これは我が家の庭で咲いたシャクヤクです。 先週よっちゃ(夫)が幸子さんのところへ行く前に私のテーブルに飾ってくれました。 幸子さんがワクチンを接種する日、いつもは日帰りなのだけど、念のため一晩泊まることにしたので、留守番をする私が寂しくないようにと庭から摘んできてくれました。 ワクチン接種は無事終わり、次の日も少し腕に違和感が残る程度ですみました。2回目もよっちゃは、一晩泊まる予定にしています。 このシャクヤクを見ながら、車で片道3時間半の道のりをよっちゃが無事に帰ってく
写真は前回、よっちゃ(夫)が幸子さん(よっちゃのお母さん)のところへ行くときに作ったおかず。 春を告げる、アスパラの肉巻きと菜の花の辛し和え、野菜たっぷり目のひじき煮です。 どれも幸子さんに教わったもの。 でも、今は幸子さんが作れなくなったもの。 よっちゃは、南信州から東京までを日帰り往復します。 片道約3時間半を2週間ごと。 よっちゃが家に着く一時間前に我が家の電話が鳴ります。 「帰ったかしら。」 短期記憶に大分影響が出ている今日この頃ですが、 母の役割は忘れていません。
ハンさんに赤ちゃんが生まれました。 生まれてすぐに、夫のカイーさんが写真を送ってくれました。 お姉ちゃんのアンちゃんによく似た女の子です。 「わたしは 忙しくなります。」 出産を控えた、週一度の日本学習会のとき、カイーさんが言いました。 ハンさんが入院中は、仕事をしながらアンちゃんの保育園の送り迎えや食事の支度などもしなくてはなりません。 ハンさんのお母さんに手伝いに来てもらう予定でしたが、コロナでベトナムから来ることはできません。 「カレー食べる?」 会社の三時休みにカ
「FUKUSHIMA福島10年ー当事者性を考える」というシンポジウムに参加した。知人がドイツ デュッセルドルフから開催したオンラインイベントっだった。 パネリストである4人の皆さんは、 原発や原爆について発信する活動をされていた。 それぞれの取り組みの中で考える「当事者性」についてお話してくださった。 シンポジウムが終わり、私の心に澱がたまっている。 このもやもやを言葉にしておこう。 目の前の事象をどう「当事者性」をもって引き受けるのか。 時間と場所が当事者とそれ以外の人
国家の責任を当事者以外の人がどう感じ引き受けるのか。 東日本大震災から10年。 国の責任で土地を追われた人々の困難を私たちはどう引き受けるのか。 残留孤児の訪日調査から40年。 あのころ向き合えていたら、今、違った社会になっていたのではないか。 そう思わずにはいられません。
はじめてオンライン試写会を自宅で体験! 自閉症スペクトラムのウリ。 チャップリンと金魚のヨニ、ヤロン、ダニエルが大好き。 そして、パパがつくる星形のパスタは外せない。 息子の気持ちを一番に考えて暮らしてきたパパ。 そんな二人の将来の生活を心配する周囲。 パパと一緒にいたいウリ。 ひょんなことから二人の逃避行がはじまる。 パパの愛情があったかすぎる。 ラストを見て、自然とつぶやいていた。 「愛だぁ…。」 ▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
※写真は、中国東北部(旧満州)を旅した時のものです。 南信州で暮らすようになって、出逢った親友がいます。 千代ちゃんです。 今年、86歳になります。 1945年日本が戦争に負けたとき、千代ちゃんは満州にいました。 かつて中国東北地方に13年間だけ存在した幻の国『満州国』。 そこへ日本から開拓団として約27万人が渡っていきました。 当時、約8400人、私の住む地域は日本で最も多くの満蒙開拓団を送り出しています。 2013年4月 下伊那郡阿智村に『満蒙開拓平和記念館』が開館
「食べものあげます」 「仕事 は終わったら 家に行けませんか?」(原文まま) ハンさんから Messengerが届いた。 ハンさんは、私の職場で働く夫のカイーさんと一緒に暮らしたくて 娘のアンちゃんを連れて 2019年秋にベトナムから来日。 二人はラブラブです。 残業になって 私がハンさんの家に着いたのは夜八時過ぎ。 「わー お腹大きくなったね。」 仲の良い家族には、この春家族がもう一人増えます。 ハンさんも一緒に同じ会社で働いていましたが、体調が思わしくなくて、早め
今日は一日オンライン学習会の準備に追われていた。 コロナ禍、ボランティアの仲間とイベントが開けなくなった。 何とか学び続けたい。繋がりを広げていきたい。 インターネットには不慣れな50歳だけど、 コツコツ勉強してオンライン学習会の開催に、ようやくこぎつけた。 一日中パソコンとにらめっこ。 そんなとき、夫が赤いガーベラをプレゼントしてくれた。 ガーベラにはいろいろな花言葉があるそうだけど、 赤いガーベラには、「限りなき挑戦」という意味もあるそう。 「今のあなたにピッタリだ
南信州に移り住んだのは、長男3歳5か月、次男1歳4か月のころ。 翌年の春、長男は保育園に通うように。 ある日の保育園から帰る車の中。 長男が「〇〇ちゃんが、一緒に机をつってくれんかった。」 半べそで私に訴える。 ”机をつる”??? 方言の意味が分からず「そうなんだぁ。」と答えるしかない私。 悲しい思いをわかってあげられなくて、ちょっと切ない。 ごめん。 あるとき、参加日があって保育園に行った時のこと。 給食の時間になったら先生が 「は~い。みなさん、机をつってきてくださ
今日夫は、離れてひとりで暮らす母幸子さんのもとへ。 我が家から車で片道3時間半ほど。 幸子さんの認知症がわかったのが2019年夏の終わり。 まずは、南信州で一緒に暮らすことを考えたけど、 幸子さんの強い希望で今の暮らしを続けています。 日常の家事(洗濯、掃除、買い物、簡単な料理)や 身の回りのことはほぼできるけど、 食品の管理と鍋や魚を焼いたあとのロースターを 清潔に保つことは難しそう。 そこだけ手助けすれば、幸子さんの気に入った暮らしが続けられます。 はじめは嫌がってい
今日ははじめてnoteに挑戦! これから何ができるか楽しみです。 これは中国東北地方を旅した時の松花江からのぞむ夕陽。