桂 枝雀さんの結婚式スピーチと巨大な餅の話
結婚式のスピーチで最も記憶に残っているのは桂枝雀さんのスピーチだ。大学の頃、大阪のホテルでブライダルの撮影を3年近くやった。
その日は桂米朝一門の若手落語家の結婚式だった。もうずいぶん前なのでどなたか名前を忘れてしまったが、次のような内容だった。
会場が一瞬凍った。間をおいて枝雀師匠は、
師匠は深々とお辞儀をして去った。会場は笑いと拍手に包まれた。私はなぜか泣きそうになった。
それから、桂枝雀さんの落語を聞くようになった。
とにかくオーバーアクションで明るく、英語落語でアメリカ公演まで行うインテリだった。知的でシニカルでそれでいて人間の器の大きさで全てを笑いに変えてくれる、そう思っていた。
あの頃(30年以上前)の私の気が塞いだ時の気分転換はTVの「枝雀寄席」だった。師匠は満面の笑みで大きく口を開け「あはははははぁ」と笑っていた。演目「夏の医者」の場合、夏の暑さを、自分の禿げ頭を利用して「お日ぃさんが、かーっ」と照らす大きなアクションをしてみんなを笑わせた。
とにかく枝雀師匠は、どの登場人物もコミカルにすっとぼけて、かわいらしく演じた。旦那も慌て者の丁稚も、幽霊のお菊さんも、ウワバミも、狐も狸も、しっかり者の女房もダメ亭主も、全部愛すべきキャラクターになった。古典落語が笑えるPOPなファンタジーになった。
印象的な落語の枕で死後の世界の小餅と巨大な餅の話があった。これもうろ覚えだが、こんな内容だった。
※枕(まくら):落語が演目に入る前に、関連する小噺をする事。
死んだら虚無のブラックホールではなく、みんな大きな餅に包まれる。死の恐怖さえ、枝雀師匠は追い払ってくれようとした…。
なぜ唐突に枝雀師匠の事を思い出したのか?それは最近読んだ、カート・ヴォネガット「国のない男」の中に「ユーモアと笑い」についての、こんな記述をみつけたからだ。
ボネガットはその理論を利用し、テレビのお笑い番組のスタッフになった時、各エピソードに何らかの形で「死」を混ぜ込み、視聴者の笑いを強烈なものに変えたという。
桂枝雀師匠が、我々の日々の恐怖や不安を終始笑いに変えて、自らはその恐怖や不安と日々闘っていた。
枝雀師匠は病気(うつ病)に負けた弱い人間ではなく『とんでもなく強く偉大な人間だった』と20年以上たって、やっと気づく事ができた。