週刊「我がヂレンマ」<1月20日号>
一昨日、映画『敵』を見て以来、主人公・渡辺儀助について、そして自分の将来について考えた。良い映画は人を考えさせ、内面の充実を与える。
それだけでも2000円以上の価値がある。そして長塚京三さんがあまりに格好良かった。あんな大人になっていきたい。そう思わせてもらい、得るものが多い週末であった。
1月も三分の二が過ぎた。あっという間過ぎる。節分かと思ったら、桜が咲きだして、固定資産税を払ったら、ゴールデンウイーク。光陰矢の如しとはよく言ったものだが、そのスピードに顎が外れるばかりだ。
さて、今週のコンテンツ(毎週、同じ)
<メモについての解説と考察>
<購入した書籍の紹介>
<月曜、ひとり歌会>
私は強く、前向きに生きます。どしどし行動するしかありません。
前置きはこれくらいにして書こう。
<メモについての解説と考察>
「老耄(ろうもう)」
おいぼれること。また、その人。耄碌(もうろく)。
「――し、血のめぐりが悪くなっているからと」〈谷崎・少将滋幹の母〉
「――に追いまくられ、意識は白濁し老い先の短さが身に染みる」
主要なライフイベントは終わり、後は緩やかに死に向かい、突然終わりとなる。老残とした日常に老耄し‥‥‥。
他方、老人のメリットは失うものが少ない。前向きに棺桶を目指す他ない。死は究極の安らぎ、耄碌上等である。
「琴瑟相和す(きんしつあいわ)」
「詩経」小雅・常棣から、
琴と瑟との音がよく合う。夫婦仲が非常によいたとえ。
「瑟(しつ)」は、中国古代の弦楽器で大型の琴。
琴と瑟を合奏すると音がよく合うところから、夫婦の仲睦まじしさを「琴瑟相和す」とたとえて言うようになった。
使いこなせば、教養の高さをアピールできそうだが、高卒の私が無理に使ったところで虚しいばかり。そもそも意味が分からない人が多いので、純文学でもない限り、使用は避けるべきか。
「デイリータ・ダラフィル」
勃起不全(ED)治療薬の一つで、シアリスのジェネリック医療品です。
ダラフィルはPDE5阻害薬として分類され、血管を拡張し、ペニスの血流を増加させることで勃起を助ける。
これは配信者で「男で身長170センチ以下は人権ない」で一躍有名になった「たぬかな」氏が配信内で紹介していた(切り抜き動画)。
断っておくが今のところ買うつもりはない。
いまのところは‥‥‥。
「フォルトゥーナ(Fortuna)」
ローマ神話に伝えられる運命の女神。
運命の車輪を司り、人々の運命を決めるという。英語の「Fortune」の語源とされ、ギリシア神話のテュケー(Tyche)に相当する。
運命を操るための舵を携えており、運命が定まらないことを象徴する不安定な球体に乗り、幸運の逃げやすさを象徴する羽の生えた靴を履き、幸福が満ちることのないことを象徴する底の抜けた壺を持っている。
また、チャンスは後からでは掴めないということを表しているため、フォルトゥーナは後ろ髪がなく前髪しかないとされているが、最近ではすべての髪を前で束ねているイメージに変わっている。
フォルトゥーナはコルヌー・コーピアエを携えた幸運の女神ともされている。タロットの運命の輪は、フォルトゥーナがモデルとされている。
「しぐるるや しぐるる山へ 歩み入る」
有名な俳人・種田山頭火が詠んだ作品。
「しぐるる」は「時雨」を指し、冬を表す季語です
その一方で、「しぐれに」には秋時雨や春時雨もあるため、山頭火が本当に冬を表現するために使用したかは、定かではないという意見があります。
さらに、こちらの俳句は自由律俳句のため、季語なしの「無季句」と考える説が一般的です。
なぜなら山頭火は萩原井泉水が刊行した無季自由律俳句を掲載した機関紙に投稿し、門下生として俳句の道を歩んでいるからです。
山頭火自身が歩んできた俳句人生を考えると、季節に囚われずに自分の思いを自由に表現したと考えられる。
「セルゲイ・パラシャーノフ(1924年1月9日‐1990年7月20日)」
ソ連の映画監督、脚本家、画家、工芸家。ジョージア・トビリシ出身のアルメニア人(国籍はソビエト連邦)。
ジョージアのトビリシでサルキス・ホヴセピ・パラジャニャンとして生まれた。父方の祖父は二輪馬車職人の家に生まれた四輪馬車の御者であった。 パラジャーノフという名は祖父が第二ギルド商人の資格を取得する際に改名したロシア名である。
父親の皇帝軍の年少士官であったが、革命後は古美術と中古品を商う店を経営した。姉が二人おり、三兄弟の末っ子だった。幼少期にはバイオリンや歌、バレエ、絵画などのクラスを受講し、芸術的に恵まれた環境で育ったと言われている。
作品に、
「アンドリエーシ」「黄金の手」「ウクライナ・ラプソディー」「火の馬」「ざくろの色」「ピロスマニのアラベスク」など。
「結婚が生存戦略から、自己実現へ」
出典不明。
昔は結婚することで後継ぎを産み、家を維持・繁栄させることがすべてだったのだろう。特に女性は結婚して子供を産む以外の選択肢はなかった。
高度経済成長期を経て経済大国となり、男女雇用機会均等法の施行によって、女性の社会進出が進んだ。その結果、必ずしも経済的に男性を頼りきる必要がなくなり、それぞれの結婚像を「自己実現」するための手段に変わっていった、ということか。
自己実現するのに結婚が絶対的なものでなくなり、80年代の普通の家庭を再現できそうにない経済的弱者の男性が増えたのも、婚姻数減少の原因かもしれない。
<購入した書籍の紹介>
『失墜の王国』
ジョー・ネスボ
鈴木恵=訳
北欧ミステリの巨匠が贈る
比類なき暗黒ノワール小説
逃げるように村を離れた弟。
罪を背負って村に残った兄。
弟の帰還は、兄が守った"王国"の崩壊を招く――
「ガラスの鍵」賞・受賞作家による新たな代表作。
これはあやゆる意味で特別な作品だ。
――スティーヴン・キング(作家)
家族という幻想、そして親密な町という幻想が、壮大なスケールで構築され、壊されていく。
――〈カーカス〉
ノルウェーの深い谷に阻まれた村、オス。
ロイと弟のカールは、父親が"王国"と呼ぶみすぼらしい農場で暮らしていた。ある夜、ロイはカールを守るために村の保安官を殺し、農場の奥にある谷に死体を隠した。
その罪は、兄弟ふたりで背負っていくはずだった。
しかし、罪から逃れるようにカールはアメリカへ渡ってしまう。
15年後、二度と会うことはないと思っていたカールが戻ってくる。農場の土地にリゾートホテルを建てる計画と、美しい新妻シャノンを連れて。
ロイは、詐欺まがいのリゾート計画の裏にはシャノンの思惑があると察したが、カールの願いを無下にはできなかった。
ホテル建設と結婚を認めたロイは、シャノンに兄弟の罪を告白してしまう。その数日後、ロイは新任の保安官から、ホテルの着工前に農場の谷を再調査させてほしいと要請を受けるが‥‥‥。
逃れざる罪を背負った兄弟の黙示録を描く、重厚なノワール・ミステリ。
書店で見かけては、チラチラ見ていたが目的物ではなく、手が伸びていなかったやつ。タイトルから惹かれるものがあり、ノルウェーの田舎という舞台設定もすでに不穏な雰囲気があり、当たり確定である。
『異星の客』
ロバート・A・ハインライン
井上一夫=訳
『夏への扉』の著者が描く
世界を騒然とさせた問題作
火星から還ってきた青年は、地球人とは違う思考と特殊な力を持っていた。
ビル・ゲイツ氏が選んだ、オールタイムベスト
[必読書として選ばれた、巨匠ハインラインの超大作]
作品中に登場する「geok(認識)」という造語がその後オックスフォード英語辞典に採用されるなど、本書は時代に多大な影響力を及ぼした、宗教、政治、性、思想と多くのテーマを扱い、風刺とユーモアが無数にちりばめられた作品として多くの有識者に支持され、英国紙「ガーディアン」で必読小説1000冊のうちの1作にも選ばれた。ヒューゴー賞受賞作。
宇宙船ヴィクトリア号で帰った"火星から来た男"は、第一次火星探検の際に火星で生まれ、ただひとり生き残った地球人だった。世界連邦の法律によると火星は彼のものである。この宇宙の孤児をめぐって政治の波が押しよせた。だが、"火星から来た男"には地球人とは異なる思考があり、地球人にはない力があったのだ。巨匠ハインラインがその思想と情熱のかぎりが注ぎこんだ超大作。
「とりあえずSF小説を一冊は買っとけ」という選書の基本方針に従い、カゴにいれたやつ。中々厚い。ハインラインを集めているという側面もあり、欠かすことの出来ない名作である。
『わが胸の底のここには』
高見順
高見順(1907年1月30日‐1965年8月17日)
小説家。福井県生まれ。
1908年母とともに上京。24年第一高等学校に入学し、25年同人雑誌「廻転時代」を創刊する。27年東京帝国大学に入学し、28年左翼芸術同盟に参加。
32年治安維持法違反により検挙される。35年から文筆業に専念。代表作に本書と『故旧忘れ得べき』『如何なる星の下に』。また詩人としても活躍し詩集『わが埋葬』『死の淵より』他がある。
自己の内面と激しく対峙した先に広がる小説の地平――
自伝的長編の傑作、初文庫化
恥ずかしい
私の過去よ。
私は己れを語ろうと決意した。憎悪すべき己れの過去を――
終戦直後に四〇歳を迎えた著者は、肉体の衰えと、あらゆる
情熱の喪失に愕然とする。再び生命の火を燃やすため、
過去の自分を苛酷なまでに暴き、白日の下に晒すのだ。
出生の秘密を剔抉し、幼少期から旧制中学時代までを
厳しい眼差しと筆圧で回想した自伝的小説の傑作。
自己の精神形式を追求する、著者の代表作を初文庫化。
高見順の文章は、簡明だ。ことばを飾らない。だいじなところでは、数少ないことばだけをつかう。それらを向きあわせたり回転させたりして進む。文の節理が、とてもきれいだ。通常の作家が文章なら、高見順は文法で表現する。文法を支点にして、世界を切り開く人なのだと思う。文章は特殊な能力を必要とするけれど、文法は誰もがつかえるし、さわることができるので、庶民的なものだ。高見順のことばは、この先の文学にとっても大切なものだと思う。
荒川洋治「解説」より
ここ最近、明治から昭和初期にかけての作家に興味が出始めている。そんんな私にとって、「講談社文芸文庫」は素晴らしい。しかし文庫にも関わらず、当たり前に2000円する。買うけども。
『あらくれ』
徳田秋声
徳田秋声(1871年12月23日‐1943年11月18日)
小説家。金沢市生まれ。
旧制四高を父の死のため中退、文学を志して上京。尾崎紅葉門下に入り、やがて泉鏡花などとならんで「葉門の四天王」とよばれるまでになる。
独自の自然主義文学観に開眼し、私小説的長篇『黴』によって文壇的地位を確立する。
『足迹』のお庄、『あらくれ』のお島など庶民の女性を描きつづけ、集大成ともいえる『縮図』は軍部によって中断され、太平洋戦争を憂慮しながら本郷森川町の書斎で没した。他に『仮装人物』など多数。
年頃の綺麗な娘であるのに男嫌いで評判のお島は、
裁縫や琴の稽古よりも戸外で花圃の世話をするほうが性に
合っていた。幼い頃は里子に出され、七歳で裕福な養家に
引きとられ十八歳になった今、入婿の話に抵抗し、
婚礼の当日、新しい生活を夢みて出奔する。
庶民の女の生き方を通じて日本近代の暗さを追い求めた。
秋声の、すなわち日本自然主義文学を代表する一作。
同じ講談社文芸文庫の『黴|爛』につづき本棚に加わる。もしかしたら、自然主義文学に惹かれているかもしれない。ありのままに描写するからこそ、静かな迫力、説得力を持つのだろう。
『悪意のきれっぱし 増補版』
生島治郎
日下三蔵=編
生島治郎(1933年-2003年)
上海生まれ。
終戦間近、長崎に引き揚げ、長崎から金沢、横浜へと移る。早稲田大学英文科を卒業し、デザイン事務所勤務を経て、1956年早川書房に入社。
日本版「エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン」創刊に携わり、第二代編集長を務める。
退社後の1964年に「傷痕の街」を刊行し作家デビュー。
1965年「黄土の奔流」が直木賞候補となり、1967年「追いつめる」で第57回直木賞受賞。
日本の正統派ハードボイルドの第一人者として、ミステリを中心に多数の作品を発表する。1989年から1993年まで日本推理作家協会理事長を務めた。
切れ味抜群、
突拍子もないイマジネーション、
これぞ狂気の怪作
クールとユーモアが共存する
変幻自在な語り口
日本ハードボイルドの第一人者による
怪奇・幻想・奇妙な味の短編集
生島治郎は、早川書房の編集者として日本版「エラリイ・クリーンズ・ミステリ・マガジン」や「異色作家短篇集」などに携わった。作家転身後、日本のハードボイルド小説の第一人者として活躍。本書は、クールとユーモアが共存する変幻自在な語り口で、1980年代に流行するサイコサスペンスの先駆的な作品群をまとめた怪奇・幻想・奇妙な味の短編集。旧版の11作に6作を加え大幅な増補をおこなう。
たまたま発見。平積みにされたアヴァンギャルドな表紙絵に惹かれて、カゴに入れる。書店での出会いである。
存在さえ知らなかった作家と遭遇し、僥倖。
短篇集ということで、ちょろちょろ読んでいこう。
<月曜、ひとり歌会>
「五・七・五・七・七」「季語はいらない(使用可)」という最低限のルールを守り、言葉を研く目的で始めた企画。時間的にいつも午後10時前後になってしまうため、超特急で捻り出す。質の担保など夢のまた夢であり、打率一割が限界かもしれない。企画を独立させるつもりもなく、とりあえず、最大限気合をいれて詠う所存。
前置きをダラダラ書いている時間もないので、
さっさとやろうか。
〇うろ覚え微かに残る紙片散る 残骸積もる記憶の墓場
〇迸る若さ尻目に衰える 痛む右膝ほじる鼻糞
〇うらぶれた路地裏の隅で咲く花が人知れず散る風にさらわれ
〇大都会行き交う人とビルとビル 君を見つける 今も昔も
〇中居くんガキの頃から見てました 思い出汚す君にサヨナラ
〇切り捨てる 人の繋がり切り離す それでも平気 おかしいですか
〇不健康 不摂生でもやめられず死への階段ホップステップ
〇明くる日に会わせる顔がありません あれから五年 気づけば一人
〇降り積もる部屋の埃と侘しさを 酒で誤魔化す奈落の日々よ
〇うまい棒 安さが売りの人気者 値上げの波にさらわれゆきて
午後11時前に詠い終える。
いつもと比べれば、いくらか余裕のある月曜日です。
その代わりに勢いのみ。具体的な製法を告白すれば、最初の五文字を書いたら、あとは流れにまかすのみ。
浮き輪に身をまかせ、大海原を遊弋するが如く気ままさで、つまり、適当に詠ったということです。
時間のなさからくる、開き直りとしか思えない。何を言おうと、現状が変わりそうにない。短時間でマトモな歌を詠えるようになるには、何が必要だろうか。
今のところ、気合一択。
気持ちです。
根性論で詠う野生の歌人、わたし。
明日から三日連続ショートショートなので、ネタを今から考えます。