誇らしいような、悔しいような、悲しいような
優しい先輩との他愛もない雑談でのこと。
旦那さんも働いてるんだっけ?と聞かれ
まぁそうですね〜、と答えた。
※圧は全くない。働くのが前提で仕事は何をしているの?と聞かれたのでもない。非常にフラットな会話のキャッチボールの一場面。
私は本心でそう答えたけど
なんだかモヤモヤしている。
夫が専業主夫であると言わなかったことに対し、
どこか隠し事をしたような後ろめたさがある。
「働いている」「働いていない」どちらもしっくりこない。
「働く定義について、この会話では賃金労働、会社員を指していますか?」と聞きたくなったけど、キャッチボールを楽しむ時の返答としては相応しくないと思い、引っ込めてしまった。
夫は会社員として賃金を得ていないけど、専業主夫として見事に働いている。
自主的に家を綺麗に保ち、面倒でも安く美味しくバランスの摂れたご飯を作り、おまけにアフィリエイトで小学生ほどのお小遣いも得ている。
私が会社員として心身の健康を保ちながら生活できるのも、夫のおかげであることは間違いない。会社員は私だけだが、私だけの力でこの生活ができているのではない。
私が読まないような本を読み、共有し、私の世界を広げてくれる。
この素晴らしき相棒の働きを「賃金労働をしていない」というだけで「働いていません」とは言えなかった、言いたくなかった。
一方で、専業主夫と言ったときの反応を受け止める自信もなかった。
その先輩は優しくて徳のある方だから、白い目で見るようなことは絶対にしないはずなのに。
本当は
世間超適合者の私が、普通じゃなくなるのを恐れたのかもしれない。
この平和な生活に対する私の自信を、守りたかったのかもしれない。
稀有な存在として、驚かれたり、気を遣われたり、脅かされる可能性に、過剰防衛していたのかもしれない。
夫は働いていると言えて、誇らしいような。
世間を恐れた自分に、悔しいような、悲しいような。