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【言葉】言葉を選ぶ義務
ウバといいます。
訪ねていただきありがとうございます。
職場(介護施設)で利用者を怒鳴る職員を見ていると、少しだけ分かってきたことがある。
その怒鳴りかたが虐待レベルなのは別として、怒鳴る理由が「自分の正義を絶対に通したい」だけなのだろうということだ。もちろん、その辺は「あなたのタメを思って」という嘘で塗り固められてはいるのだが。
誰かを注意する時、そこに自分の感情は必要ない。大切なのは、何を伝えたくて何が伝わったか、だけなのである。
自分が正しいことをしていると思った時こそ、自分を疑うべきだ。彼女らにはそれがない。いつだって自分が正しいのだろう。
そう気付いた。
◇
私と嫁さんが結婚して、長男を授かる前の話。私は年明け早々に大学生3人組に絡まれていた。
新年のはじまりをテレビを観ながら迎えた。お酒が足りなくなったため、私は家の前のコンビニに行くことにしたのだが、そのコンビニの前でたむろしてたのが大学生3人組だ。
彼らも飲んでいたのだろう、とにかく元気だった。コンビニに来た私に向かって「ハッピーニューイヤー!!」と絡んできた。
私はおめでとうございますとだけ告げコンビニに入ろうとしたのだが、その態度が気に食わなかったようだ、肩をつかまれる。
「ノリ悪いッスね」と言われましても、ちゃんと挨拶したのになあ、しかも敬語で。と思ったがここで怒っても仕方がない。私は彼の手を払い除けた。するとどうだろう、またその態度が気に入らなかった様子。
「あ?ナメてんすか?」と。もうよく分からない。年明け十数分で大学生に絡まれる、おとなしく家にいたら良かった。
彼らの態度に私も少しイラッとしてしまったが、ここて怒鳴ると長引くことも経験則でわかっている。怒×怒=面倒なのだ。
私は言葉を考えて、低姿勢で答えた。
「いや、まだ舐めてないんですが、どうしてもと言われるのなら、せめてシャワーを浴びられてから舐めたいです」
決まった。今書きながら、しっかり煽ってますやんと思ったが、当時の私はこれで場を笑いに変えれると本気で思って答えたのだ。
そして当時の私の思惑通り、3人組は笑った。更にはお酒まで奢っていただき4人でしばらくそこで飲んだのだ。だいぶ年下の子に奢らせるのはどうかとは思うのだけど。
私がケンカ腰で対応していたら、このような結末は得られなかっただろう。話すと真面目な3人だったし、あわよくば可愛い大学生でも紹介してもらおうかと邪な気持ちもあったが、これを書いているすぐそばに嫁さんが居るため書くわけにはいかない。
可愛い大学生は紹介してもらえなかったし、その3人とはそれ以降会っていない。顔も覚えていない。真冬の一晩、数時間だけの関係。それなのにまだ覚えている。選んだ言葉が素敵な思い出を作ってくれたのだ。
◇
人は、吐き出す前に言葉を選ぶ義務がある。この言葉を使うことで目の前の人を傷つけないか、不快にしないかを選ぶ義務。それを怠ってはいけない。
それに選ぶことでその場を笑顔にすることもできる。お酒だって奢ってもらえる。相手を笑顔にできる。言葉が自分を幸福にしてくれる。
逆に不快にもできる。傷つけることだってできる。むやみに他人を傷つけてはいけない。誰しもが楽しい時間を生きたいはずなのだから。
その義務を怠らなかった私は、大学生と楽しい時間を過ごせた。もし相手がシャワーを浴びてきたら、私には舐める義務があったのだけど。
その時、私はどんな顔をして舐めたのだろうか。いや、それはどうでもいいか。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
言葉選びは、本当に大事だと思うのです。
それでは、佐世保の隅っこからウバでした。