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『欠けない剣、重たいシャボン玉』

諸刃の剣、それをゆっくりと鞘から引き出してみる。あるいはシャボン玉を手で包み込んでみようとする。

剣は触ればすぐ崩れ落ちそうである。
シャボン玉は逃げていってしまいそうである。

夜風が吹いてきてすっと夜の匂いが鼻腔をくすぐった。その瞬間、剣は端から欠けてゆき、シャボン玉は空高く逃げていって、案の定取りとめのない思考は手の隙間からすり抜けて行ってしまった。

春の宵に浮かぶじんわりとはっきりしない色の月を見る。肺に生ぬるい空気を吸って、
「はぁ」
今日は暖かかっと言えど、もうタンクトップだけでは肌寒い。それでも今、章介は自分を温めたくはなかった。
さっき取り出した思いはなんだったのだろう。つま先に置いてあった水の入ったペットボトルを無意味に触って、物体の存在を確かめる。

章介はしばらくの間、言語化する前に現れては消える泡沫の感情に振り回されていた。感覚としては悲しみや寂しさに近い何か。感傷的な気持ちを引き起こすようなそんなものだった。
理由はよく分からない。
いつからそんなものがあったのかも分からない。

ただいつの間にか、どうしてだか章介の心に棲みつくようになったその感情は、やけに章介に現実を見せつけ、理性を呼び覚まし、今までの生活を馬鹿みたいにつまらなくしてしまった。


寝台で影が動いて、章介の無防備な二の腕に温もりが宿る。どうしようもない空虚な気持ちがまた押し寄せてきて、せっかく温めなかったのに、と苛立ってしまう。

章介は水を一口飲んで、空虚さも、あのよく分からない気持ちへの執着も無視して温もりをかき抱くことにした。

ペットボトルの水はあと1口。
宵の月は輪郭を確かにしてゆく。

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