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追悼・谷川俊太郎の「詩ってなんだろう」から学ぶ詩の魔法


はじめに

 谷川俊太郎が亡くなって淋しい。ずっと生きているような気がしていた。寂しがってもしょうがないので谷川俊太郎の詩を読み返した。
 谷川俊太郎の詩は子供から大人まで老若男女を問わず楽しめる
その理由が、谷川俊太郎の「詩ってなんだろう」の本の中にあった。

詩はわからなくても、たべもののようにあじわうことができるんだ。
詩をよむと、こころがひろがる。詩をこえにだすと、からだがよろこぶ。
うみややま、ゆうやけやほしぞら、詩はいいけしきのように、わたしたちにいきるちからをあたえてくれる、ふしぎなもの。

出典:「詩ってなんだろう」谷川俊太郎著 筑摩書房

 この事は、音楽や絵画、映画や写真、エッセイや小説などのすべての表現に通じる事のように思える。良質の表現に出会うとは、心が広がり、身体が喜び、私たちは生きる力を得る。
 だけど、どのように作れば、作品がそのような力を持つのか、容易にはわからない。
 長年、映像を教える仕事をしていると、才能やセンスという言葉で片づけず、その不思議に近づくヒントだけでも、谷川俊太郎の詩から学べたらと思う。

引用:「詩ってなんだろう」谷川俊太郎著 目次 筑摩書房

谷川俊太郎の詩の魔法1:こえの詩

「詩ってなんだろう」は谷川俊太郎が「詩ってなんだろう」問い「詩で答える」谷川俊太郎らしい本だった。
 自作の詩は「いみあそびの詩」の章の「いるか」だけしか取り上げられていなかった。そこが残念だった。
 そこで、谷川俊太郎の私が好きな詩を10作選んで谷川俊太郎の詩の魔法「詩ってなんだろう」参考に探ってみた。

「もじがなくても」の章では、「もじがうまれるまえから詩はあった」と語り、おまじない祈り働く時の歌踊る時お囃子、王様の物語全部詩だと谷川俊太郎はいう。
 その章で文字をもたない※ナバホの「よるのうた」が紹介されている。
※「ナバホ」:ナバホ族は、アメリカ南西部に住む先住民族。「よるのうた」はネイティブ・アメリカンの儀礼の中で唱えられる呪文だという。
 一部だけ引用すると

オホホホ へへへ ヘイヤ ヘイヤ
オホホホ へへへ ヘイヤ ヘイヤ
エオ ラド エオ ラド エオ ラド ナセ
ホワニ ホウ オウオウ オーエ‥‥

出典:「詩ってなんだろう」谷川俊太郎著 筑摩書房

 谷川俊太郎はこえには、ひとのこころうごかすちからがあると語る。 この詩の例は、詩集「わらべうた」(1981)より「わるくちうた」。
「わるくち」
は、普通、詩にはならない。それを子供の心からの声で表現する事で詩へと変化させている。それが谷川俊太郎の詩の魔法だと思う。

わるくちうた

とうさんだなんて いばるなよ
ふろにはいれば はだかじゃないか
ちんちんぶらぶら してるじゃないか
ひゃくねんたったら なにしてる?

かあさんだなんていばるなよ
こわいゆめみて ないたじゃないか
こっそりうらない たのむじゃないか
ひゃくねんまえには どこにいた?

出典:「谷川俊太郎詩選集」2 集英社文庫

 何気ない日常の「わるくち」が、子供の声を通して父は「はだかになり」、母は「怖い夢」で泣き「占い」を頼む。時空は100年後、100年前と広がり、古代から続く人類の営みのような詩になっている。

谷川俊太郎の詩の魔法2:おとまねことばの詩

 谷川俊太郎の手にかかると、なんでもない日常で、むしゃくしゃして「ただ空き缶をける」音だって、楽しくて深い詩になる。
 この詩の例は、詩集「わらべうた」(1981)より「あきかんうた」

あきかんうた

かんからかんの
すっからかん
こーらのあきかん けっとばせ
おひさま かんかん
とんちんかん

かんからかんの
すっからかん
かんかんならせ どらむかん
じかん くうかん
ちんぷんかん

出典:「谷川俊太郎詩選集」2 集英社文庫

 この詩を読むと、沈んでもやもやしていた心がみるみる晴れる。だからといって、この詩は説教でも教訓でもない。
 じかん、くうかんを越えてちんぷんかん、だから楽しい。
 とにかく気分の落ち込んだ時、谷川俊太郎の詩を呟くと楽しくて元気になる。

谷川俊太郎の詩の魔法3:ことばならべの詩

 谷川俊太郎は「詩ってなんだろう」の中で、大阪弁の島田陽子の「あいうえおおさかくいだおれ」を上げて「食べ物の名前をただ並べたって詩になる。詩を書くのに特別なことばはいらない」と語る。
 この詩の例は「夏が終わる」
 夏の花、虫、星の名前をあげただけの、小室等のアルバム「いま生きていること」から「夏が終わる」の歌詞を引用する。

夏が終わる

褪せたようなうすい青空
とうすみとんぼが飛んでゆく
ききょう かるかや おみなへし
あざみ ゆうすげ われもこう

謎のようなひとの裏切り
白いよろい戸が閉じられる
あげは くわがた くまんばち
おけら あしなが きりぎりす

ひとりたどる夜の山道
どこへ帰るのかあてどない
いてざ オリオン かいおうせい
スピカ こぐまざ カシオペア

出典:アルバム「いま生きているということ」から「夏が終わる」
作詞:谷川俊太郎 作曲:小室等 ピアノ:矢野顕子

 この詩を読むと、夏の終わりの風景が、青空、とんぼ、ききょう、かるかや、おみなえし…と続き、その清々しい空気感や風が体感できる。
 2番の歌詞で、突然「謎のような人の裏切り」が露わになり「よろい戸が閉じられ」、虫の名が並ぶ。あげは、くわがた、くまんばち…、並んだ虫たちから不穏な空気が漂う。
 3番の歌詞では、夜の山道は暗闇。行く当てもない。空には、いてざ、おりおん、かいおうせい、スピカ…、帰るあてはなくても、それでも星は輝いている。
 この詩でも谷川俊太郎は、夏の終わりの風景や情感だけでなく、人間の奥深い心に分け入り、最後は星の光で照らす。

谷川俊太郎の詩の魔法4:いろはうたの詩

 谷川俊太郎は、中国の漢字から、日本人がつくったひらがなにこだわる。「いろはにほへとちりぬるを」の言葉には「花は咲いても散ってしまうのに」という諸行無常の心があるという。
 この、ひらがなにこだわったいろはうたの詩の例は詩集「空に小鳥がいなくなった日」から「にわ」

にわ

そこにはだれもいないのに
そこにはしろいはながさく
そこにはだれもいないのに
ぐるりとたかいへいがある


そこにはだれもいないのに
くうきにてつのあじがする
そこにはだれもいないのに
もののかたちがみえてくる


そこにはだれもいないのに
わすれることができなくて
そこにはだれもいないのに
なきたいようなひのひかり


そこにはだれもいないのに
かすかにひとはうつむいて
そこにはだれもいないのに
いろはにほへとちりぬるを

出典:「谷川俊太郎詩選集」2 集英社文庫

 私はこの詩を読むたびに、母が亡くなり、誰もいない実家に戻った時の事を思い出す。キッチンに行き、思わず「母さん」と呼びたくなり、誰もいないキッチンを見たときのことを…。日の射すキッチンは、この詩のように「なきたいようなひのひかり」だった。

谷川俊太郎の詩の魔法5:おとのあそびの詩

 おなじようなおとの言葉を連ねてあそぶ詩。
 音楽と同じように言葉がリズムやテンポを持ち、意味が積み重なり、だんだん深くなって楽しい。
 このおとあそびの詩の例は、詩集「落首九十九」より「また」

「また」

また
 またか
  まただ
   またまたか
    またまたさ
     なれつこだな
      なれつこさ
       よくないな
        よくないよ
         どうする
          どうしよう
           怒るか
            怒ろう
プン
プン

出典:「谷川俊太郎詩集1 空の青さをみつめていると」角川文庫

 詩集は縦書きで、どんどん上から下へ下がって、最後の「プンプン」だけが上にくる。この「遊び心」が何とも楽しい。
 詩の内容は「まただ、またまたか…」とうんざりするような出来事の連続なのに、この詩を読むと楽しい。「怒るか 怒ろう」という頃にはもう怒る気が失せている。
 やはり、谷川俊太郎の詩は魔法だ。 

谷川俊太郎の詩の魔法6:いみのあそびの詩

 つぎの詩は、似た言葉を重ねた「おとのあそびの詩」でもあり「いみのあそびの詩」でもある。この例は詩集「ことばあそびうた」(1973)より「かっぱ」

かっぱ

かっぱかっぱらった
かっぱらっぱかっぱらった
とってちってた
かっぱなっぱかった
かっぱなっぱいっぱかった
かってきってくった

出典:「谷川俊太郎詩選集」1 集英社文庫

 けっこう好きな人が多いこの「かっぱ」。
 意味がわかりにくいので私なりに書いてみた。
「河童」
「かっぱ(河童)かっぱらった(分捕った)」
「かっぱ(河童)らっぱ(ラッパ)かっぱらった(分捕った)」
「とって(獲って)ちってた(散ってた)」
「かっぱ(河童)なっぱ(菜っ葉)いっぱ(一杯)かった(買った)」
「かって(買って)きって(切って)くった(食った)」

 まるで言葉を覚えた頃の子供のように言葉を発するのが楽しくて仕方ない気分で読むと楽しい。
 私にとって、谷川俊太郎の詩は、みんなで合唱とか、みんなで唱和する感じではない。ひとりで人知れず呟いて変な世界を自分なりに楽しむ。

谷川俊太郎の詩の魔法7:きもちの詩

 私が初めて谷川俊太郎の詩に出会ったのは、中学生の頃1970年代前半。最初に読んだのは、谷川俊太郎が18歳~21歳の時書いて1952年に出版された「二十億光年の孤独」。その詩集には、それまで読んできた詩にはない宇宙規模の透明感と孤独感があった。中でも好きだったのが「かなしみ」

かなしみ

あの青い空の波の音が聞こえるあたりに
何かとんでもないおとし物を
僕はしてきてしまつたらしい


透明な過去の駅で
遺失物係の前に立つたら
僕は余計に悲しくなってしまった

出典:「谷川俊太郎詩集1 空の青さをみつめていると」角川文庫

 この詩を読みながら、いつも想像してしまう。
 まず空を見上げ、青い空をみつめる。すると波の音が聞こえてくる。何かとんでもない落とし物をしたらしい…。忘れ物の多い私には実感をもってわかる。気がつくと「田舎の駅の遺失物係の前」にいる…。
 ただ透明な過去の駅の遺失物係がうまくイメージできない。なんのことだかわからない。頭が混乱して、なんだかかなしい…。シンプルなのにふしぎな詩。

谷川俊太郎の詩の魔法8:あたらしい詩

 「その世とこの世」という本は、想像の世界「その世」を描く詩人の谷川俊太郎と「この世」の地べたから世界をみつめるライター・ブレイデイみかことの詩と手紙の往復文書をまとめたもの。
 この本の中で、谷川俊太郎は、自分自身の詩の描く世界を、

「ブレイデイさんの現実的実際的で明快な散文に、詩の朦朧体でご返事することを許してくださいますか」

出典:「その世とこの世」ブレイデイみかこ・谷川俊太郎著 岩波書店

 と言い、彼女の手紙に詩で返事を書く。その最初の返事「その世」という詩が、谷川俊太郎の詩の世界の核心だと思った。
 その一部を引用すると

その世 

この世とあの世のあわいに その世はある 
騒々しいこの世と違って その世は静かだ 
あの世の沈黙に 与していない 

風音や波音 雨音や密やかな睦言 
そして音楽が この星の大気に恵まれて 
耳を受胎し その世を統べている 

とどまることができない その世のつかの間に 
人はこの世を忘れ 知らないあの世を懐かしむ 

この世の記憶が 木霊のようにかすかに残るそこで 
ヒトは見ない触らない ただ 聴くだけ
‥‥

出典:「その世とこの世」ブレイデイみかこ・谷川俊太郎著 岩波書店

 思えば私の好きな宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」「その世」の世界だった。「この世」「あの世」間(あわい)にある人の心の奥の「その世」の世界。時空を超え、限りなく広く、自由自在に動き回れる世界。「その世とのつながり」が、私たちの心を豊かに幸せに元気にする力の源なのかもしれない。

谷川俊太郎の詩の魔法9:はっけんの詩

「二十億光年の孤独」は「その世」の世界が、時空を超え宇宙規模でユーモアを持って描かれていた。引用すると

二十憶光年の孤独

人類は小さな球の上で
眠り起きそして働き
ときどき火星の仲間を欲しがったりする

火星人は小さな球の上で
何をしてるか 僕は知らない
(或いはネリリし キルルし ハラㇻしているか)
しかしときどき地球の仲間を欲しがったりする
それはまったくたしかなことだ

万有引力とは
ひき合う孤独の力である

宇宙はひずんでいる
それ故みんなもとめ合う

宇宙はどんどん膨らんでゆく
それ故みんなは不安である

二十憶光年の孤独に
僕は思わずくしゃみした

出典:「谷川俊太郎詩集1 空の青さをみつめていると」角川文庫

 「万有引力とはひき合う孤独の力」という日常の中での新しい発見
孤独の力ゆえ宇宙はひずみ、どんどん膨らみ、みんなを不安に巻き込む予測不能な展開の詩。
 谷川俊太郎は、二十億光年の「その世」の宇宙空間を旅し、最後の「くしゃみ」の一節で「この世」へ帰還した。
「行って帰る物語」この短い詩から長大なファンタジーや神話の世界にはない深い感覚を味わう。

谷川俊太郎の詩の魔法10:ふしがついた詩

 谷川俊太郎の詩の理論「この世」「あの世」の間の「その世」の世界。「その世」の詩の世界は、時空を超え、広い宇宙空間を旅するだけでなく、心の奥の奥、深層心理や無意識のくらやみの中も旅する。
 1976年、山田太一脚本のドラマ「高原にいらっしゃい」の主題歌として
作詞・谷川俊太郎の「お早うの朝」が流れてきた時、その不思議な歌詞と曲の魅力に夢中になった。

お早うの朝

ゆうべ見た夢の中で
ぼくは石になっていた
見知らぬ町で人に踏まれ
声を限りに叫んでた


夜の心のくらやみから
夢はわいてくる
さめても夢は消えはしない
けれどお早うの朝はくる


ゆうべ見た夢の中で
ぼくはきみを抱きしめた
はだしの足の指の下で
なぜか地球は回ってた


夜の心のくらやみから
夢はわいてくる
さめても夢は消えはしない
だからお早うの朝はくる

出典:アルバム「いま生きているということ」から「お早うの朝」
作詞:谷川俊太郎 作曲:小室等

 私たちは意識下の感情だけでなく、無意識の世界(宇宙に繋がる世界)のくらやみと毎晩つながり、さまざまな夢を見て、朝が来る。
 新しい朝を迎える時、未来への静かな期待と希望が生まれる。
 谷川俊太郎の詩の魔法は、私たちのなんでもない日常を深く豊かに変換し、限りなく多様な喜びや楽しさを与えてくれる。


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