
【人生オセロ理論】悩みの縛りを緩め、人生を豊かにする方法
こんにちは、DJ Tomyです。
現在、小学校教諭5年間として働いているごくごく普通の先生です。
そんな僕が28年間の人生を振り返る機会があり、自分と向き合いながら、人生とは何かと考えたとき、オセロに例えると面白いのではないかと思い執筆します。
興味のある方は読んで、自分の人生に生かしてもらえたらなと思います。
皆さんオセロはやったことがありますか?
そう、小さい頃、誰しもが人がやったことのあるオセロ。
ルールは簡単で、自分が白で相手が黒。
相手の駒を挟めば、ひっくり返る。
とても単純なゲームです。
図で表すとこんな感じになると思います。
●◯→●◯●→●●●
何を今更と思う方もいると思いますが、これを人生に例えるととっても面白いのです。
オセロの駒と言うのは、表裏一体で、物事の捉え方と似ています。
簡単に言えば、コップに半分の水が入っていたとして、それをどう捉えるか。

例えば、あなたが喉が乾いていたとするでしょう。その時、このコップの水を見てどう捉えますか?
水が半分しか入ってないじゃないか、これでは、水が足りない。もっと飲ませてくれよ!
と思う人もいるでしょう。
逆に、半分も水が飲めるのならありがたい、と思って飲む人もいるでしょう。
コップに入っている水の量は変わりません。
つまり、事実は変わらない。
その事実にどう向き合い、どう捉えるのか。
オセロで言えば、もっと水が飲みたいと思う欲に塗れた悲観的な考えが●であり、
半分の水が飲めるだけで幸せだと、飲めることに感謝し、その幸せに気づける楽観的な考えが◯だと思います。
つまり、オセロの駒と言うのは、物事は捉え方次第で変わるという、表裏一体の考えを示してくれている駒なのです。
あなたが今抱えている苦しみ、辛さ、悩み、過去への後悔と言うのは、どちらかと言えば●になるでしょう。
逆に、あなたが今抱えている楽しみ、幸せ、未来への希望と言うのは、どちらかと言えば◯になるでしょう。
オセロを進めるには、駒をおかなければなりません。駒を置くとは、人生に例えると行動を起こすと言うのと同じ。
オセロをする時、どこに駒を置いたらいいかなぁと考える時間もあります。でも最後は結局、考えても考えなくても、駒を置くことになります。
つまり、悩んでいても行動を起こさなければならないし、後悔をしていても、駒をおかなければならないのです。
人生何があるか分かりません。
最初から白い駒を持っている楽観的な人もいれば
最初から黒い車を持っている悲観的な人もいる。
ゲーム中盤は、白で埋め尽くされていたのに、何かのきっかけで、全てが黒にひっくり返る人もいれば、後半から巻き返し、最後は白でいっぱいになる人もいる。
でも、これは、行動して積み重ねて来ないとわからないことであって、駒をおかなければどうなるか分かりません。
それが、人生の面白さであり、オセロの面白いところです。
よく悩みがある人は、今ここに意識を向けられていないからだと言われます。
思い通りに行かず、過去を後悔したり、
思い通りに行かせようと、未来に不安を抱く。
でも、それはオセロで言えば、●の駒を考えているだけで置いてないだけなんです。
だから、前に進むためには、●の駒を置かなければならない。行動しなければ前に進めないと思っています。
自分の中でどうしたらいいかわからない時、決断できない時、それは人生でよくあること。
オセロで言えば、●◯の状態で、次の駒を白か黒、どちらで置けるかどうかにかかっています。
オセロをやる時は、誰か他の人のアドバイスを受けることができない。それはゲームで不正行為です。
駒を置くという決断は、最後は自分で決めるのです。
例えば、前回のテストが20点で
今回のテストの点数が60点だったとします。
一生懸命頑張ってやっと出した点数です。
オセロに例えるのであれば、
一生懸命頑張った◯の駒と
60点で残念だと思う●の駒
ゲームで言えば●◯の状態になっている訳です。
この時、あなたならこの状況をどう捉え、●と◯、どちらの駒を置きますか?
ここで、一生懸命頑張ったのに、結局60点だった。20点しか上がってないじゃないか。
と●の駒を置いてしまうと
●◯●となり、結果的に●●●になってしまいます。頑張っても報われない、結局は自分は勉強ができないんだと、悲観的な考えが増えてしまいます。
逆に、一生懸命頑張ったのに60点だった。でも、前回の点数よりも20点も上がったからか、頑張った自分を褒めてあげようと、◯の駒を置くと、
◯◯◯となり、自分を認めることができます。結果ではなく頑張ったと言う過程に目を向けることができ、前向きな考えが生まれてきます。
つまり、捉え方次第で、人生は楽しいものになる。これがオセロで言う、●◯→◯●◯→◯◯◯になるということです。
しかし、ゲーム中盤からはオセロの置き方は難しくなってきます。敢えて●を増やして、◯を増やす場合もあれば、今が攻め時で◯を一気に増やす場合もある。物事の捉え方は、◯●と常に変わっていて、それでも行動することでゲームを進んでいく。
◯●●●●●●と
辛い、悔しい、苦しい…そんな悩みという●が増え、耐えてきた時こそ、
◯●●●●●●◯→ ◯◯◯◯◯◯◯と
一気に◯になる瞬間が、物凄く嬉しくて、大きな達成感があり、心の底から幸せを感じられる瞬間になるのです。
オセロには縦、横、斜めでひっくり返せるというルールがあります。
私の中では、横は手を繋げる、血が繋がると言った意味で家族。学校であれば友達同士。縦は、上下関係という意味で、学校であれば、他学年。仕事であれば上司や後輩。そして斜めは、違う仕事をしている人や意外な出会いで知り合った方々だと思っています。
家族の力を借りて、●を◯に縦で返す時もあれば
上司や後輩の力を借りて、横で返す時もある。
友達の力を借りて、斜めで返し、意外な展開を生むこともある。
まさに人生、人とのつながり、面白いですよね。
駒を置くのは、自分の力ですが、
駒をひっくり返すのは、自分だけではなく
家族、友達、仕事の仲間、あらゆる人の力で
駒をひっくり返すことができると思っています。
オセロには端を取るとゲームを有利に進められると言う鉄則があります。
端を取るのはなかなか簡単なことではありません。端を●にされた時こそ、とてもキツイのです。悩みの中でも、かなり大きな悩み事。それが端に置かれた●だと思います。
でも、そんな端ををひっくり返す唯一の手段が、角を取るということです。
オセロをやったことがある人はわかると思うのですが、必ず角を取りに行きます。なぜなら、角は一度取ると、絶対にひっくり返すことができないからです。
角を取る事は並大抵のことではないと思います。
そう簡単に取れるものじゃない。
ありのままの自分を受け入れ、世のため、人のためだけではなく、自分も大切に、人と比べず、自分らしく、自信を持って、自分の軸ができたときに、角を◯でとることができると思います。
そうやって、物事の捉え方を◯にしていき、自分を信じられるようになったときに、角に◯がおける。
後は、その角の◯を生かして、●を変えていくだけ。後悔だらけの人生が、実はとっても幸せだったんだと捉え方を変えて、◯を増やしていけば良いのです。
では逆に、角を●で取られたらもうだめではないのか。そう思う人もいるでしょう。
確かに、絶対にひっくり返すことができないのが角なので、一度取られると絶望的です。
もうダメだ…もう無理だ…これ以上はきつい…
普通であれば、そう考えると思います。
でも、その角を◯にすることができる唯一の方法があります。それは一生懸命頑張ることです。
一生懸命頑張るといっても、捉え方は沢山ある。
・目標に向かって一生懸命頑張る
・困っている人を助けるために一生懸命頑張る
・生きるために一生懸命頑張る
・頑張りすぎる人にとっては休むと言うのを一生
懸命頑張る
たくさんの一生懸命があります。でも一生懸命向き合う事は必ず意味があります。
皆さんは、黒光りしたものを見たことがありますか?そうです、一生懸命磨いたものは美しく、輝くのです。
とても簡単に例えるならば、黒い車を洗車した後、太陽の光を浴びて、眩しいくらいに反射する。そんな感じです。
つまり、一生懸命頑張れば、●の駒も光輝き始め、その眩しさゆえに、いつのまにか◯として見えるようになる時があると言うことです。見えるというより、気づけるようになる時が来るのです。
後悔していたことが、まさか…と思ったことは実は意味があって、それが自分のためであったと気づく瞬間が来る。
それが、●のオセロがひっくり返さなくても◯になることだと思っています。
人生いつどうなるかわからない。
でも、考えているだけではゲームを進まない。
後悔ばかりの人生の●を行動することによって
◯の駒をうまく置くことによって
全て◯にひっくり返すことができる。
一生懸命頑張ることで、魂を磨き、●すらも◯に変えることができる。
僕はそう思っています。
ゲームが終わった時、全体を見たときに
◯の数多ければ、もちろん幸せですし
●の数が多くても、一つずつ磨き、小さな幸せに気づくことで◯にすることができるだろうし、
●の数で負けてしまっても、一生懸命頑張って、悩んで向き合って、できることをしてきたから、これでよかったんだなって思えるようになる。
立ち止まってもいい、悩んでもいい。
それでも駒を置く。◯の駒を持って、
ゲームを進めていく。前向きに歩んでいく。
そうして心を豊かにしていき、黒でも白でもなく、勝った負けたでもなく、全部受け止めて良かったと思える。
僕は、そんな大きな心を持てるように日々歩いていきます。考え、悩み、立ち止まりながらも。
自分の人生が素晴らしいものだと思えるように。
自分の人生が悪くは無かったと受け止められるように。
それが、僕の中での「人生、オセロ理論」です。
最後まで読んでいただきありがとうございました。僕がどうしてこういう考えで記事を書けるようになったと言うのは、28年間の人生を生き抜いてきたからです。
僕の人生については、今執筆中なので
また別の機会にお話ししたいと思います。
自分の人生これでよし、悪くない。
今日も素敵な1日になりますように。