったが、単行本で購入。最近、作家のデビュー作ばかり買っている気がする。
『その子どもはなぜ、おかゆのなかで煮えているのか』
アグラヤ・ヴェテラニー
松永美穂=訳
地獄は天国の裏にある。
ピエロの父、曲芸師の母、踊り子のわたし――
祖国を逃れ放浪生活を送る、サーカス一家末娘の無垢の物語
39歳で非業の死を遂げた
伝説の作家が唯一遺した自伝的傑作!
ドイツ文学史上最も強烈な個性(南ドイツ新聞)
シャミッソー賞・ベルリン芸術賞受賞作
「神さまはどうして、子どもがおかゆのなかで
煮えてしまうようなことをお許しになるのか」(本文より)
祖国ルーマニアの圧政を逃れ、サーカス団を転々としながら放浪生活を送る、一家の末っ子であるわたし。ピエロの父さんに叩かれながら、曲芸師の母さんが演技中に転落死してしまうのではないかといつも心配している。
そんな時に姉さんが話してくれるのが、「おかゆのなかで煮えている子ども」のメルヒェン。やがて優しいシュナイダーおじさんがやってきて、わたしと姉さんは山奥の施設へと連れて行かれるのだったが――。
世界16ヵ国で翻訳、奇蹟の傑作がついに邦訳!
【著者について】
アグラヤ・ヴェテラニー(Aglaja Veteranyi)
1962年、ルーマニアの首都ブカレストでサーカス家庭に生まれる。67年に亡命し、77年にスイスのチューリッヒに定住するまで、サーカス興行のために各地をめぐる生活を送る。
定住後にドイツ語を学び、俳優として活躍するほか、実験的文学グループ「Die Wortpumpe」を共同で設立し、新聞や雑誌に多数の記事を寄稿。1998年にベルリン文学コロキウムの助成金を受ける。
1999年に初小説『その子どもはなぜ、おかゆのなかで煮えているのか』を出版し、シャミッソー賞奨励賞、ベルリン芸術賞奨励賞を受賞。
2002年2月の早朝にチューリヒ湖で自死。
これはYouTubeチャンネル『アサヒ 音楽と文学は色ガラス』で紹介されていて、気になり購入。センスある表紙にも惹かれた。作者、唯一の作品ということもセンサーに引っ掛かった。これもデビュー作。
『結晶世界』
J・G・バラード
中村保男=訳
忘れられぬ人妻を追って、マタール港に到着した医師サンダーズ。だがそこから先の道はなぜか閉鎖されていた。
翌日、港に奇妙な水死体があがった。四日も水につかっていたのにまだぬくもりが残っており、さらに驚くべきことには、死体の片腕は水晶のように結晶化していたのだ。それは全世界が美しい結晶と化そうとする不気味な前兆だった。バラードを代表するオールタイムベスト!
ここ最近J・G・バラードが気になっている。集め始めていると言っても過言ではない。まぁ、積読になってますが。いつか読む。もう読みたい。でも、トマス・ピンチョン全小説で忙しい。
<月曜、ひとり歌会>
「五・七・五・七・七」「季語はいらない(使用可)」という最低限のルールを守り、言葉を研くことを目的とするこの企画。好き勝手、楽しく、生き生きと詠っていきてぇです。
時間なんてない。現在【21:57】ですから、前置きを今すぐにでも止めたいが、もう少し書きたい気もするが、書くことがないので、もういいでしょう。幾らか歌集でも読んで、さっさと詠おう。
〇雨打たれ濡れて流れる血潮へと 伸びる細指 消えるともしび
〇外道めが 義憤にかられ目を背け 今夜も奴ら 笑ってやがる
〇臭い川 水質上げて鯉が飛ぶ 思い出飛びて記憶に沈む
〇危機感に背後をとられ振り返る 鋭く動悸 刺さる現実
〇空腹は人を狂わす麻薬です あれもこれもと 糖質権化
〇暮れなずむ 君と[お前]が 二人きり 踵返して落ちる太陽
〇雪月花 意味も知らずに書いてみる 雪降る月下 散るミスミソウ
〇泣きゴリラ 唸りをあげるドラミング 恵比寿の街で弾ける笑顔
〇許される期待ハズレの坂道を下るスピード 冷える断絶
〇白米とニンニクきいた焼肉は 前世親友 来世戦友
もういいだろう。丁度腹が減って、【23:18】だってのにコンビニにいく羽目になっている。
つまり、短歌なんて詠ってる場合ではない。歌人でもないくせに、毎週欠かさず詠っているので、適当に上記のように詠えるのです。
意味なんてねぇ。
フィーリングだ。
「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」のマインド。
もう、
締めの文章よかでしょう。
もうええて。
やってられへん。
腹が減っては文章書けん。
とどのつまり、
もう終わりですから。
あしたから三日連続ショートショートですから。
最近、不調ですから。
頑張りマスカラ、ピッといくのよ、夜の蝶。
「近所のファミマに行ってきます。その事しか頭にねぇよ」