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つぶやき

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記事にするほどでもないけれど、書き留めておきたいことを書いてます。
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#日記

動けないほどの生理痛が襲ってきて、家族の病院に付き添うという約束を破ってしまった。
もう出発というところだったのに。
昨夜もっときちんと寝ていたら、違っただろうか。
化粧したままベッドで丸くなり、何時間も過ごした。
ふと眠りにつき、気になっていたことが全部夢に出てきた。

心臓が悪い私を、小中高と母は毎日、車で送ってくれた。
体調不良で朝登校できず遅れて行く時なんかは、もう母には送ってもらえないので、別ルートを自力で学校に向かうことになる。
駅からの道、高校とは正反対の山を登って「〇〇高校どこですか?」と通行人に制服姿で尋ねていた私。
おそろしや。

行ってみたい場所があったから電車に乗って行ってきた。
そこは、かつて通った高校の最寄駅でもあった。

今日も生きていた。

洗濯を干すとき、ベランダの桟を拭く

前の日も拭いたのに、もう砂ぼこりや花粉、黄砂がくっついている

面倒くさいなーと思いながら

でも、今日は陽ざしが気持ちいい

どこかで鳥もテュルテュル〜なんていっている

室外機のうえを拭くとき、太陽に背を向ける

じわーっとあったかかった

こんなことしてちゃだめだ

今も、こんな考えが、隙あらばわたしを支配していく。

休職したときもそうだった。

休んだ2年間、この考えを自分からなくすことはできなかった。

だから、毎日同じ時間に起き、ヨガをし洗濯をしごはんを作り、リワークにも通った。

結果、療養した気はぜんぜんしなかった。

好きなことに夢中になれることは、うつ病でなくても、人が生きていくうえで人生を豊かに、また日々の支えになってくれるだろう。
メンタル

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公務員を辞めて4日過ぎた。


休職のときとは違う。

いや、違うと思えるように踏ん張っている。


「辞めたからには…」

って。

好きなことを、好きなようにやればいいし、

気が進まなければやらなくていい

仕事を辞めた今、私を縛っているのはわたしだけだ。

20年近くの付き合いになる、同じ自治体で働いていた親友に、久しぶりにLINEをした。

3月末で退職したと。

寂しいけれど…応援すると言ってくれた。

その友達への返信に

「丁寧に暮らしてみたい」

と書いていた。

ハッとした。

私が望んでいたのは、これなのかもしれない。

→つづき

休んでいた頃も、部屋の窓の外に見える山にある、それぞれ異なる「緑」を見せてくれる木々を眺めてよくごはんを食べていた。

あのときと違うのは

「まぁ、わたしはこんなもんでいいか」

と思えていること。

それって、わたしにはすごく大きなことだったりする。

2年前の春、ちょうどコロナの初めての緊急事態宣言が出た。

めまいや胃痛、ざまざまな体の不調と「こんな自分がいたら迷惑だ」という強い自責の念に駆られ、病気休暇をらせてもらうことをことを決めた。

不特定多数のお客様が毎日訪れる窓口。得体の知れないコロナも怖かった。  つづく

「ザ・ノンフィクション」を見ながら、いらない書類をシュレッダーにかけた。
シュレッダーといっても機械はないので、刃がたくさんついたハサミタイプのやつだ。

結構頑張ったつもりだったがなかなか進まない。それについノンフィクションに見入ってしまう。

ひゃー疲れた

公務員としての出勤を終えて4日目。

思いついた家事やら片付けをそれなりに気の済むまでやると、疲れる。

わたしは職場にいても家にいても、どこにいても
「すべて気の済むまでやりたい」
気持ちに逆らうことができないのだ。

止めることができるのは

「ヘトヘトさん」

だけ。ふぅー

昨日はnoteを書かなかった。

ふと思い浮かんだときもあったけど、とくべつ書きたいことがなかったから、やめた。

それでいい