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言葉にあらわれるもの。

言葉がただしく使われているのが好き。

ただしい使い方が、きれいだと感じるからだと思う。
小さいころから読み慣れているものはたいていきれいだったからかもしれない。

だから、はやりの言葉とか、使うの苦手なんだよな。
さすがに話し言葉だと場に合わせて使うし、はやりでなくほぼ一般的になっているような使い方だと普通に使ったりするけども。

書くとき、読むときは、ただしい言葉がいいなと思って、自分はそうしてしまう。

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たとえば講師の方とか、書くこととか伝えることを仕事にしているような方が、間違った日本語使っているのとか、なんだかなぁと思ってしまう。
漢字が違うとか、送り仮名が違うとか、使い方が違うとか。
たとえば「うる覚え」(←うろ覚えを、なんとなく語感だけで話してるのかなって思っちゃう)とか、「~づつ」(←~ずつ、だけど同じ響き)とか、よく見るけどそのたびもやっとする。

半角カナがはいっているのとか、半角全角交じりの表記とかも気になってしまう。漢字ひらがな混在とか。
それはただしい使い方というだけでなくて見た目的にも。

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と言いつつ、自分にも癖あるので人のこと言えないなとも思うのだけど。

「~だけど。」「~で。」「~とか。」みたいに、中途班場に終わるの多い。
「~みたい」「~感じ」って、あいまいにするのも多い。

それは、自分の、しっかり言いkれない、あいまいにしたりしてやわらげて主張弱めにしておこうとしてしまう、そういう弱さをあらわしているようでなんだかなと思う。

それも、自分らしいと言えばそうだし、気になるなら帰ればいいんだけどさ。

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ただしい言葉が好きと言いつつ、その人らしい感じが出ていて、そうそういつもこんな感じで話すよなぁってリアルに感じられるような生の言葉で綴られる文章も好き。
そういう文章は、ただしい言葉ではないなぁというのを見つけつつも、でも話してるままで身近で話聞いているように感じられていいなって思ったりする。

そういう、その人がにじみ出ているという空気感が好きで憧れる。

ただしくきれいに、って整えたら、消えてしまう部分。

整えたらなくなってしまうよさは、そのままが好き。
人間らしさというか、空気や質感とかそういう感じの。

(ということは、ただしくてきれいな文章や言葉が好きなのは、公式文章的なものはそうであってほしいということなのだとも思う。)

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ただしい言葉を使いたい、とは思うのだけど、ただしい言葉を使わなければならない、というのとは違って。

人が使っているのは、そういう言葉を使う人なんだな、という感じで見るだけかなぁ。
自分がチェックするときは、きれいに直したくなって指摘したりもするけども、でもその言葉がその人らしいなぁと思ったらそのままのときもある。(表記ゆれはらしくても直したいけど。)

一緒になにか文章なり文書なりつくっていても、ほかの人が気にしないのがいやというほどでなく、私が直したいなら直させてもらえるとか、いちいち指摘してもいやな顔されなければそれでいいかもしれない。
気になるんだけどね。
最近一緒に仕事している人と、資料の確認とかしているとき、何回も、内容の確認中に、ついでに文字がさ?って伝えると、今そこつっこむ?とか言いながら笑って直したりスルーしたりしてくれるので、そんな感じならまぁそれでよい。

こだわってしまう私も、たんたんと直す人も、おおらかに受け入れる人も、それぞれの性格あらわれていておもしろいなと思う。

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ただしいのが好きと言いつつ、そんなのおいておいて、その人らしさがあらわれるところがおもしろくて好きだとも思う。

ただしいのが好きというのも、ただしく使おうとする意図を感じるところが好きなのかも。

いつもいつも日々日々使うものだからこそ、使い方に人がでてくるから楽しいんだろうな。

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