読書記録2025/1/20

 古本屋を覗いてみたら、表に出ているセール品のCDの中に、なんとジョン・ケージとイアニス・クセナキスのCDがあったので、中身も確認せずに買ってしまった。
 ジョン・ケージの方は、「VARIATIONS Ⅳ」で、これはどういう仕組みか詳しいことは知らないけれども、ラジオとかテープとかで拾ってきたいろいろな音声、いまなら音声データというところだけれども当時はそれを一括してデジタルデータとして扱ってはいなかっただろう、それを「チャンス・アンド・オペレーション」で流す、というものらしい。
 どうしても、当時あった新しさは、今はもう消えたというしかない。この音楽が古びたのという意味ではなく、今の時代が、あらゆる音楽、あらゆる講義内容、笑い、個人的な電話まで何の分け隔てもなく突然鳴り響くようになり、要は「VARIATIONS Ⅳ」的な音声の時代になってしまっている、もうこの音楽が自然なものになってしまっているということだ。
 ちょっとした音声変換の技術なんかもあろうけれども、そこにジョン・ケージの手つきを見て、ここにだけはある現代音楽的なアウラがあるのだ、みたいな考えはやはり捨てた方がいいという気がする。現代のスピーカーやイヤホンから流れてくる音と、質としては全く同質になってしまった、そこから考えを始めた方がよいのではないかと思う。

2025/01/19
合計: 62 ページ
テル・ケル 『 新しい小説・新しい詩 』: 62 ページ
2025/01/20
合計: 42 ページ
鈴木創士 『 うつせみ 』: 12 ページ
ウィリアム・ジェームズ 『 心理学 上巻 』: 30 ページ

 昨日と本日の読書。
 ソレルスの主宰していた文芸雑誌「テル・ケル」、そのうちのほとんど一巻分の翻訳というのがあり、この『新しい小説・新しい詩』がその一つ。
 岩崎力が全編の翻訳をしているらしい。かれは、確かクロード・シモンの翻訳もしていたと思う。
 この本の構造は、ざっくりいえば「新しい小説」の試論、それからその意見についての討論会、それから「新しい詩」についての試論、そしてその意見についての討論会と、非常にわかりやすくなっている。
 そのうち、「新しい小説」の試論を書いた、J=P・ファイユという人、この人の中で「ウィリアム(ヘンリー)・ジェイムズ→プルースト、ジョイス→ヴァージニア・ウルフ、フロイト→ロブ=グリエ」という、かなり強固な系譜があるらしく、その後討論にファイユ自身が出ているのだが、試論と全く同じことを、ほんの少し言葉を変えながら言っていたので、よほど彼にとってはその系譜なんだなと思わされた。
 で、始点であるウィリアム・ジェイムズ、およびヘンリー・ジェイムズは、かたや哲学者・心理学者で、かたや小説家という兄弟なのだが、ファイユは当然といっていいかもしれないが圧倒的に弟のヘンリー・ジェイムズの肩を持つ。もちろん、表面的にはウィリアム・ジェイムズの定式化というかこの人の「意識の流れ」が、のちの文学における同じ名前の技法に流入したのではあるが、と前置きするのだが、こういう人の意見の軽重よりは、どんな名前が出たのかの方を重要視する方がいいと、今までの経験から思うので、ウィリアム・ジェイムズの「心理学」、「意識の流れ」の理論的な元ネタである本を読んでみようと思った。とうぜん、夏目漱石の「文学論」にもかかわってくるだろう。そこと、いとうせいこうも示唆していたヒュームの哲学も関わってくるのだろうか、どんなふうに、いかにして、「どんなふう」と翻訳されてもいた、「事と次第」である。

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