(なんか知らんけど)稼いでもらえてる夫と稼いでる私
夫は専業主夫で、私は会社員。
客観的に見れば、私は一家の「大黒柱」だが、主観的には「大黒柱」ではない。
無理やり柱に例えるならば、私も夫も、各々支え合う「ただの柱」。
気持ちとしては「(なんか知らんけど)妻に稼いでもらえてる夫」と「(なんか知らんけど)稼いでいる妻」なのである。
客観的収入事情からみる柱
夫の給与収入はない。趣味としてブログ・noteをやっており「小学生のお小遣い」程度の収入を得ている。
一方、私は会社員として業務を行い、その対価として給与を得ている。
結果的に、私の給与収入で、夫と暮らしている。客観的収入事情だけ見れば、確かに大黒柱である。
私は大黒柱になってない。やることは変わらない。
私は家族(夫)のために、仕事をしているのではない。稼いでやっているぜ!とも思ってない。
だって、ひとり暮らしでも、今と変わらず同じ会社で同じことをして、働いていたでしょ。
彼氏と結婚して、彼氏が主夫になったところで、私の仕事量が変わるわけでも、責任が変わるわけでもない。
冷静に考えると、今までの生活を続けているだけ。過去の生活と変わらない。
驚く友人や両親とも、なんら変わりない。
そもそも大黒柱とは?
自分を大黒柱と言うことに、かなり抵抗がある。「大黒柱 = 一家の精神的経済的柱」をイメージするのが、その理由だろう。
「揺るぎない一本の柱」「どっしりと構える器の大きさ」「威厳」といったイメージが、自分にどうもしっくりこない。
経済的柱
我が家を経済的に見たら、私は圧倒的に柱だ。
しかし、私は、丸の内をヒールでスタスタ歩くトップ成績のバリキャリでも、年上のお姉さんでも、社長でも、管理職でもない。
夫と私は同じ年。ただの会社員。5段階評価中、3くらい。埋もれている平社員。
精神的柱
精神面に関しては、一ミリも柱じゃない。精神的柱は、夫である。
生理前の魔の期間(例えば、鬱っぽくなったり、泣き叫んだり)、夫は見事に沈静化させられる。
※悲しみや怒りの対象は、夫ではなく仕事と自分。
結論、私は私の思う大黒柱じゃない
上記から、私は私のイメージする「大黒柱」ではない。私と夫、2本の柱で成立している。
余談:専業主夫が誕生したわけ
結婚当初から、夫は専業主夫だが、自然発生したのではない。
興味のある方だけどうぞ。経緯はどうでも良いよーという方は、メリットへ。
勝手に想像していた未来は、私が家事主担当
私は勝手に、将来は共働きで家事を半々にすると思っていた。
夫の残業が多ければ、私が優先的に家事をするだろう、と思っていた。
「主夫になって欲しい」と懇願したことはない。
夫のやりたいことが、主夫だった
専業主夫が誕生した理由は「夫のやりたいことが、主夫だった」「考え抜いた就職先心身不調になり、休職になったから」ということになる。
主夫願望は数年前から知っていたが、まさか現実になるとは思っていなかった。
即快諾できなかったのも事実
以下3点の前提をおいても、手放しに「明日から専業主夫ね、OK!!」とは言えなかった。
私も仕事を辞める可能性があること。
私も夫も家庭生活(金銭、家事全般)の一役を担うこと。
机上シミュレーション・お試し期間で、金銭的問題なかったこと。
結婚3ヶ月ごろに書いたブログをもとに、当時の思考過程を列挙する。※ブログ挫折中。「大黒柱妻」は渋々使っていた。
常識・通例を疑う
男の人=何があっても60歳までフルタイム勤務を継続する、と決まっているは変。
女の人に主婦という選択があるなら、男の人にも主夫という選択があって良いじゃない。
外で稼がない夫=ダメなのか?!私は彼氏の給料と付き合いたいわけじゃない。私と彼氏が楽しく生活できることが1番重要。
夫の特性を理解する
夫は、大学生の時から専業主夫も視野に入れていた。当時から知っていた。
考え抜いて選んだ就職先で、休職になった。体調を崩してまで働いてもらいたいと思わない。
元からチームワークは不得手と知っていた(側から見たら、そんな風には見えない)。
夫の家事スキル、話し合いができること、生活コントロール能力、知性を信頼していた。
結果的に得たメリット
1つ目:想像以上に時間がある
結婚前まで、家事をするのが当たり前だったが、想像以上に家事関連の時間は多かったようだ。
特に、考えている時間が大きい。優先順位をつけて取捨選択するのが苦手なため、非常に助かっている。
本当は「休日は私が洗濯ものするよ!」とか、家事に参画したいが、夫のペースを崩すので、自制しなければならない(幾度となく失敗)。
積極的な家事参画より、汚さない、もとに戻す方が大事。唯一貢献できるのは趣味の料理。やったー!
2つ目:会社に染まっていない夫の生き様を擬似体験できる
夫の思考や行動を、擬似的体験できるのがありがたい。
自分の気持ちに素直に生きる姿・思考を、目の前で見られる。憧れるが、人と協調しようとする自分には、なかなか難しい。
他者から与えられた規制がなくても好奇心に従い興味のあることを学んでいく様子を見るのが嬉しい。
会社に染まっていない客観的な意見を聞くと、仕事の悩みも重く受け止める必要がないものだと気が付くことができる。
常にゆったりと安定している様子を見て、社会の波に飲まれ、せかせかソワソワしている自分に気づかせてくれる。
世田谷のDINKsさんのように達観してはいないが、非常に共感したので、引用させていただきます(削除希望があればコメントください)。
追記:過去記事で、珈琲次郎さんの企画に参加いたします
やや長く恐縮ですが、我が夫婦の特徴を表す記事のため、選択しました。